天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

水原希子 靖国にNO リテラに利用される

2016-10-15 22:12:00 | 時事
リテラ---------------------------------コピー

水原希子が靖国神社にNO!「私は世界平和を支持し、戦争に断固反対する」高市、丸川ら参拝政治家は水原のメッセージを知れ!




 きのう戦後71年を迎えた、終戦の日。安倍晋三首相、稲田朋美防衛相の靖国参拝は回避された一方、高市早苗総務相、丸川珠代五輪担当相、萩生田光一官房副長官ら安倍政権幹部をはじめ多くの政治家が相次いで靖国神社を参拝した。

 参拝した高市、丸川はいずれも、「国策に殉じた方に、尊敬と感謝の気持ちで参拝した」「慰霊のあり方は、外交問題になるべきではない」などと主張した。

 しかし、靖国神社はただ祖先信仰や死者の霊を敬う場、日本の伝統にならった神社などではなく、大日本帝国が戦意を煽るために恣意的につくりあげたものだ。

 実際、外遊日程を入れることで靖国参拝問題をごまかした稲田防衛相は、

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(赤池誠章衆院議員らとの座談会、「WiLL」06年9月号/ワック)

「首相が靖国に参拝することの意味は『不戦の誓い』だけで終わってはなりません。『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば、国難に殉じた人々の後に続く』という意思の表明であり、日本が本当の意味での『国家』であることの表明でなければならないのです」(渡部昇一、八木秀次との共著『日本を弑する人々』PHP研究所)

などと語っており、明らかに靖国を先の大戦の慰霊の施設ではなく、国民をこれから戦地へ送り込み、国に命をかけさせるためのイデオロギー装置ととらえている。

 今回の高市総務相や丸川五輪担当相らのように靖国参拝を肯定する政治家たちの「国のために尊い命を捧げた方々に追悼の意を表するもの」などというのは、詭弁にすぎない。

 言っておくが、靖国に祀られている英霊とは戦前の大日本帝国のご都合主義から選ばれたものであり、たとえば数十万人にも及ぶ空襲や原爆の死者などの戦災者は一切祀られていない。靖国神社を参拝するということは、先の大戦に対する反省や、多くの国民を犠牲にした贖罪を伴った行為とは真逆の行為なのだ。

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リテラがいくら「朝日に入れなかった頭の悪い左翼がかいている」(池田信夫談)と言ってもこの靖国神社に関する論評は戦後日本が作り上げてきた歴史観であり、保守の主張を利用して、また一般戦災者数十万の犠牲の贖罪意識を利用して靖国参拝への矛盾性を突いたそれなりに筋を通した論理であると、評価せざるを得ない。

そして皇室、靖国神社を右翼、極右と軽んじてしまった多くの戦争を拒絶した日本人は現在では、ジェンダーフリー、といった多様性をも認めつつあるのだ、水原希子氏は米国と韓国のダブルで日本で活躍するモデルである。

「私は世界平和を支持し、戦争に断固反対する」

という当たり前の常識と靖国神社NOというお門違いの無知で非日本的な靖国観を意図的に取り上げて、日本の若者達の世代に常識化させることが狙いであることは容易に想像できる。

防衛費を"人を殺す予算"と言ってみたり、安保法案を"戦争法案"と言い換える共産党とほぼ同一の靖国の解釈である。



此処でリテラが自分達の論理展開に利用している
稲田防衛大臣と渡部氏八木氏の共著の引用の解説をしておこう。

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです。」

「首相が靖国に参拝することの意味は『不戦の誓い』だけで終わってはなりません。『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば、国難に殉じた人々の後に続く』という意思の表明であり、日本が本当の意味での『国家』であることの表明でなければならないのです。」


渡部、八木両氏は稲田大臣の発言の補足説明をしているのは誰が見ても分かる。

両発言をリテラが理解するためには先の大戦が何の為に戦い、靖国神社をどう捉えるべきか、また日本人にとってそもそも靖国神社は何なのか、を解っていながら、解らないふりなのか、はたまた、本当に解らないのか?

普通に、"靖国神社は不戦の誓いをするところでは無い"、"何かあれば後に続け"と聞けば、『無抵抗に兵士を量産する装置』に聞こえ、靖国は戦争礼賛の神社と左翼は変換する。また、それを狙って引用している。

これを日本人のアイデンティティすら理解していないものに説明することが果たして有効であるかは解らないが、端的に言えば先の大戦は日本存亡の危機であって誰も止めることが出来なかった戦いであり、國體を護持することで戦いを辞めた。つまり、日本を日本のまま残すことの戦いであった、とも言える。

この解釈が「天皇の為に死んでいった」となるか
「残された家族を守る為に」の違いであり、それによって靖国神社の解釈に差がうまれる。

日本国民に赤ちゃんが誕生した時にお宮参り、七五三で神社に行くように、靖国へ参拝する目的は
現在日本人として生きていることを先人に感謝を捧げる為であるが、それに一般国民であれば「二度と繰り返さない」「我々も見習う」といった感情が添加されるであろう。

それが不戦の誓いであっても構わないが、政治というまつりごとに関わる議員や閣僚、首相になると意味合いは変化せざるを得ない。

したがって、渡部氏、八木氏の
「首相が靖国に参拝することの意味は『不戦の誓い』だけで終わってはなりません。『他国の侵略には屈しない』『祖国が危機に直面すれば、国難に殉じた人々の後に続く』という意思の表明であり、日本が本当の意味での『国家』であることの表明でなければならないのです。」

が、本来独立国である日本の首相としての真っ当な参拝の目的であり、そこに靖国神社側の目的である祭神への慰霊、鎮魂、顕彰がただひたすらに行われるのである。

リテラの魂胆は若者の靖国神社に対する倒錯した感情を利用した政権批判であり、靖国神社を過去の遺物として何処か遠い異国の神社として扱い、一般戦災者は祀られていないので廃止した方が良いと言わんばかりである。

言っておくが靖国神社に祀られている御英霊は246万人もの日本人が今ある日本を守る為に命懸けで戦ったのであり、その意味で私個人としては東京大空襲、広島、長崎、そして全国の戦災者も分け隔てなく心の中で合祀しているのだ。

しかしながらこれを実際に行わないのはそこまですれば、必ずや日本人はいつの日か再軍備してアメリカと戦わざるを得なくなるかもしれなかったからであろう。

私は靖国神社とは戦わずして平和を維持して行く為の装置だとも考えている。その為にも戦わない最強の軍備力を持つことも吝かでないとも感じる。
この国にリテラのような共産主義者がいる限り、一人前の独立国となることは無理なのだが。
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