典虚てん手古舞

我が為の日々の記録! 74歳

月水金と火木土日・・・

2017年01月17日 | 【日録】何した一日?_生き心地?/逝き仕度

 朝、実家に行くと「火曜はつまらない」と母ハクトーバ・・・。文句たらたらの火曜日でした。

 入院は一昨年の夏でしたっけ? せっせと紙おむつとかを療養病棟に運んでいた三カ月だったけれど、その後「週2度」、「要介護2」で通い出したディサービスで・・・。

 ここから先は、言葉にあらわすのも疎ましいと申しますかねぇ。

 「家はつまらへん」とベッドから降りて、テレビの前にどかぁん!日ごと、月ごとに、恐ろしいほど、厚かましく、文句たらたらの満95歳半であります。

 いちばんの危惧は、同居している彼女の息子や近所に住まう長女(私)が、先に逝きそうな健康状態かしら。

 彼女の妹や弟もずいぶん前に逝去・・・。親しく付き合っていた女学校時代からの仲間もすべて他界とのことです。

 「生前葬」のつもりで、何年か前、親族に集まってもらって会食をしました。5月の連休で、当時東京に住んでいた息子夫婦と孫も呼び寄せてでありました。下の孫はまだ未生だから7年前ぐらい?いやいや、私現役のときだから8年前でしょうか。上六の共済組合の会館の一室でした。

 その後、腹が痛いが胆管炎で(大手前病院)、背骨の圧迫骨折が一昨年(育和会)と、その前に森ノ宮の何とか病院に救急車でしたっけ。

 人間の身体って、薬で、医療で長持ちさせることが出来るのには、マジ驚きですねぇ。

 自分自身が退職後七年弱の間に手術に3度入院、通院暮らしをして、イマドキの医療を観察しております。眼窩はくぼみ、骨と皮だけの四肢でも生きたはるっ中には、もう表情も失せている・・・。

 さて、昨年の12月24日のことです。母がお世話になっている「元気館」さんのクリスマス会に私も招待されました。家族というのではなく、お庭の世話を少しという御縁かな。

 楽しげな母ハクトーバでした。もちろん「認知症」との診断の範疇ですが、私は、「化けの皮が剥がれ」「卑しい本性が剥きだし」なっていると観察しています。浅ましい虚栄心。他の人を見下し、自分が褒められようと媚びすら・・・

 クリスマス会のときも・・・。遠くにから聞こえてきた母のことばは、「娘は高校の教師で・・・」でした。「嘘つきっ 嫌な女だよ。見栄っ張りの嘘つきばばぁさね。隣の人らに自慢気にしとった。

 わたし、小学・中学の正教員の前に2年間高校講師をしていましたが、まるで高校教員の方が社会的にえらい、地位が高いようなあの言いぐさには、ムカムカ 

 

  今朝も「抜けた歯」について通院はという話題の際、「わたしの家は歯医者やった」という昔々の話をハクトーバはのたまう。戦前の話。呆けた母は、歯科医院で何度もそれを繰り返す。側に立っているとと、弩ついたろかと怒りがこみあげるっ  口開けとけっ

 彼女は生まれてから、きちんと叱られたり怒鳴られて、そこから自分を問い返すして、人間のとしての心の「襞」を培うことなく、日和見で人生を遣り過ごした女。

 学校の成績も、自分でせず宿題(書生)、裁縫も(女中)やったみたいや。耳聡い小さな子の私は、黙ってきいとったぞ。

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