天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

宇垣纒を擁護するvol.3

2016-02-16 01:24:21 | 歴史





中都留達雄大尉に関して下記のような記事を見つけました。小学生に対して話すにはこれでよいかも知れませんが、1箇所重要な部分のニュアンスが
平和の為に改竄されています。


平成27年度
大分市立横瀬西小学校
学校通信よりコピペ----------------------------

「中都留大尉の遺徳を偲んで」

前々任校の堅徳小学校の校区に堅浦という地区があり,その道路沿いに「中津留達雄大尉のお墓」という案内板が立っています。 本日、登校日の全校平和集会時に,この中津留達雄 大尉のことを子どもたちに,話しました。 昭和20年(1945)年8月15日夕刻、終戦直後に上官の命令で、沖縄のアメリカ軍基地に向け大分基地から特攻出 撃し新婚1年4ヶ月の妻と3週間前に生まれたばかりの愛娘を残して23歳の若さで亡くなった大尉(のち少佐)の
お話です。子どもの頃から成績優秀、温和な性格で思慮深く職務に忠実、技量に優れ部下に大変慕われていた方です。

城山 三郎著「指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく」(新潮社)では次のように推測しています。 「その夜、特攻機は沖縄・伊平屋島の米軍基地に到達した。日本の無条件降伏で米軍の勝利が確定したことから、米 軍の対空砲火を受けなかった。明々と電灯がつけられた同基地では、平和と勝利を喜ぶパーティーの最中であった。 宇垣長官の独断であり国の命令ではないことを悟った中津留は、特攻機彗星の操縦桿を左に切り、基地を避けて岩礁 に激突したのである。続く部下機もまた、基地を越えて、水田に自爆した。」


大分県津久見の堅浦地区の墓の入り口の案内板に

最後の特攻隊長として、堅浦地区 のお墓の入り口には案内板があり、お墓には、搭乗機の大きさの10分の1の約1メートル大の模型が設置されてい ます。この設置については、2009年9月24日付け大分合同新聞にも取り上げられています。記事には、除幕式にそ の時の5年生21人も参加したとあります。また当時区長だった方の「城山さんの本を涙ながらに読んで功績を知っ た。語り継ぐことが世界平和につながることを願っています。」との挨拶も記されています。もし、終戦なのに、部 下の機を引き連れ、突入していたなら、どうなったか。アメリカのその後の占領政策もさらに過酷で違っていたもの になっていたろうともいわれます。・・私も3年前の16日,蝉時雨の中にあって,凜として建つ お墓にお参りしてお花を供えさせていただいたことを昨日のように思い出しています。

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「新婚1年4ヶ月の妻と3週間前に生まれたばかりの愛娘を残して23歳の若さで亡くなった大尉の
お話です。子どもの頃から成績優秀、温和な性格で思慮深く職務に忠実、技量に優れ部下に大変慕われて」となれば、まずなにより先に「可哀想」
という同情の感情からの涙があふれます。

宇垣中将の独断で終戦を知らされず、途中で気付き目標を避ける。となればもう騙されて死ななくても良い命を宇垣中将の為に落としてしまった。

と指導者としての資質に問題をスライドさせて、軍国主義は悪、戦争責任は指導者にあり。

この様に平和の為なら何でも改竄、疑わしきものには蓋をする。といったことが占領軍の指導の元に東京裁判史観として戦後語り伝えられてきました。

現代の価値観(愛国心の欠落した)で考えれば、宇垣中将は一人で切腹すれば良かったなどと考えてしまいますが、皆さんはどのように感じるでしょうか。

宇垣中将が通信士に渡し、機上から電文として送ったとされている最後の言葉です。


『過去半歳にわたる麾下各部隊の奮戦にかかわらず、
驕敵を撃砕し神州護持の大任を果すこと能わざりしは、
本職不敏の致すところなり。

本職は皇国無窮と天航空部隊特攻精神の昂揚を確信し、
部隊隊員が桜花と散りし沖縄に進攻、
皇国武人の本領を発揮し驕敵米艦に突入撃沈す。

指揮下各部隊は本職の意を体し、

来るべき凡ゆる苦難を克服し、
精強なる国軍を再建し、
皇国を万世無窮ならしめよ。

天皇陛下万歳』

『皇室の永遠と特攻精神の高揚』は果たされているのでしょうか?



宇垣は「彗星」を5機用意するように部下の宮崎先任参謀、田中航空参謀、中津留達雄大尉に命じた。特攻機は6機多い11機が用意され、これに対し宇垣は「命令は5機」と発言したが、指揮所前には22名の搭乗員たちが整列しており、そのことについて宇垣が問いかけると、中津留大尉は「出動可能機全機で同行する。命令が変更されないなら命令違反を承知で同行する」と答えたのです。



最後に兵舎前に集められた22名の特攻兵たちの前で、第五航空艦隊司令部長官である宇垣纏中将が、訓示をしする写真です。

『本日、わが国はポツダム宣言を受諾した。

小官は幾多 の特攻隊員を犠牲にしてきて、誠に遺憾にたえない。

これから沖縄に最後の殴り込みを掛けるから、諸君、ついて行ってくれないか』

と訓示というより嘆願の言葉を投げかけたのです。

この時の22名と宇垣は皆敗戦を確信し同じ気持ちで一体となっていたのでしょう。
しかし、待っていたのは暴風の様な艦砲射撃では無い事で目標を見失ったのでしょう。
彼等以前に特攻で亡くなったものと18人は全て卑劣な特攻、無惨な特攻で無駄死したのではなく
日本の存続の為、平和の為に散っていったのです。

否定的に批判するのでなく、彼等の記憶は日本を守る不撓不屈の精神は語り継いでいかなければならないと感じます。


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