ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

戦国の世を、格好良く生きた男、伊達政宗

2017-02-22 09:49:52 | 日記
    戦国の世を、格好良く生きた男、伊達政宗
 伊達政宗、恐らく日本人なら誰でも知っている戦国武将で、私の好きな歴史上の人物の一人でもある。
若くして伊達氏17代の当主になり、頭脳明晰で冷静・沈着そして並外れた行動力で初代の仙台藩主として、戦国時代から江戸初期までを生き抜いた希代まれな感性とバランス感覚を持った人物と言われる。
そんな彼の生きざまと人生観は、現代を生きる我々にもストレートに伝わるものがあるように思う。
 私の好きな彼の言葉を幾つか拾ってみる。
「仁に過ぐれば、弱くなる」。
「義に過ぐれば、固くなる」。
「礼に過ぐれば、諂(へつらい)になる」。
「智に過ぐれば、噓をつく」。
「信に過ぐれば、損をする」。
など、現代にもそっくりそのまま当てはまる。彼のリーダーとしての感性とその図抜けた、バランス感覚が感じられる。
 そして、彼の人生観、人生哲学の根源にあるものは、この世を「客人として、謙虚に生きる」ことにあるように思う。
 「気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備うべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば何の苦もなし」
 「朝夕の食事はうまからずとも、ほめて食うべし。元来客の身なれば、好き嫌いは申されまじ」
 と言っている。
東北の大大名にも拘わらず、家族や家臣への気遣いを忘れず、自らも常に節制と倹約を旨とし、自らの言葉で人間としての日常の心構えを説いている。
 そして、時世の句を「曇りなき、心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」と詠んでいる。
先の見えない乱世を、自らの思いを月明りに例えて、精一杯生きてきた自らの「悔いなし」と思われる人生を振り返った句であろうと思う。
その時世の句を詠む前の、終い支度ともいえる句が「今日行くを送り、子孫兄弟に良く挨拶して、娑婆のお暇申すがよし」である。
 「客人として、この世を謙虚に生きる」ことが、彼の生き様の根幹であり人生の美学であり、この世を去る際の心構えを語った句が「今日行くを送り、子孫兄弟に良く挨拶して、娑婆のお暇申すがよし」なのであろう。
下剋上の乱世を生き抜いた戦国武将としての顔と、当代随一の伊達男としての顔とそして、客人として、この世を謙虚に生きるという多極のバランスが彼の真骨頂かも知れない。
  「朝夕の食事はうまからずとも、ほめて食うべし」「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」と謡った、伊達政宗が突如思い出される。
きっと、三日連続でのプロ野球観戦で、心身共に疲れているのかもしれない。


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