彦四郎の中国生活

中国滞在記

寧夏回族自治区「銀川」へ行く❶—遠方に友あり/シルクロードの砂漠地・寧夏の「長城」を見たい

2017-06-22 16:25:07 | 滞在記

 寧夏(ねいか)回族自治区という回教徒(イスラム/ムスリム)の多い自治区がある。中国の「省や自治区」の中で最も面積が小さな自治区だ。自治区の区都は「銀川」。シルクロードの出発点である陝西省「西安(長安)」の西北にあり、「西安―銀川」間は、直線距離にして約750km(京都―仙台)くらいだろうか。この街は標高が1000mのところにあり、緯度は日本の仙台とほぼ同じだ。シルクロードの中継地として栄えた街で(現在も)、内モンゴル自治区と接している。街の近くを「黄河」が流れている。黄河の中流域だ。周りは沙漠や沙地にほぼ囲まれている。この街から、シルクロードの有名な地「敦煌(とんこう)までは、わりと近い(京都―札幌  間ぐらい)。

 この街にある「北方民族大学」の日本人教員の目黒さんは、私の友(先輩)だ。「一度ぜひ銀川に来ないか」という誘いもあり、遠方の先輩(友)を訪ねることになった。私が住む福建省福州と銀川を結ぶ直行便(飛行機)はない。だから、どこかの都市で乗換えをするか経由をして行かなければならない。(もし直行便なら、直線距離にして 福州―東京 間ぐらい[上記写真の赤いボールペン間]だろうか) 

 この旅の目的は、「①先輩の目黒さんと会う ②寧夏にあるシルク―ロードに横たわる「万里の長城」を見たい ➂寧夏の街や大学を見たい ④黄河中流域を見たい」。①と②がメインだ。 それにしても、銀川までは遠いなあ---。飛行機での所要時間は一応5時間(山西省・太原 経由)となっているが、中国の飛行機は 1〜3時間の遅れというのが ざらに(普通に)あるからだ。いままで、1時間以内の遅れで飛行機に乗れたことは、ほぼ一度もない。

  6月17日(土)、午前10時ころにアパートを出る。市内中心部にある「空港行バス乗り場」にタクシーで向かう。バスに乗り、1時間ほどで空港に到着(午後12時半)。山東航空の飛行機の出発時刻は午後2時30分。午後7時過ぎには「銀川」到着の予定だった。まあ、中国の飛行機の予定は「奇跡の予定」ということだが。

 乗る予定の飛行機に「遅延」という表示が出ていた。どれくらいの「遅延」なのだろうか。まったく表示がないまま、1時間、2時間と待つ。他の飛行機も、「遅延」の表示が多い。2時間ほど待った午後4時半頃、突然の「5時10分発」の表示。そして、それも過ぎたころ、やっと搭乗手続きが始まった。「たいへんお待たせしました」とか「出発が遅れてご迷惑をかけました」とか「すみません」や「申し訳ございません」なども一言のアナウンスもないのも中国式だ。別に台風や悪天候、特別に遅れたなどの事情などもまったくないにもかかわらずだ。まあ、中国での移動はこんなもんだと諦めの気持ちになるしかない。銀川の空港に迎えに来る予定の目黒さんに、「到着が3時間ほど遅れます」との連絡を入れた。

 午後5時半ころ、3時間遅れで飛行機が動き始めた。途中、経由地の「山西省・太原」で飛行機が着陸した。「このまま飛行機内で待つのだろうか?それとも一旦降りるのだろうか?」がわからない。私の他は、全員が飛行機から降りて行ったので、私も急いで荷物を持って飛行機を降りた。空港内に同じ飛行機で「銀川行」という搭乗口があったので、そこで待機することに。近くに「喫煙室」があったので、直行した。経由地での一服は助かる。1時間ほどで再び飛行機への搭乗が始まった。もう時刻は午後8時30分を過ぎていた。午後、10時過ぎに「銀川河東国際空港」に到着した。出発予定時間から8時間近くが経過していた。目黒さんが迎えに来てくれていて、市内行の空港バスに乗る。40分ほどで市内に到着。そこからのたホテルまで20分間くらいをかけて移動。目黒さんの大学の学生が予約してくれていたホテルに到着したのは、午前0時を過ぎていた。タクシーに乗る前に買ったビールを飲み、眠りについた。

