屋敷を後にすると自然に 気持ちが静かになった。
一歩ずつ足を濡れた地面に置くと ガラスの破片が肉の奥へ奥へと入って来る。
針の山
姉に嘘を付くと落とされる地獄の話を聞いた事があるが・・・・こんな痛みなのだろうか。
体重移動するたびに痛みが生き物の様に 足からわき上がっていた。
自分の為に傷つく姉。
彼女の心の痛みを考えれば この痛みなど軽すぎる
・・・・そう考えるほど 姉やトシ兄 あの屋敷からどんどん離れて行く
歩く総悟の周りでは 帰りそびれた遊び人が蝙蝠の様に頭を隠しながら強く降る雨から足早に 避難していった。
総悟は・・・・頭から背から全身を 雨に濡らしたが恥だけは 雨にさえぬらす事だえ出来ない。
その水がどんどんながれていく、体を綺麗に戻すためには その水の集まる所に行かなくてはならなかった。
街じゅうの汚水が一点に集まって来る
轟々と大きな流れになり量を増し
生き生きとうねりどこかに連れて行こうと呼んでいる・・・自由な川。
総悟の体と心は川に呼ばれているかのように・・・支配され始めた。
ざああざああと 雨が音を立てて降っていた。
街の中は人の気配が全く感じ取れないが お屋敷街の一角は 夜半の襲撃にざわめいている。
田嶋の服から血がどんどん流されて 走り回ると血が飛び散る。
しかし、総悟を探さなくてはいけなかった。
これで見失えば 絶対にもう会う事はないだろう・・・・。
あの・・・足のまま遠くに逃げるはずもなく、行く宛てもない
道場に戻りたければ トシに掴まって居れさえすれば良かったはずだ。
焦りだけが空回りし ただ街中を宛てもなく走って行く。
どこに行きたいんだ・・・・・。
家・・・・?全速力で走る自分より早く・・・・帰りつけるだろうか・・・・。
田嶋は自分が行く方向から歩いてくる 旅人を捕まえると
総悟の人相を言い尋ねる。、
旅人は雨で良く見えなかったが、誰も見ては居ないという・・・・・。
彼が行きたくない、川の船宿街・・・・ならば・・・・・以前の様に潜り込めるかもしれない。
と、頭に浮かんだ田嶋は旅人に挨拶もそこそこ 踵を返し川に向かった。
街から江戸に向かう街道の一つは大川を横切って居てそこに 都橋が掛って居る。
川幅は広くは無いのだが魚が多く 橋の上からでも糸を垂らせる場所だった。
川が曲がった所に船着き場が有って その船を借りて鮒釣りをする場所。
朝焼けが川面に映り赤く染まる頃は 何度見ても心地よい・・・。
やっと店を抜けて角を曲がると拓けて橋が見えた。その橋の袂に 小さな街灯がついている。
そのから視線を動かすと 斜めに川を渡る橋の上を 白い人影がゆっくり歩いていた。
見つけた・・・・
田嶋は 全速力で走り橋のたもとに着くが そ子からはゆっくり 一歩一歩 橋を渡って行った。
総悟は、はあはあと苦しそうに木の橋の手摺に身を乗せると 手で体を引き上げようとしがみついていた。
田嶋はまだ 20メートル以上は手前。
船の上から石を落されイラついた・・・・あの橋だった。
やっと 総悟が橋の欄干の向こうに足を垂らすと田嶋は 5-6メートル手前に居た。
「・・・・総悟・・・・。」
と彼に声を掛けると彼は動きを止めた。
田嶋がちらっと川を見ると この雨で以前総悟が飛び込んだ時よりも水かさが増していて轟々と音を立てている。
飛び込めば まず助からない・・・・。
「総悟・・・・・何をするつもりだ・・・・?。」
慎重に訊いた・・・。
「・・・・・・。」
総悟は答えず。田嶋はにじりよる
「・・・・・お前の 借金の証文・・・・・取り返したぞ・・・・。ほら・・・・。」
そう言って 証文の文字を見せる様に総悟の前に出したが
彼はちらっと それを一瞥するとまた川を見る。濡れるので懐に入れた。
「・・・・・・・・・そんな事をして・・・・・姉上が お前の後を追ったらどうする・・・。」
聞いて考えたのか 総悟の体が前に伸びあがった。
