ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

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自分探しの旅は 違う景色の見える道

通販雑誌、「通販生活」に見る政治の役割

2017-05-17 12:17:49 | 日記
    通販雑誌、「通販生活」に見る政治の役割
 通販雑誌、「通販生活」については店頭で、その表紙を見かけた程度でほとんど手に取ったことはない。
昨日の琉球新報の文化欄で、「差別まっぴらごめん」「買い物誌こそ政治記事」を読んで驚いた。
メディアとして、当たり前のスタンスで、当たり前のことを当たり前に取り上げることがこんなにも新鮮で、素晴らしい感動と驚きを与えてくれるのである。
 1973年の第一次石油ショックを端緒に、世界の資本主義経済は一気に衰退の方向へ向かうことになる。
米国経済の衰退で為替の固定相場が維持できなくなり、為替が変動相場へ移行したのである。
所謂、戦後のブレットンウッズ体制の崩壊はそのまま、資本主義社会の黄金時代の終焉であった。そして79年の第二次石油ショックはそのまま、世界同時不況に直結していったのである。
そんな混沌とした世界経済の中で、登場したのが鉄の女と言われた英国のサッチャー首相(79年)であり、81年に就任した米国のレーガン大統領であった。
 いずれも、小さい政府、規制緩和、市場原理主義、自己責任を掲げてサプライド政策を世界的に推進した。
そのサプライド政策が自由貿易の推進、でありグローバリズムを推進する新自由主義の経済政策であった。
大企業や巨大金融資本、金持ちだけのための「今だけ、カネだけ、自分だけ」の世界空間が再生されたのである。
これが結果、全世界に経済格差と貧困を限りなく再生産し続け、政治・経済のみならず国家・国民の心の荒廃、知的衰退まで叫ばれるようになったのである。
 自分の主義、主張以外は全て虚偽、嘘、偽物と断じ、他者の存在すら認めない社会風潮、ヘイトやフェイクニュース、オルタナファクトがが蔓延しあらゆる、世界・階層でポスト・トウルースがシンドロームになるのがまぎれもない昨今の現実社会である。
 東北の震災復興や沖縄の辺野古など、の政府対応に見られるように政治家や当局の利益にならない案件は、国民も政府も比較的冷淡である。
中間層の没落が言われて久しいが、そのためかその中間層にも心のゆとりがなくなったのだろう。
国民の多くが他者と自分事を無意識のうちに区別しだした様な気がする。
特に大手マスコミのスタンスが心もとない。
時代や国民のオピニオンリーダーとしても、本来の権力の監視機関としてもその存在感は影が薄れてきている感じは否めない。
本土の大手マスメディアでは、沖縄辺野古の問題もほとんど取り上げなくなったことも事実である。
そんな中で、通販雑誌の今回の記事は極めて新鮮で驚きで、感動ものでさえある。
 政治や経済関連とか社会記事を扱う雑誌でさえ、まっこうから取り上げることの少ない沖縄の基地問題を真正面から普通に取り上げてくれたのである。
それも、読者からの批判を受けながらも、一人の人間として、普通の社会人として出版者のあるべき立ち位置を明確にし、自信をもってその批判にもこたえているのである。
 「買い物とは暮らしである」そして「買い物は政治に直接影響を受けます、戦争となれば、真っ先に制限されるのは買い物です。
買い物雑誌こそ、戦争と平和について考えるべきであり、具体的には憲法や安全保障などの問題を積極的に取り上げるべきと考えている」というのである。
実に単純明快、これ以上の言葉は何もいらないだろうと思う。
このポリシー、この明確な立ち位置の説明とそれに基づく行動を批判できる人間がいたらお目にかかりたいとも思うほどわかりやすい。
 特に、沖縄辺野古の問題なども『「沖縄差別、まっぴらごめん」です。日本全土の0.6%の面積に在日米軍専用施設の70%も集中しているのはどう考えたもおかしい。
日米安保への賛成率が最も高い都道府県に引き取ってもらおう」』などの明確な主張もしている。
 生前、俳優の菅原文太さんがオール沖縄の決起大会で「政治の役割は国民を飢えさせないことと、絶対に戦争はしないこと」と言い切った姿を今でも思い出す。
学問的・体系的な理屈ではなく、「政治とは人間の暮らしそのものを守る」(小沢一郎)ことだと思う。
戦争を避け、平和で安全な国土を守り、国民の自由・平等や人権を守り、教育や子育てなど次世代を担う若者が希望の抱ける社会を目指すのが政治の本来の役割だろうと思う。
 暮らしのためにあるべき政治が、権力の座に就いた一握りの人間やその既得権益を守らんとする一部の人間により私物化が繰り返される事実はいつの世にも存在する。
政治が本来の「人々の暮らしを守る」から、政治によって「自らの生活の糧を得る」手段になっは、とても近代国家とは言えまい。
不都合の言い換え・代替の真実などもってのほかである。
人々の暮らしを守るために、絶対にしてはならないこと、それは個人的にも政治家としても政治に市場原理を持ち込まないことである。




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