天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

成田山新勝寺

2017-07-06 | Weblog
 成田山新勝寺は、多くの参拝客を集める有名な寺院です。
 平安時代中期に起きた平将門の乱の際、
 939年(天慶2年)朱雀天皇の密勅により寛朝僧正を東国に遣わしましたが、
 寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、
 翌940年(天慶4年)、海路にて上総国尾垂浜に上陸し
 平将門を調伏するため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行いました。
 新勝寺はこの天慶3年を開山の年としています。
 このように歴史は長い寺ですが、江戸時代元禄期以前は、
 地域の住民からは篤く信仰されていたものの、
 全国区の寺院ではありませんでした。
 それが元禄期、江戸で急速に知名度が上がります。
 その原因が出開帳です。
 開帳とは、秘仏などを期間限定で公開する宗教行事ですが、
 当該寺院で 開帳するのが居開帳、
 他の寺院などの境内を借りて開帳するのを出開帳です。

 成田山が最初に江戸で開帳を行ったのは、1703年(元禄16年)です。
 当時、成田山は本堂(現在の光明堂)を建立し、
 そのための借財が500両ありました。
 成田山では、江戸深川にあった永代寺の境内を借りて、
 不動明王を安置する小屋を建て、江戸っ子たちの参拝を受けました。
 元禄16年4月27日から二か月間の開帳で、
 2000両以上の収入があったとの事です。
 この大成功の理由は、
 江戸歌舞伎の初代市川團十郎が全面的にバックアップした事でした。
 團十郎は、元々成田不動を篤く信仰していましたが、
 開帳中には歌舞伎の舞台で成田不動を演じています。
 出開帳は元禄16年以降、10回行われていますが、
 開帳の度に、二代目團十郎なども成田不動を演じました。
 現在、旧永代寺境内に、成田山深川不動堂が建っていますが、
 出開帳の由緒を踏まえて、1881年(明治14年)に建立されたものです。

 出開帳が成功するかどうかは、どれだけ江戸庶民の話題になるかです。
 團十郎の強い支援もありましたが、他にもありました。
 成田山の場合、江戸入の前日は、日光街道千住宿で宿泊するのが通例でした。
 そこから真っ直ぐ深川に向かうのではなく、
 吉原などの繁華街や大店の立ち並ぶ日本橋界隈を一日かけて練り歩き、
 話題作りのためのPR活動に熱心に取り組みました。

 以上、前回と同じく安藤優一郎さんの「大江戸お寺繁昌記」の載っていた話です。

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