嵐の後に・・・・
波の音は・・ゆっくりになった。
何処かに行っていた優しい風が ここに戻って来て 身体を優しく包むので
ここが昔から家だったのだと 心の中で言う。
昔は
その度に色々な人の顔が浮かんでは消え 身の内を焼いたが・・・
今見えるのは 波の顔だけだ・・・。
波に向かって座り 波の音や空気を体の中に通し そのままになる事にしている・・・。
ぴくぴくと やりかけていた事や、大事な物が浮かんで心のどこかに引っかかるが それも微かな無意識のうちの近くらしく
波や空気が長い時間をかけて浸食してくれた。
今はただ 周りを見る事が出来るようになったと、思う。
波は自分に近づこうとした・・・
木の義足に水が付いたのに気が付かず、もう片方の足が濡れたので、ゆっくりと立ち上がり、少し体を揺らしながら波打ち際を歩く。
夕日が闇を呼び出したので 波に背を向けて真っ白い砂の山に向かって進む
砂山は義足には向かず 一歩一歩が埋まって歩きにくいが それでも何とか登り木立の中に入って行く。
土が締まり硬くなり、体の支えとなる木も生えているのでいくらか歩きやすくなった。
太い木の根をまたぎながらなんとか平らな所まで来ると、男はふと立ち止まる。
視線の先に小さな小屋が有るのだが、そこに明かりがともり
誰かの気配がするのだ。
自分の住処に誰が居るのだろうと、立ち止まって見ていると、草噴きの屋根の下にある小さな窓から 浅黒い肌の男が顔を出した。
男は足を引きずってやって来た男を見ると手を振り、布の掛かっている玄関から出て 足の悪い男が家に来るのを待った。
「ハル!・・・待っていた!・・・この前直してもらった竿が使いやすくてなぁ・・・人に取られてしまったから、また材料を持ってきたのさ。」
見知らぬ言語で言う。
浅黒い男は 足を引きずった男よりも背が高くがっしりした体格だった。
唯一着ているのは、丈の短いズボン そこから太い足を出し、草履の様な物を履いている
顔は南国系で、眉が太くて鼻筋も太くいかついが、話始めると人懐っこさのある男だった。
「・・・ああ・・・。見て見よう・・・。」
男に合わせてそれだけ言うと、ハルと呼ばれた男は、布をくぐって部屋の中に入る
だが、どっさり小さなテーブルに置かれた竹見ると頭を掻きながら、むすっとして
「葉は落として来てくれと 言っただろう?」
と手で足を指さした。
そこには鉈が当たったのか切り傷があり、縫われた後もあったのだが、いかにも素人が縫ったような跡だった。
「そうだな!すまんすまん!ハルは左手も無いんだったなぁ・・。」
と言って、ハルの肩を叩き、竹の束を外に担いでいく。
小さな庵の窓から 外の鉈を振り上げる男を見ながら
日本語で 「何回 言えば覚えるんだよ!」
と文句を言った。
人懐っこい男は、ハルに声援を送られたかと、手を上げてから鉈で竹の葉をバンバン落としていった。
義足の男が 一本だけ上から下まで竹を眺めながら部屋の中に竹を入れ、テーブルに置いた所、上半身裸の浅黒い男がどさっと
魚やら芋らしきもの 果物など並べる。
義足の男は 小声で礼を言うが、気にもせず
少し不満そうな浅黒い男は
床に座る義足の男が 黒い長い髪を後ろで束ねているのだが、その真っ黒でつややかな髪を 興味津々覗き込むように眺めた。
義足の男はそれを察知したのか振り返ると立ち上がる。
座ったままでいると押し倒されそうだったのだ。
「ありがとう・・・ベイトト・・・頑張って作るよ。」
浅黒い男に 遅ればせながら礼を言う。
「・・・ああ・・・ハル。・・・何か困ったら、俺に言ってくれ。」
と男は、ハルの髪に手を伸ばす、ハルは無下にせず触らせた。
ベイトトと呼ばれた男は 一歩心配そうに近寄って頬まで触ろうとするので、ハルは肘から先のない左腕を上げてベイトトの腕をのける。
すると我に返ったように男が後ずさりする。
ハルは
「・・・ベイトト・・・お休み、奥さんに宜しくな・・。」
と言って笑うと、ベイトトも笑って判ったと言う。
