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「HANA 奇跡の46日間」と荻村伊智朗の偉大さ

2013-05-08 23:11:05 | スポーツ


久しぶりの映画。
「HANA 奇跡の46日間」
1991年千葉で行われた卓球世界選手権での南北統一コリアチームを題材にした映画。

映画に付いての感想はこのブログ
的確に言ってくれていて完全に同意なのでこのブログが言ってない部分を。

・現実では決勝で優勝を決める活躍をしたユ・スンボクだけが本人とそっくり!!
・男子韓国代表のオ・ドゥマンの(遊園地シーンなどの)私服センスがインパクト大。
 (「本格芋焼酎霧島」のTシャツはたぶんユニクロのものなので時代が一致しない!!)
・自分の一歳下の監督が作ったとは思えないほどに昔の汗臭いスポコンものテイスト。
・映画なので事実とは違うものになってもいいと思うのだけど、事実を曲げたところがいちいち
 くっさいスポコンものになってしまっているのが残念(雨の中での座り込み嘆願とか)




けれどこの映画が大収穫だったのは荻村伊智朗を深く知るきっかけになった事だ。
荻村伊智朗についてはくわしくはここにあるが
世界チャンピオンに(団体戦を含めて)12度輝き引退後に国際卓球協会の会長まで務めた
「ミスター卓球」と呼ばれた人だ。卓球の面白さに魅せられて日が浅い自分が言うまでも
なく卓球界では有名な人で、関連著書もたくさん出ている。
ずっと読もう読もうと思いながらも、図書館で借りては読めずに返却を繰り返していたが、
この映画をきっかけにやっと何冊か買って読んだ。


こんなに面白い人だったのか。


高一で始めた卓球を上達するため、
母親が記者をしていた事もある雑誌(主婦之友)を持ち出して売っぱらったお金で
都内各地の卓球場を渡り歩き、お金が無いので夕食はコッペパンで、
30分おきにカバンから取り出しマーガリンを塗ってかじりながら試合をしていた
というエピソードがまずスゴイ。
そして、チームメイトの家が火事になったために
皆の練習着を集めて使ってもらおうという事になったら、荻村だけが
「僕のシャツにはすべて、卓球への思いがこめられてるんです。
 他人に譲れるものなんてありません。一枚だって、僕は出せない」
と拒否したり、
「運動選手はチャンピオンが一番偉いんだ。オレは君たちより努力したから、
 チャンピオンになれたんだ」
と堂々と言ってのける強気な性格。事実12回も世界王者に輝いている。



しかしこの人は選手としてだけじゃなく引退後の活動もスゴイのだ。

まず、学生時代に自ら脚本、出演(荻村は日芸の映画学科だったのだ)した「日本の卓球」という
映像が海外に出回り、後の海外トップ選手達に多大な影響を与える。
中国卓球界の指導者の資料室にはこれがおいてあり、元中国王者の荘則棟は当時中国映画館で上映
していたこの作品をカネがないので土下座してまで見せてもらったという。

そして、米中ピンポン外交の影の立役者。
国共内戦の爆撃を避けるため洞窟に卓球台を持ち込んでいたほど卓球好きだった毛沢東と周恩来。
現役引退後、その周恩来に招かれ、
・纏足という悪習慣を無くすためには老若男女誰でもできるスポーツを普及させたい
・そのためには安価などこでもできるスポーツでないと駄目。卓球は適している
・欧米に対する劣等感を払拭させるにはスポーツが有効で、日本がやったように中国も卓球で
 それを実現したい
という理由で卓球を中国で普及するために力を貸して欲しいと言われる。
その時の縁がきっかけで1971年世界卓球名古屋大会の中国復帰参加→米中国交復活のピンポン
外交を裏で支える。(表で主力となって活躍していたのは当時日本卓球協会会長だった後藤二)

それから、ITTF(国際卓球連盟)会長としての活動
1987年にITTF会長に就任してから、この映画の題材にもなった統一朝鮮チーム実現に向けての4年後しの交渉。
時間を追ってみていくと、

・1988北朝鮮を世界卓球新潟大会へ参加させる。
 が、北朝鮮が朝鮮総連等と会食した事が問題とされ、それに憤慨した北朝鮮チームが途中棄権
・1988北朝鮮ソウル五輪をボイコット
・1990北京アジア競技大会へ北朝鮮卓球代表を参加させる
・1991世界卓球千葉幕張大会で南北統一チーム参加を実現させる

という流れだ。
荻村は朝鮮関連の本を読み漁り、直前に両国になんどもテレックスを送り、
何度も現地交渉を重ねたうえで実現させたらしい。
また、合同チームの合宿場所を北と南のどちらにするかで揉め危うく頓挫しそうになった時に
すぐさま荻村が機転を利かせて日本の長野と新潟に場所を確保したエピソードもおもしろい。
当時長野は、冬季五輪を誘致している最中で荻村は「これは誘致にもプラスになるだろ」という
誘い文句でトップの承認を得ないままコネをつかって進めた話らしい。
そういう交渉術にも長けた人なのだ。卓球が強いわけだ。
そしてこの人がスゴイのは実はこの大会後なのだ。
統一女子チームの優勝という大成功な結果で終わった大会二週間後に荻村は南北両国へ赴いて、
なんと四年後に世界卓球南北共同開催しようと打診してたのというのだ。

「団体戦を北でやってバスで板門店を通って南で個人戦をやるのはどうですか?」

と言ったらしい。
もうその先を見ていてそのために動き出している。
結局実現はしなかったけれど、どこまでもスゴイ人なのである。

この他にも、
サウジを中東の競合チームにするための強化計画や
アフリカ地区の強化をしてアジア欧米以外の底上げを計ったり
ベンクソンというスウェーデンの世界チャンピオンを育てたり、
父親のルーツだというだけでその事を秘密にしながら
長野県樽川村にITTFの卓球博物館を創ろうとしたりと
やることがどれもおもしろい。

まだまだ他にもいろんな逸話があるのだが
とにかくこんな面白い人を知るきっかけになったので
この映画を見て良かったのである。
映画以外にこの大会について朝鮮側が創った作品って何かあるのだろうか?




卓球・勉強・卓球 (岩波ジュニア新書 105)



買い求めやすい文庫版「ピンポンさん」の七章だけでも読めばこの映画に深みが増すと思うし、
「卓球・勉強・卓球」は荻村自らの書いた自伝といえるもので面白かった。
(古いので映画の部分は書いてない)








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