天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

まだ靖国神社NO3に拘泥するのか

2017-08-10 12:08:31 | 時事
 Yahooニュース

靖国神社元幹部「中曽根首相参拝の時は閑散としていた」


靖国神社元ナンバー3(禰宜)の宮澤佳廣氏が上梓した告白本『靖国神社が消える日』(小学館)。「靖国神社を宗教法人でなくし、国家護持に戻すべきだ」といった主張が議論を呼んでいるが、その一方で同書には、これまで知られてこなかった靖国神社をめぐる秘史が書かれている。著者の宮澤氏が、中曽根首相の参拝時のエピソードを紹介する。

 * * *
 私と靖国神社との出会いは、昭和60年に遡ります。この年の8月15日、中曽根康弘首相による初の靖国公式参拝が行われました。その日は、それから21年後に訪れる小泉首相による終戦の日の、あの劇場化した靖国参拝とは比較にならないほどに長閑な光景が広がっていました。左翼活動家の「公式参拝反対」のシュプレヒコールも、拡声器などは用いずに、それこそ地声のままでしたから、喧騒といった印象はまったくありませんでした。

 当時、神社本庁の関連団体である神道政治連盟の職員だった私の役割は、この公式参拝の一部始終を記録することにありました。当日、武道館で開催された「全国戦没者追悼式」に出席した中曽根首相は、しばらく休憩したのち、公用車で靖国神社に向かい第二鳥居前で下車、徒歩で神門をくぐり内苑の参道を直進しました。拝殿で記帳を済ませると首相は本殿に進み、事前に供えられた生花の置かれた階に立って深々と拝礼したのです。

 参拝に際しては、一般に用いられる「玉串料」ではなく「供花料」の名目で3万円が公費から支出されました。

◆警察官から羽交い締めに

 内苑の参道沿いには遺族が整列していましたが、その背後で数人の左翼活動家が「公式参拝反対!」と叫びはじめました。それを目撃した私は、すっかり職務を忘れて活動家に向かって突進していました。

 今となれば笑い話ですが、気づけば、私自身が背後から警察官に羽交い締めにされていたのです。若気の至りと言ってしまえばそれまでですが、ここで私の武勇伝を披露しようというわけではありません。

 靖国神社の巨大な門の内側を「内苑」と呼びますが、初めて行われた首相の公式参拝当日の靖国神社の内苑は、その程度の混み具合だったということです。活動家を全力で追い回せるほど閑散としていたのです。

※宮澤佳廣氏・著/『靖国神社が消える日』より

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もうネタギレの感がある靖国神社NO3禰宜の宮澤氏の書籍抜粋祭りである。

これをニュースにするYahooも恐らくこれが
最期となるだろう。内容は秘史と表現しているが

「中曽根首相参拝の時は閑散としていた」というだけのこと、これが秘史である。酷いものだ。

何故こんな事がニュースになるのか、理解に苦しむが、靖国問題を理解されていないのか、解っているが書けないのだろう。

そこで私が分かりやすく簡単に中曽根首相の参拝を解説し、中曽根首相参拝時のNO1宮司のエピソードを紹介する。


三木首相から始まった私的公的の問題、を何を血迷ったか公式、非公式とし、宗教色を消せば公式参拝が可能であると思い込み手水もせず、本殿に一拝したのみのマナー違反の参拝をしたのだ。



この時の参拝を時の宮司松平永芳氏が、書いている。

『私がいいましたのは、手水を使わないのはまあ宜しい。これは自分の家できちっと潔斎してくれば、それは心がけ次第だ。それから二礼二拍手というのも、これは中曽根氏のやることで、いくらかっこうばっかりやっても、心がなければしょうがないんだから、心をこめて拝をすれば、それはそれでもこちらからとやかくいうことではない、と譲りました。けれどもお祓いを受けないのは困る。 お祓いは神社のやることで、火とか塩とか水で清めるというのは日本古来の一つの伝統習俗です。津地鎮祭で合憲とされたのと同じ習俗だとすれば,それを拒否することにもなる。ところが先方では、宗教法人たる靖国神社がやる行為だから困るという回答なんです。そこでそれならばやむをえないから、結局うちはうちでお祓いをする、いわゆる陰祓いをすることにしました。

中略

八月十四日に藤波官房長官が来られた。そこで私は、はっきりお話したんです。神社というものはこうだ。 私がおそれるのは、本質が崩れていくということだ。よその神社でも知事なんかの公式参拝について、中曽根方式なら憲法に抵触しないということで、同じように祓いも受けないということになったら、神社参拝の本質が崩れてしまうことになるだろう。これは、単にうちだけの問題じゃないから、この点を私は非常に重要視して、先方でいう参拝のしかたで宜しゅうございますよ、とは簡単にはいえない。ただ、今回こちらはやむなく目立たないように陰祓いをしますが、そっちはあくまで祓いを受けなかったということでも結構です。ということで、結局、幕をコの字型に張りまして、記帳台を置き、神社としては総理の記帳時、外から見えないようにしてお祓いをしたんです。けれども、私は挨拶に出ないということを官房長官に言ったんです。それは、いかになんでも人の家に泥靴で踏込むような人の所に宮司が出ていって、よくぞいらしゃいました、ということは口が裂けてもいえませんから、私は社務所にいて出ないことにしました。あの時、総理は武道館での全国戦没者追悼式に参列した後、時間調整のためそこでお昼を食べ、遺族なんかを参道に並ばせておいて、それからやってきました。非常に芝居がかった演出だといっては適切ではないかもしれませんけれど、神門から拝殿までの間に、ずっと遺族さん方が並んで拍手で迎えるように取仕り切り、参道の総理に手を叩いている。まるでショーのようなつもりでやってるんです。しかも、あとで夕刊を見て驚いたのは、うちの荒木禰宜が先導して中曽根総理、それから幕僚として厚生大臣と藤波官房長官を従えているのはよいとしても、その横に四人のボディーガードを連れて行動していたんですね。私は前日、藤波氏に条件として、記帳したあと、拝殿から中の、いわゆる神社の聖域にはボディーガードなんか連れて行かないでくれ、と申しておけばよかったと後で後悔しました。まさかそんなことをするはずがないと思っていました。うちの神様方というのはみんな手足四散して戦場でなくなった方が大部分です。そこへ参拝するのに自分の身の安全をはかるため、四人もぴったりとガードをつけるなんていうのは、無礼・非礼のきわみというほかありません』
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