彼が真っすぐ帰るのを見た後で ハルは小屋の中に入り床に腰かけると、竹を一本一本眺めた。
竹自身の個性と言うか生育環境で、曲がりが違う。
眺めていると飽きないのだ・・・。
崖に根を伸ばしたのか 風を受けた竹なのか、しなり強く下に向いている
その穂先を回して上に向かせるが 穂先は下を向かず上を向いたまま。
男はクスッと笑って竹を揺するだが 頑固な穂先は上に曲がったままだった。
次の一本はどうにもこうにも弱体した土に育てられたのか、どの方向に曲げても思った以上に穂先が垂れる。
まるで、一人っ子を道場の玄関で見送ると、母親にべったり後ろに隠れるようなどうしようもない息子のようだ、何もやりたくないとぐずった体は思った角度に真っすぐ伸びなかった。
一通り見終わると幹を調べて硬さを調べた。竹の密度で判る。
やせっぽちの威張りん坊、節くれだった竹と、
京育ちの様に妙に色っぽい 軽めの物・・・。
ただ 竹を見るのも有り余る時間つぶしには成る。
男は何かを茹でただけの質素な食事を終えると、
芋の皮を乾燥させて焙じた物にお湯を入れる。生まれ付いた国とはどこか違う形の椀にそれを注ぎ、
茶ではないが茶らしきものを飲んでいる雰囲気に、男は丸太の椅子に座って背筋を伸ばすと啜るのだ・・・。
先のない左腕は ぼろぼろの丸首の長袖の先を丸結びした中に納まっていた。
時々その欠損部分を確かめるように握り温める。
血がそこまで廻らないのか冷たくて仕方が無い・・・。
冷たいつららをぎりぎりと切れた断面に撃ち込まれたように 痛む時が有る。夜、切られた時間を体が覚えていて、肘の神経が叫びをあげ、手首から出る血しぶきの勢いを思い出し 血管から抜けていく。
大量の血だまりの匂いと感触が蘇るのだ。
ぎゅっと腕の先を握り締めるが、足にも同じことが起こって震えていた・・・。
だが、一番思い出したくないのはその姿を親友・・相手はもうそう思っていないだろうが、
友に見られたのが痛くてたまらない。
気の優しい彼は、きっと困ったような顔をして足踏みをしたに違いない。
家臣ではないのに裃を付けさせられて 城内の廊下で困り果て隅で足踏みをする姿が蘇る。
・・・どう・・されましたか?・・・
何度もそう声を掛け、間の抜けたほっとした顔を見る のが、好きだった・・・。
仲間の活きた肝を抜いて食べそうな輩ばかりのこの城内に、優しさだけしか持たぬ男が居る・・・。
それによく感謝した物だった。
その男が
『良い竿は、後ろから前に戻るまで 丁度良いしなりを手の中に伝えて来る・・・。右手に持つ堂本からしなり 穂先を自分の思う所に 軽く導く・・・。それを作り上げた時は格別なのだ・・・・親友と呼ぶに違いない。』
と
かつての親友は
ニコニコしながら身振りを付けて説明してくれた。
自分は、城内の支度部屋の一つで小さな書き物机を出して、
この男の為に気の利いた謝罪文を書いている・・・。
あまりにも気が利きすぎると 相手に帰って絡まれるので、
懇切丁寧ではあるが、さして有難みも入ってないぐらいの物を書く・・・。
自分は・・・この大きな体を、小さい部屋に入れ、膝を窮屈そうに折り曲げて座る男を見ながら、
『・・・お前は博識だが、城内に必要な知識は持っていないなぁ、柔らかい皮の茄子の作り方だの、雨に種を流されない畝の作り方だの、カブトムシは死んだら首が取れるとか・・・それに釣り竿作りなんて・・・。魚釣りはお前からっきしだっただろう?。』
と言った。
ある意味脳天気過ぎて嫌になる時もあった・・・。
だが、彼は
『・・・俺には・・・城の中の生活が全く分からない。笑う時も、怒る時でさえ、みんなとずれているのだ・・・。』
という。
その時自分は決まって
『・・・お前が違う誰かに成ったら 俺は必要ない』
と言い。
「・・・お前はお前のままでいろ・・・。」
と、義足の男は どことも知れない小さな島の 小さな机に伸ばした左腕の先を歯で噛んで、ぶるぶる震える右足の膝・・・義足の足を押さえながら言う。