 翌朝、いつもの習慣で午前4時頃に目覚める。ホテルのテレビは映らないので、しかたなく、中国語の本を見ながら勉強して、明るくなるのを待つ。午前6時頃、明るくなる。7時頃に 近くの散歩に出る。屋台が5〜6軒。イスラムの帽子をかぶったおばさんの屋台で「牛肉餅」というものを買って朝食とした。この街の新市街とよばれる地域は ただ 「だだっ広」かった。7時半ころ、日曜日にもかかわらず 学校に行く高校生たちの通学風景を見る。電動バイクや自転車で通学する高校生たち。学校に行って受験勉強をするのだろうか。

 ホテルから歩いて15分ほどの所に公園があった。日本の「お盆」に仏壇によく飾る紫の「盆花」と同じものが咲いていた。朝の健康運動とおしゃべりをする人たち。この公園は「湿地公園」のようだが、ほとんど雨が降らないこの季節、湿地に水はなかった。シルクロードの乾燥・砂漠地帯によく見られる「ポプラや楡(にれ)によく似た」樹木の並木がシルクロード地帯ということを感じさせる。朝の出勤前なのか、男女の若者たちがたむろしている姿も多い。

 宿泊しているホテルに向かう。ホテル近くのショッピング゛モールで、舞台が設置されていた。今日は日曜日なので、何かイベントがあるようだ。舞台衣装に化粧をした、小学校3年生くらいの女の子が、おじいちゃん・おばあちゃんと一緒に来ていた。ホテルに戻る。エレベーター付近には、これもまた衣装と化粧をした若い女性のグループ。同じホテルに泊まったのだろう。

 このホテルは目黒さんが勤務している「北方民族大学」の学生が予約してくれたホテルだ。料金は168元(約2500円)。安いホテルだ。いろいろな部屋の写真案内がロビーに掲示されている。どの部屋を見ても、「落ち着いて泊まれる」ような部屋ではなかった。赤やピンクの色が多く、なんかラブホテルの部屋みたいだ。私が泊まった部屋は、クリスマスツリーがこの季節にもかかわらず置かれ、ハートマークの中でキスをしている飾りもあった。「ここで3泊か--」と思ったが、なにか最近「外国人が関係した殺人事件」があって、このような小さな安宿(外国人宿泊許可をとっていない)に 外国人を宿泊させることが厳しくなったので、2泊以上はできないと連絡が、予約してくれた学生より連絡があった。このため、18日(日)からは別のホテルを旧市内に予約してもらうことにした。料金は400元〜500元程度の希望を伝えた。

 午前10時ころに、目黒さんと日本語学科の学生2人(3回生)がホテルにやってきてくれた。さっそく行先について希望を伝えた。ある日本人がかって行ったことがある場所や写真を示し、「この場所の万里の長城を見たいのです」と伝えた。待たせてあったタクシーに乗車。運転手は40代半ばのおばちゃん運転手。さっそく学生に通訳をしてもらいながら、その場所に向かった(市の西側)。しかし、運転手は、あまりその方角や場所を知らないらしく、さかんに運転手仲間に連絡をとっていた。途中で、「そこに行くのは難しい」と言い始め、Uターンしてまったく反対方向(市の東側)にこんどは走り始めた。まあ、いいだろう。そこにも万里の長城はあるのだから。

 50分ほどタクシーで走って、「水洞沟」という場所に着いた。ここにも万里の長城が残っているようだ。ここは、3万年前から人々が生活をしていたようで、その遺跡や博物館があった。再現された大昔の家などもある。

 遺跡の石碑には「水洞沟遺跡」とある。また別の石碑には「中国史前考古的発祥地」とあった。中国新石器時代の重要な遺跡のひとつなのだろう。「上行参観明長城(さらに行くと、明の時代の長城に行きます)」との看板があった。タチイ葵が咲いていた。3万年前当時、人類が暮らしていた洞穴がたくさんあった。

◆次号に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

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