ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

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居酒屋論議、「歴史の終わり」&「歴史の危機」

2017-06-09 15:46:47 | 日記
  「歴史の終わり」&「歴史の危機」
歴史の終わり、とか歴史の危機と言っても、ハルマゲドンとか終末論の話ではない。
いま書店の店頭には、「資本主義の終焉と歴史の危機」「資本主義以後の世界」「資本主義を超えて」「グローバリズム以降」「さらば民主主義」など民主主義、自由貿易、市場経済、新自由主義思想の政治経済体制への批判と資本主義以後の社会経済体制への転換をテーマにした書物があふれかえっている。
 この30年来の世界経済は、情報化とグローバリズムが目まぐるしいほどのスピードで加速してきた時代であった。
80年代のイギリスのサッチャー首相、米国のレーガン大統領は第二次石油危機を乗り切るべく、徹底した新自由主義の経済政策をとってきた。小さな政府、規制緩和、高額所得者減税、公共投資など徹底したサプライド政策である。
レーガノミクスと呼ばれた新自由主義のサプライド政策がのちの米国のインチキ金融商品をも生み出し、世界経済を大混乱に陥れたリーマンショックにつながる。
 1989年」ベルリンの壁が崩壊(冷戦終了)し、91年にソ連が崩壊すると世界の経済潮流は一変する。
冷戦終了、ソ連崩壊による共産主義経済の消滅は結果、資本主義経済的手法の勝利を証明するものになった。
 このような政治・経済・社会情勢下で日系3世のフランシス・フクヤマが唱えたのが「歴史の終わり」である。「資本主義は無限に自己修正を続けられる政治形態なので、革新や大きな変革をする必要がなくなった」。
という意味で「歴史は終わった」と言ったのである。
 しかし、これまではクローバリズムの象徴的な存在であった英国やアメリカのEU離脱やトランプ大統領の誕生は明らかに理屈抜きのグローバリズムへの反発である。
自由と平等の民主主義をバックグランドに、各国が関税等の貿易規制を解除し、自由闊達な市場原理のもとでの自由貿易を実現すれば全体が最大限の利益を享受できる、はずだった自由貿易を実現するクローバリズムは殆んどの國の国民を幸福にはできなかった。
それどころか、世界の各国で国民の経済格差と貧困がますます拡大し、世界に不幸をまき散らす結果しか招いていない。
 一橋大学の中谷巌名誉教授はグローバリズム(資本主義)の三つの根源的欠陥を次のように指摘している。
① 実体経済をはるかに凌ぐ規模で、しかも短期マネー論理で投資・投機を繰り返し世界経済を不安定化する。
②あくなき自己増殖の実現は「自然の搾取」が不可欠で、環境を汚染し破壊する。
③グローバル競争は富の偏在、所得格差を拡大し、社会を二極化する。
 全ての価値が市場原理で決められ、文化も自然も伝統的価値観も無視され、市場原理の貫徹のために労働力が商品化されるに至り、人としての最低限の人権や生活権さえも無視される社会になってしまったのである。
 グローバリゼーションとは、「ヒト、モノ、カネが自由に国境を越えて移動することであり、その実態は絶え間なく辺境への収奪を拡大し続けようとする経済帝国主義的なエネルギーである。
辺境とは経済空間としてのフロンティア(開拓地)であり、具体的には途上国としての陸地であり、そしてそこに住む低賃金の労働者の存在でもある。
グローバル資本はフロンティアを求め、あらゆる地球の隅々にまで出かけ、資本を投下し「利潤の蒐集」を行ってきた。
大森林の中での焼き畑農業的手法を地球規模で拡大し、世界のいたるところで土地も働く人間も地球資源も全てを収奪の対象にしてきた。
 しかし、もう地球には資本主義の拡大再生産を支えてきた新たなフロンティアは存在しなくなったという。
また水野教授は「長期金利は資本利潤率の近似値で、利子率=利潤率が2.0%を下回った状態ではいくら資本を投下しても利潤を得ることはできない」というのは金利の歴史が証明している」という。
「利子率2%以下では資本の回収がほとんど難しいい」と言われる中で、更に金利を下げてもタンス預金が増えるのみで、新たな投資は増えるはずはないのだから。
日銀のゼロ金利政策やアベノミクスの成長戦略は時代錯誤の茶番劇でしかない。
 『このような「人類史上最長と言われる、21世紀の超低金利」時代では「実物投資空間」からは、もはや資本を蒐集することができなくなった』。と水野教授は指摘する。
水野教授がなぜあえて「資本の蒐集」という言葉を使うのか、私にはわからないが蒐集=収集でもあり、資本の収集の場合は必ずその蒐集(収集)は市場原理の中で行われるので、そこはやはり蒐集=収奪=搾取のニューアンスが色濃いと思うのだが。
 教授は資本主義終焉後に生き残るのは、グローバリズムとは正反対の「閉じた帝国」であり、今世界はまさに、その「閉じていく」プロセスに向かっているのだという。
その象徴的な例が、英国やアメリカのEU離脱やトランプ大統領の誕生だいう。
 資本主義経済はこのような宿命的な問題点を内包し、グローバリズムの敷衍には市場原理の貫徹が不可欠である。
そしてその市場原理が最も効率的に効果を発揮できるシステムが自由貿易システムに他ならない。
 資本主義の発展=市場原理の貫徹=フロンティアの開拓=グローバリゼーション=自由貿易と考えると分り易い。
しかし、自由貿易を否定する者は経済無知、政治無知、国民の敵、もっと言えば社会悪の根源的な風潮さえある。悲しくも、信じ難いがこれが今の日本社会の認識レベルの現状でもある。
 今の世界的な政治・経済及び社会のシステムの危機や精神的な閉塞感や危機感の根源にあるものは社会的な寛容さの欠如や個人的な価値観の狭小化などにあるとも言われる。
ずべての価値尺度が「今だけ、カネだけ、自分だけ」の価値観になってしまったような気がする。
水野教授のいう「社会の全てが、市場原理に包摂」」されてっしまった結果なのだろうか。 誰かの言葉を借りれば、ケインズの言う「人間の生き方」とは、「人生の目的として、人間交流の楽しみ=愛、美しきもの接すること=美、そしてケンブリッジの知性主義=真をもとめる」こと、だという。
ケインズが資本主義の先にあるとみなしたものは「愛、美、真」なのだという。
 水野教授は「アメリカとともに成長教の茶番劇を演じ続けるのか、ポスト近代システムの実験へと一歩を踏み出すのか。
世界的ゼロ成長が完成しつつある今、日本は危機の本質に立ち戻って考えなくてはならない」と結んでいる。
 今月から琉球新報の「日曜の風」欄に登壇予定の、浜矩子同志社大教授は、この時代錯誤のアベノミクスの経済政策を「アホノミクス」と酷評している。日本社会がこのアホノミクスから解放される日はいつなのだろうか。




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