欄干に座った総悟の体を押し出そうとしている 彼の腕を見た。自分から後少しだった。
「・・・・・。」
総悟が 振り向いて田嶋を見た。悲しそうな顔は・・・・・
悲しむ姉を 想像したのだろう。
・・・・ここから飛び込んだら 上がらない・・・・
そう鮒釣りで教えた自分を 怒鳴りたくなった。
「・・・・・総悟・・・・。」
何を言ってやればいいのか 思いつかない。そうこうしている間に
総悟が体をひねってこちらを見たので 片足が欄干からはみ出した。
「良く聞け・・・・ろくな世の中じゃないだろ?俺も、お前もそうだ・・・・姉上も お前があれだけ薬代掛けたのに・・・・治らないし、嫌になるのは・・・・。」
「姉上のせいじゃないよ。」
と総悟が言い返すが、体をもっと捻ったのですぐにも落ちそうになった。
「・・・・そうだな・・・。」
田嶋も彼に近ずくために、欄干に自身の体を付けた。総悟に飛びつけば 届く距離になった。
「・・・・・。」
それを見て総悟は警戒し 更に体をひねる。片方の脚はもう落ちていた。
「・・・・俺に その命・・・売らないか?。・・・・・姉上が 水の中で膨れて魚に食われるのは嫌だろう・・・・?。」
「・・・・・?。」
「・・・・お前は 誰にも見つからないつもりだろうが・・・・・。俺は お前がここから飛び込んだと 姉上に言うぞ・・・?そして確実に後を追うだろう・・・。」
総悟の顔が怒り 目がきつくなった。
「人でなし!!・・・・。」
総悟が罵声を上げると 彼の体がずるっと落ちた。
田嶋は川に飛び込むように腕を伸ばし 総悟の腕を掴まえた。
バタバタと暴れる総悟の体は引き上げられず 静かになるのを待つ。
とりあえず腰を折り曲げて欄干には架かているが 手が滑りそうだ。
彼の腕を持ちかえたりすれば 自分の手が拭いきれていない人脂で滑りそうだ。
総悟は 俺の腕に掴まるつもりは無いらしい。
「離せ・・・・エロ爺・・・。」
そう言う総悟の首にはまだ 縄が掛っていた。
「・・・・ダメだ・・・総悟・・・俺が三つ葉を治してやる。・・・だから俺の物に成れ!・・・お前をなりたかった侍に・・・・仕立ててやる・・・。」
そう言うと 田嶋は有無を言わさず 手を伸ばし総悟の首の縄を引っ張った・・・・。
「ぐえ!・・・・。」
ずるっと欄干に担ぎあげ 急いで縄を緩めて 総悟を呼ぶ。
気が付いたのは ・・・・しっかり起きたと覚えているのは
3日経ってからだった。
晴れた秋晴れの空が高い日。
とてつもなく高い・・・・空の下。
奥まで覗こうとしていると 近くで自分を覗く者が居た。
医者の石川だった。
「姉上は・・・今日俺の診療所に行く事になった。・・・・田嶋がお前を門下生見習いとして・・・・引き取ると挨拶したからな?・・・・・それでいいんだろう・・・?。」
石川は髪が伸び縛れそうな長さで ときどきうっとおしい前髪を掻き上げるのだが 髪は又訳目通り額で別れ目に掛る。眉は太くてぼさぼさだが すこし茶色い目が黒い髪に生えていた。時々自分を覗き黒髪が日の光に透けて茶色になるのを見つけ 眺めていると
・・・・・聞いているのか・・・・
と怒られる。なぜか聞いた事が頭から消えて行くのだが それでいいと・・・・
思っているので 目を閉じた。
「・・・・・・まったくしょうがないな・・・・・。」
石川は 口癖の一つを口にし、部屋の片隅に居るトシに 後は任せたつ、声を掛けた。
余り良くは覚えてないのだが・・・・・。
姉上が 羽織をかぶせられ石川の背に負ぶわれていた。隣で俺は誰かに
負ぶわれている。
トシの背中の様に安心して暖かく 安心して眠気に襲われる。
トシのこの背中が 酒屋の番頭によってバンバンと叩かれたのを見た。
・・・・自分のせいだったが、自分が叩かれた様に音が響いて来てたまらなくなり
俺は自分がやったのだと言えず逃げてしまった。
その事を としは未だに怒らない・・・。