生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

「苦難は、学ぶ機会であり、そして恵みだ」と思った。

2017年01月06日 | 「ブッダの言葉」序
ぎっくり腰とディオニュソス。
妙な組み合わせですが、私が、「いかに(人生)立つか」「いかに坐るか」に真剣に取り組むことを促してくれたのは、この二つです。

ぎっくり腰になったおかげで、その痛みにより、「これまでの姿勢が悪い」と気づかされました。

ぎっくり腰が完治しないうちは、知らず知らず悪い姿勢ていると、「痛み」が姿勢の悪さ、自分自身で辛苦を作り出していることを教えてくれます。

「もしも、ぎっくり腰になっていなかったら…」どうなっていたてしょう?

自分の足や腰に害を与え続けるだけでなく、人の足や腰にも害を与え続けていたと思います。

「足の痛みを我慢して、ただ坐る、これだけだ」

なんて、害毒を垂れ流していたように思います。(恐ろしすぎる…)

これを思うと、ぎっくり腰は、私にとって本当に恵みでした。

ギリシャの誰か哲人の言葉に、「苦難は学問である(パテーマはマテーマである」とあります。

パウロは、「パテーマ(苦難)はカリスマ(恵み、賜物)である」ということを繰り返し言います。

本当にそう思います。苦難は、大切な学ぶ機会であり、天からの恵みだと思います。

ちなみに今、関空。22時45分出発予定の飛行機が飛ばない…。はたして、アテネ、ディオニュソスの元にたどり着けるのか?

 
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天正寺(住職・佐々木奘堂)... | トップ | 私の人生最大の問題 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (koma)
2017-01-06 23:16:50
偉人たちは皆、このタイトルの言葉を言いますね。
達観した人はそう思えるんですね。
私はエネルギーがないから、何事も起こらないといいなあなどと思ったりしますが、同じ人間でこういう心境になれる人たちがいるというだけで、心強い感じがします。
Re (じょうどう)
2017-01-11 15:23:10
コメントありがとうございます。
少なくとも私は「達観したから」そう思うのとは違います。
自分にとって悪い環境だと思っても、すごく後になると良かったことも多いし、
自分が良い環境だと思うものが、実は、自分や他人に多大な損害を与えていること、
自分の人生を振り返ると、こういうのばっかりですので、
自分が思う良い環境・悪い環境って、ほとんどあてにならないなと思うようになりました。

コメントを投稿

「ブッダの言葉」序」カテゴリの最新記事