確かに・・・・・。
自分で作った釣り竿は、手の中にしっくりくる。
昼間海岸に立ち
大きく振り上げた右手の背後を見ながら 前に振ると
しなった竹は 釣り針を付けていない糸の先の重りを 勢いよく振り切った。
あの友が作ってくれた竿は もっと上手だった気がするのだが、もう教えを乞う事は出来ない。
ぐいっと竿を引いて穂先の張りを確かめていると・・・
風の音で聞こえなかったが、ベイトトが自分を呼びながら近寄って来た。
手を大きく振って、持って来た物を自分に見せながら笑っていた。
竹を持ってきてから もう半年が過ぎたようだ・・。
ここでは一年などはあっという間に過ぎていくのだろう。
砂浜に兵士の様に突き立てた釣り竿を眺めた
激烈な痛みは、これを作っている間は和らいでいる・・・。
ハルは3メーターは有ろうかと言う竿を数本担ぎながら、家の方に向かう。
途中で砂に突き立てた竿は、ベイトトが抜いて持っていく。
「いつも悪いな・・・。もうこのフルーツが出たのだな・・。」
そう言いながら、机に並べられた大きな果物を触って転がしてみていた。
竿は今日でお別れだった・・・。
すると、ベイトトは自分を座らせようと椅子を引いていた。
ハルは 首を傾げて背中に垂れている髪を撫でると、ポニーテルの様に結んでいた髪がだらりとしていた・・。
自分はその方がきつくなくていいのだが・・・
ハルを椅子に座らせると ベイトトはハルの背後に回り
髪を束ねて何度も撫でおろした。
変な感じだが、ベイトトがこれで気が済むのだからこうするしかない。
彼は、尻のポケットに突っ込んだ櫛を出し、ハルの髪を生え際から毛並みをそろえるように解かし始めた。
ベイトトは、気が済むまでハルの髪を解かすと、持っていたゴムで根元を縛る。だが前髪のいくらかはばらばらと顔の前に落ちる。それを黒い手の汗を使っておでこから撫でるので、ハルは
「おいおい!手がべたべただ・・・。」
と文句を言った。
「綺麗にしてやってるんだろう?。」
とベイトトは 気にもせず何度も撫で上げたが、前髪は短く額に落ちた。ハルは横目で悔しそうなベイトトを見て、
「・・・切って・・・持ってったらどうだ?。」
と言うと、ベイトトはむっとしたように
「男の毛何て持って帰って どうすんだよ!。」
と文句を言う。
「・・・出来れば 短く切って貰いたいんだがなぁ・・。」
とハルが言うと
「こんなにきれいな髪を もったいないだろう?俺が綺麗にしてやるよ。」
というのだ。
終わったらしく ハルは首をこきこき鳴らしながら立ち上がると、竿を取りに行く。釣り竿は短い竹3本を繋いで1本になり元からその長さの様に生まれ変わっていた。
それを見るとベイトトはびっくりしたように手を広げ
「すごいな!信じられない!。」
と言ってハルの肩を叩く。
ハルは
「そうでもないさ・・・。持ち手の竹は細いが硬い物、真ん中は柔らかいが反発が強く、穂先は真っすぐで張りがあって・・・。」
と律儀に言いながら、穂先を刀の様に振って見せた。
「・・・それをくっつけるのが大変なんだろう・・・?。」
ベイトトはじっと 穂先のしなりを見るハルを眺めながら言う。
「・・ああ・・・熱で曲がりを 矯正していくのだが・・・。」
ハルが穂先から目線を移し
ベイトトを見るので、彼はお決まりの文句を口に出した。
「友達が 無くして・・・。」
と言い、
ハルは
「友達が無くして・・売ったんだろう?。」
という。
「いや・・。」
ベイトトは否定しようとしたが、ハルは笑って
「・・・いくらで売れたんだ・・・?。」
と聞いた。
ベイトトは困って手をぱっと広げて 前に出した。
「5ドル?・・。」
と聞くと ベイトト
「50だよ。」
という。
簡単に場所が分かるような 取引通貨の事は言わない・・。
「へえ・・・。」
以外に高いのだと思う。
自分の所に持ってくる食べ物がいくらだと聞くと、3だと言うのだ・・・。
「・・・良かったな。」
ハルはそういって笑った。
