TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

雪道でのアクシデント

2017年01月25日 | 山(県内)


調子にのりすぎていた。
あっ!と思った時には、崖が目の前に迫り、愛車アトレーはコントロール不能に陥っていた。崖にぶつかると覚悟した瞬間、アトレーの前輪が溝に落ち、続いて後輪もはまり、そのことが摩擦となって車は止まった。
雪道でのスリップによる自損事故は一瞬にして起きたのだが、とても長い時間の出来事のように感じられた。

【側溝にハマり動けなくなったアトレー】



どこに原因があったのだろうか。
早めにチェーンを巻いたまではよかったが、これまでの自身の狭い経験で、自分は雪道は得意だと思いあがっていたのだ。また、目の前に広がる雪景色に舞い上がってしまい注意が散漫になっていた。
つまり調子に乗っていたのだ。


【うっすらと雪化粧した多良山系 ワクワクしながら山に向かう】


【諫早少年自然の家前で、早めにチェーンを装着】


【普通の雪道だったのだが…】


【「ヤッホー!」】


以前のブログにも書いていたが、アトレーは後輪駆動、前輪にはチェーンを巻かないので雪道での舵取りがやや不安定。しかし、これくらいの雪道はこれまで何度も走ってきたとあまり減速せずに坂道を下っていった。



スリップ直前の雪道。私の前に走行した車はないはずなのだが、轍が黒く残っていた。
実はこの轍は前日の走行で踏み固められた圧雪で、ツルンツルンのスケートリンクのようなものだった。



そして…



脱輪の衝撃とともに車が停止した時、右足はなんとアクセルを空ぶかししていた。
無意識のうちに、アクセルで車をコントロールしようとしていたのだろうか。
今回の雪道にはタイヤチェーンは無力だったのだろうか。
道具が無力というより、慢心し雪道の運転をなめすぎていたのだ。


けががなかったのは不幸中の幸いである。
車から降り、状態を確認した。
左の前輪、後輪が見事に溝にはまり、車体は左に傾いている。
まずは自力での脱出をあれこれ試みた。
溝に落ちた後輪、つまり駆動輪に石をかませれば動力が伝わるかもと周囲の石を運んだ。
小さい石から大きいそれへと順序良く並べたが、残念ながら後輪は空回りするだけだった。
次に、車体を持ち上げようと試みたが一人の力ではどうすることもできなかった。長い棒があればてこの原理で何とかなるかもと考え、雪の積もった林の中からそれらしい木の幹を探し出し試みたが、徒労に終わった。


仕方がない。任意保険のロードサービスに連絡すれば救出してくれるはずと携帯を手にしたが、無情の「圏外」。電波の届くところまで雪の中を歩かねばならず、いくつものアップダウンを超えて見晴らしのいい峠に立つ。はたして、アンテナは2本。つながったかと思ったら「ただ今、この電話は大変混み合っています。順番にお繋ぎしていますのでしばらくそのままでお待ちください」と、無機質な音声が流れる。2分ほど待って繋がる。ホッとしたのもつかの間、途中で切れてしまった。天気の関係で電波の状況が悪くなったのだろう。リダイヤル、繋がったと思ったらまた「ただ今,この電話は…」と最初からやり直しだった。これも途中で切れる。

さらに高台を目指して移動すること5分。「シャクナゲ広場」の看板がある高台に出た。天に祈る気持ちで携帯を開くと、アンテナ3本。

【電波が通じた高台】


例によって機械による音声案内を経てオペレータへ。まず携帯の電池がなくなりそうであることを告げ、脱輪している場所を手短に伝える。この後はそちらからの電話は受けれない旨も伝えた。後は救助を待つのみ。

しばらくは、シャクナゲ広場で散策。
あるのは知っていたが足を踏み入れはのは今回が初めてである。こういうことがないと単なる通過地点だ。自生なのか移植なのかよく知らないが、しっかりと花の芯が付いている。花の時季にもう一度訪れなければとそんなことを考えながら現場に戻る。







電話さえ繋がれば、救援の業者から連絡が来て詳しい打ち合わせができるのだろうがそれができない。

待ち時間を利用して昼飯にすることにした。今回は初めての試みでカップチャンポンに餅を入れることにしていた。雑煮風である。ラーメンでなくチャンポンに入れるのがこだわりである。そのため、普段は使わないコッフエルを準備してきていた。コッフエルを使うのは30年ぶりくらいだろうか、いまだにきれいにしている。



まずは餅を温めないといけない。
あらかじめ家で沸かしてTERMOSに入れてきたお湯をコッフエルに移し、餅を入れて再び沸かす。沸騰したら火を止め餅を入れて5分ほど待つ。餅が柔らかくなったら再び沸騰させてそのお湯を餅ごとカップめんの中に入れる。5分待てば出来上がり。



【救助隊到着!】


救助隊2名。レッカー車が来ると思っていたら軽トラでふもとの自動車整備工場の方が2名来てくださった。まず、前輪をジャッキで持ち上げて溝のところに道板を敷く。次に後輪だが、ジャッキを差し込む隙間がない。そこで私も含め3人で持ち上げることにした。「せいの!」掛け声よろしく、約20㎝持ち上げそのまま平行移動に成功。かくしてアトレーピンチを脱出。支払いを訪ねたら任意保険のロードサービスだから不要だとのこと。雪の山道をはるばる来てもらったのだから、福沢諭吉先生の2~3枚は覚悟していたのに、なんだか得をした気分になった。山の中での作業だったのでお礼に手渡す品もなく、丁重にお礼を言ってお別れをした。

【まずは前輪をジャッキで持ち上げる】


【後輪にはジャッキを差し込む隙間がない…】


【ピンチを脱出したアトレー】



さて、時計は1時を回っていたが、これからが雪の多良岳登山の始まりである。多良岳は登り慣れた山だから、おっと油断したらアトレーの二の舞になる。気を引き締めて登らねば…。
続きは次回に!
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