ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

民進党はなぜ政権の受け皿になれないのか?

2017-08-07 23:29:50 | 日記
     民進党はなぜ政権の受け皿になれないのか?
 「民進党がダメな理由は何か?」のタイトルでネット記事を手繰ってみた。
かなり多くの検索をかけたが、「政策や理念がバラバラ」というのが唯一ともいえる、明快な理由であった。
後はドウデモいいような理由、要するに「駄目だからダメ」の類の理由しか見つからず、納得と落胆の気持ちが入り混じる、何とも複雑な気がした。
 この結果は、今の民進党に対する、国民の期待や意識レベルの現れに思える。
さる2日の東京都議選で、自民党が議席を57議席から23議席へ減らす、歴史的な大敗を期したにも係わらず、民進党は議席を増やすどころか自民党以上の大幅議席減(19議席から5議席)の信じられぬ結果に終わったのである。
 この間も、自民党が度重なる大臣らの不適切発言や傲慢な国会運営で、何度も支持率を下げる局面があったが、それでも民進党の支持率は上がらず、むしろ自民党以上に支持率をさげ続けてきた。
この事実が、今の民進党の全てを物語っているように思う。要するに、今の民進党は敵失ともいえる自民党の失策があろうと、なかろうと民進党の支持率は上がるどころか、下がり続けているのである。
自民党がどんな失政を行おうが、何しようがその反動票が民進党にはいかないということである。国民のこころには、「あの民進党よりはまだまし」という、致命的な民進党への不信感があるように思う。
はっきり言って、民進党が自力で再生することは99%不可能に近い。端的な理由は二つある。
 その第一は民進党は押しも押されぬ自民党の亜流政党だからである。
政治思想・信条も政策もほぼ自民党と同じで、政治的な経験値は自民党に劣るとなると先は見えている。
 第二番目は、政党としての基本的な政治理念とそれに基づく明確な政策(政治・経済面で)も姿勢も見えないからである。「国民に寄り添ってくれる」という、期待感もほぼない。
 自民党の主力議員には安倍首相はじめ、麻生副総裁など「大日本会議」のメンバーが勢ぞろいしているが、民進党の首脳の中にも9名ほどの大日本会議のメンバーがいるといわれる。
一国の政治に、これほど一党一派の勢力が偏ると辿る道はただ一つ、横暴、不遜で傲慢な独裁色豊かな現在の安倍自・公政権が出来上がる。
仮に民進党がリベラルの旗を掲げるとしたら、憲法も、辺野古も、原発も、集団的自衛権も
、更には対米従属も、対米自主路線もすべてが、呉越同舟にしかならず政党として一貫性のある政策が示せるとはとても思えない。
 更なる問題は、多分自民党議員の多くは親米派であろうと推察できる。そして、民進党の中にも松下政経塾出身の政治家は親米派の人が多いと聞いている。
沖縄辺野古を含めて、日本の戦後の問題は対米従属に帰する問題が多い点でも、同一政党でまとまれる様な問題ではない。
 これまで、松下経営塾出身の政治家には長い間違和感と大いなる疑問を抱いてきた。
経営の神様松下幸之助が育てた政治家の多くは、「民に寄り添う心」ならぬ、大企業や強大な権力に寄り添う政治家を育てたようにしか思えない。
 他に気になることは、連合との絡みである。昨今の連合はどうも、勝ち組的なポジションに近くなりすぎた、ような気がしてならないからである。
政府との労働交渉にしてもブレが目立つ気がする。
一説によると、一部大手メディア同様、大企業との連動・連携が見え隠れするとも言われているからである。
 民主党の立ち位置を最も、不明確にしているのは沖縄問題である。
沖縄県民の7~8割が反対している、辺野古への新基地建設を推進するという民進党の考え方がわからない。マイナー県民(人口の1%弱)の声は、タダの雑音に過ぎないとでも思っているのだろうか。
 沖縄の声は戦後70年経っても、半植民地的な日米地位協定の中で構造的な差別に喘ぐ県民の悲痛な叫びでもある。県民の基本的な人権や生活権をかけた願いさえも無視する政党に国民の支持が集まるはずはないと思うのだが。
どこを切り取っても、一貫性も、「らしさの欠片」も見えない。見えるのは対米従属のこころだけだろう。
 対立軸を示せぬ政党は、もはや存在価値もない、国民の支持が集まるわけがない。
民進党の自力再生は殆んど不可能に近い。政界再編の手始めは、まずは、自民党に近い民進党(他の野党を含む)の議員は自民党に集結すべきである。
純粋に「対米従属保守」の本来の姿を国民に率直に示すべきである。それが政治家としての最低限の良心だと思うのだが。この辺が最大のポイントである。
「米国ありき」のこころで、国民本位の政治ができるわけがない。
与党も野党も、いつまでも「ごっこの世界」、呉越同舟の野合はもうやめにしよう。
勿論、対立軸は親米保守か、対米自主路線である。憲法、原発、経済政策などすべての問題がある程度議論・整理できる。これがスタート地点である。
それが、本来の二大政党実現への近道になると思う。







ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「大転換」に思いを馳せる | トップ | 確かな実感、「ゆとろぎの時」 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事