ベイトトが過去に釣り竿に文句を言って自分の所に歩いて来た。すぐ目の前で折ろうとしていた。
当時義足が合わず歩けなかったハルだったが、
手を伸ばし、その釣竿を出せと言った。
直せるはずがないと言うので、なるべく真っすぐな枝と小刀を持ってこいと言う。彼が持って来た枝を乾かし何とか恰好を付けて、小刀で削りベイトトの釣り竿の先に付けてやると彼は喜んだ。
竹を持ってくれば、もっとしなり丈夫な釣り竿が作れると言うと、いくつかの小刀と竹を持って来たのが始まりだった。
最初は葉も付いた笹を持って来たのだが、これでは海では連れないと言うと、大きな竹を探して持ってきてくれるようになった。
だが
ハルの親友が作った釣り竿には遠く及ばない。
川で釣り用だったので短かったが、しっかりした張りと、魚の動きを穂先で伝える感度も最高で、振り具合と言い 手の馴染みも最高の物だった。
彼の言う通り 正に親友と呼べるものだった。
釣った魚を彼に見せると、彼の破顔が・・・
愛おしい。
「・・・まあいい」
そう言ってハルは竿を 微妙な顔をしているベイトトに手渡した。
するとベイトトが
「・・・ハル・・・。これ読めるか・・・。」
と言って、古びた本を手渡した。
よく見ると英語の本だった。
「・・・あ・・・。」
ハルは顔を上げてベイトトに尋ねようとしたが、彼は竿を持ち家から砂浜に出る所だった・・・。
英語は通じないはずなのに・・・。そうここは、訳の分からない言語の国だったのだ。ベイトトは、自分を看病しながら言葉を教えて、ここから一生出られないと告げたのだ・・・。
「ベイトト!・・ありがとう!・・。」
そう叫んで窓から手を振ると ベイトトも振り返って手を振った。
どうして出られないかと言うと、
首に南京錠のような物が付けられていて取れないからだ。ベイトトが自分を海の上に連れ出した事が有った
と、いきなりぴっと南京錠が付いたベルトの中で音が鳴り出した。
その音をベイトトがマネをして、
ぴ・・・ぴ・・・・と言う間隔を短くしていき、ぴーと口で言ったのち、
首から上を消えると言う意味なのだろう両手を開きながら ぼん!と言ったのだ。
何処かに探知機が有り自分の首を追跡しているか、この島の中だけが安全地帯だと言う事だろう。
別に驚かない・・・。
それだけの事はしたのだ。
ただ、なぜまだ生かしているのかが判らなかった。
手足を切った時に死ぬはずだった・・・。
忘れかかった英語の文字をゆっくり拾いながら 読んでいった・・・。
それから月日が過ぎ
ベイトトの腹は南国人らしく膨れてきたが、ハルはそのままだった。
長い白髪が束ねた中に 数本混じったが、顔は少しやつれて見えただけだった。
小屋がが少し家らしくなっている。
ハルはベイトトが持ってくる本を読み、魚籠や仕掛け駕籠などを竹で作りすっかり竹細工の職人になっていた。
竹も鉈をふるって自分で割れるようになった・・・。
今日はベイトトの子供も一緒に船でやって来て、ハルの家にいち早く走り込んで来た。
待っても待っても食料を持ってこないので、どうかしたのかと思っていたが・・・子供はハルの手を強く引いた。
子供と一緒に砂浜まで出て見ると、いつも沖に停泊させている船から
ベイトトが荷物を担いで下ろしていたのだ・・・。
何事かと近寄って見ると、子供がハルの服を引き、波打ち際を指さしている。
別の荷物持ちかと見て見ると・・・。
頭の上部を剃り上げ そこに髷を乗せた男。
羽織らしきものを着た男が、船に酔ったのか波に向かって撒餌をしていた。
びくっとしたハルは、後ろに歩いていく。
乾いた柔らかい砂に脚を取られてそのまま後ろに倒れた・・・。
体を起こして座っていると、その侍らしき男が立ちあがり、
荷物の一つを抱えてこっちに向かって歩いた来たのだ・・・。
歩き方仕草見に見覚えのある男。
いつも夢の中の男・・・。
その男が、自分の近くにやって来ると、立ち止まり
「やあ・・・。」
と声を掛けた。
「・・・・。」
ハルは黙り、呆然としていた。
「元気そうだな・・・はる明。」