天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

最初に日光を訪れた欧米人

2016-10-18 | Weblog
 現在、栃木県立博物館で
 「国際観光都市日光の成立」と題する企画展が開かれています。
 明治時代に入って、多くの外国人が日光を訪れましたが
 最初に来たのが誰かとの展示もありました。
 それで、最初に日光を訪れた外国人との題で書こうと思いましたが、
 1636年(寛永13年)に来日した朝鮮通信使が
 日光東照宮を参拝していた事を思い出し、
 欧米人に改めました。

 最初に日光を訪れた欧米人は、ハリー・パークスです。
 幕末から明治初期にかけ18年間駐日英国公使を務めた外交官です。
 1870年(明治3年)4月に、夫人同伴で来ました。
 この訪問については、東照宮の社家御番所日記に記録が残されています。
 パークスは拝殿を参拝した後、
 徳川家康の遺骨が眠ると伝えられる奥の院へも参拝したいと申し出て、
 東照宮側を困らせたようですが、特別に許されたようです。
 パークスは優れた外交官でしたが、癇癪持ちとの評判のある人です。
 奥の院参拝を強引に願い出る辺りに、そんな評判も納得できる感じです。

 その他の有名な人を紹介したいと思います。
 上記の企画展で紹介されていた外国人を書き出してみました。

 ・ジェームス・ヘボン
  医療伝道宣教師ですが、ヘボン式ローマ字で有名な人です。
 ・アーネスト・サトウ 
  イギリスの外交官で、中禅寺湖畔に別荘を建設しました。
  その別荘がイギリス大使館別荘となり、今年から一般公開されています。
 ・エミール・ギメ 
  フランスの実業家で東洋美術の収集家です。
 ・フェリックス・レガメー 
  ギメに同行して来日した画家です。
  ギメとレガメーに関しては、河鍋暁斎との面白いエピソードがあります。
  以前書きました。
  http://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/b91bd865973adeea4f56541adf78b1a3
 ・エドワード・モース 
  動物学者で大森貝塚を発見した人です。
 ・イザベラ・バード 
  イギリス人の女性旅行家です。
  以前、ここに載せた事があります。
  http://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/b115c924e45ebd59f8d8a89fbdb1c09c
 ・ユリシーズ・グラント 
  アメリカの17代大統領です。
 ・アーネスト・フェノロサ 
  岡倉天心とともに有名な東洋美術研究家です。
  1879年に日光を訪れて以降、東照宮近くの寺院を借りて毎年夏に来ています。
 ・ピエール・ロチ 
  フランス海軍の士官で小説も書きました。
 ・ジェームズ・ガーディナー 
  立教大学の学長ですが、遺骨は現在も日光にあります。
 ・ジョサイア・コンドル 
  イギリス人の建築家で、河鍋暁斎の弟子でもあります。
  暁斎と一緒に日光に写生旅行にも来ています。
 ・ジョルジュ・ビゴー 
  フランス生まれの画家です。
 ・アントニン・レーモンド 
  チェコ生まれの建築家でイタリア大使館別荘を設計しました。
 ・トーマス・グラバー 
  幕末に長崎でグラバー商会を設立した人です。
  日光との関係は以前書きました。
  http://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/1102b33ba505a79b1d90f18d3244d98d
 ・ハンス・ハンター 
  「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」の創設者です。

 外国人が宿泊するのは、金谷ホテルが多い訳ですが、
 金谷ホテルの宿泊者のサイン帳には、上記の外、
 アインシュタイン、ヘレン・ケラー、アーノルド・トウィンビー、
 ミハイル・ショーロホフ、リンドバーグ夫妻、チャップリンなどのサインが
 残されています。
 この他にも多くの外国人が日光を訪れています。
 僕が小さい頃初めて外国人を見たのも日光でした^^

 「国際観光都市日光の成立」の詳細は、下記をご覧下さい。
 http://www.muse.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/kikaku/161008nikko/index.html

ジャンル:
ウェブログ
コメント (4)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 磐梯山の噴火 | トップ | おりょうのさな評・・・ »
最近の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (井頭山人)
2016-10-23 19:23:47
未だ県博には行ってません。期間中には行きます。金谷ホテルの宿泊はやはりイギリス人が多いですね。著名人もたくさん居られる。ショローホフなんかが居るとは驚きですね。無論、戦後でしょうけど。
Unknown (井頭山人)
2016-10-29 10:06:36
昨日、28日に県博に行ってきました。小学生の見学があるだけで、誰もいず、ゆっくりと3時間もかけて見てきました。

で、少々疲れました。江戸期と幕末、そして明治期と日光は戊辰の役でも戦火を免れて建物は助かりました。
昔は、路面電車が走っていたのですね。私が高1の五月の連休に、先輩と日光に8段ギアの新しい自転車でサイクリングに出かけた事を思い出します。朝の6:30に自宅を出て、今市、日光と、10時頃には東照宮についたと思います。馬返しまで、あの坂を登り、そこに自転車を置いてケーブルカーで明知平まで出て、後は歩きで中善寺の畔で食事を取り、華厳の滝を見学し、歩きでいろは坂を下って来たのです。ヒッチハイクですので、先輩は車を止めようとして、手を上げるのですが、私は恥ずかしくて弱りました。行きに比べて帰りは下りのせいか、自転車は40キロで走りました。先輩は下り坂を猛烈に降りて、隣を走る、オートバイのおじさんに、50キロ出てるぞ!と言われて居ました。怪我一つせず、無事に帰宅できたのは幸いでした。1966年の5月は、今ほど車の台数は無かった。家に近づくと、さすがに疲労がドット出ました。若い時代の、何物にも代えがたい好い思い出です。

展示は、写真が魅力的でした。日光の保存に松平容保が会長をしていた保晃会が果たした役割が大きいと思いました。
有難うございました。 (天然居士)
2016-10-31 19:37:50
井頭山人さん コメント有難うございました。

県立博物館にお出掛けになられたのですね。
特に貴重な写真を集めていましたね。
やはり写真で見ると、当時の状況が分かりますね。

僕が中学生の時に日光に友達と遊びに行った時に、路面電車に乗った記憶があります。
同じく1966年の秋だったと思うのですが、自信はありません。
調べてみたら、1968年2月に廃止になっていました。
当時の車両が岡山の路面電車として活用されていました。
あるいは、今も使われているかも知れません。

今回の企画展で、日光も奥が深いと改めて思いました。
Unknown (井頭山人)
2016-10-31 23:33:14
玄関のホールでも、すでに貴重な写真の展示が有りました。皆、個人の写したものらしいですね。GHQのマッカーサー達が東照宮を見ている写真もありました。
サトウやコンドル、フェノロサ、モース、などは知日派の代表格で有ろうと思います。それから日本奥地紀行の女性旅行家のイザベラバード女史も金谷ホテルに宿泊したようです。バード女史は、伊藤と云う日本人の案内人を連れて東北各地を歩きまわりましたね。改めてこの企画展は素晴らしいと思いました。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL