Gute Reise

東大で西洋建築史の研究をしながら設計を勉強している大学院生の日々の記録です。リスボン大に1年間留学を終え、帰国しました。

都市の中には建築があって、その先には人の生活がある。/ゼミ発表

2017-01-12 | LISBOA・FAUL
日本時間18時半ごろから、スカイプでゼミ発表。
懐かしい研究室の風景と、加藤研の皆さんの顔。

「コンバージョンによる歴史的建造物の再生が街の更新や発展に貢献しうる可能性について」
と題して、殆ど留学中や旅行中見たものの報告だけになってしまったが、
修論テーマとして悩んでいることなどと併せて発表した。

先生や先輩方から意見をもらう。

特に、こちらにいるうちにしかできないことを意識的に取り組んだ方がいいということ
例えば、日本でインターネットや文献だけでは知りえない、
現地の人々の建築に対する考え方など、会って話さないとわからないことなどがあると、
きっと私が知りたかったことの裏付けとなるのではいかというようなことを先生に言っていただく。

また先輩には、必ずしも保存すればいいというものではないし(勿論私もそうは思っていないが)
保存や経済性の方面から話を進めるというよりは、
建築空間としての良し悪しを先に議論した上でコンバージョンの話をした方が、
説得力もあるし、建築らしい論文になるのではないか、と言って頂いた。


実は最近、都市デザインを勉強している(はず)のある友人に、
どうして建築はもうこれ以上デザインしかよくならないのに、
こんなに建築学生は多く、他のデザインや芸術系の学科よりも優遇されているのか、
という、建築にきちんと取り組みだしてからはまだ2年弱という若輩者の私でも
カチンときたというか、呆れたというか、心底悲しい質問をされた。

その言葉をかけられたその時は、何からつっこんでいいかわからず、
言いたいことが全然言えなかったのだが、、、

数日おいて考えていて、思い浮かんだのが、
夏にインターンでお世話になった都市計画系の若手社員の方に講評で頂いた、
都市の中には建築があって、その先には人の生活があるわけで、、、という言葉。

人の生活が関与した物事を議論する上で、これ以上よくならないなんて、
絶対にあり得ないし、あり得てはいけないし、
ましてこのような分野を勉強しているこの世代の人間がそんなことを言い出してはいけない。

友人と話していて、こっちの都市と日本の都市とを比較して
もっとよくできることいくらでもあるじゃん、と頭に血が上りながらも返したのだが、
日本の都市住みやすいと思うけどな?と返されて、それもまた悲しかった。

私が思うに、日本の都市の住みやすさというのは、
治安だったり、利便性だったり、何より日本人で長くその街に住んでいるからこその慣れであり
建築や都市計画の世界は、絶対に、利便性や慣れだけで語られてはいけない。
というか、それって日本以外の都市を見ていて、
本当に何も感じてないの?とちょっと聞きたいくらいだった。

勿論、これは感受性や主観の問題も十二分にはらんでいるし、
私も100パー海外がいい、日本がダメ、という頭の悪い議論をしたいのではなくて、
あくまでまだ学ぶべきことはいくらでもある、と言いたかっただけであるし、
一概に彼女の意見を否定することもできないというのは、私もわかっているけれど、、、

ただ、こうして先輩に建築の空間性の議論の方が重要だと言って頂いて、
私の考え方は少なくとも全く間違っているわけではないかなという気がして
なんだか助かったな、と思った。(このエピソードは研究室の皆さんにも話した)


建築や都市計画という世界に生きる人間は、いつだって人の生活を忘れてはいけない。
保存も新規事業もそれは同じであって、
考えることをやめてはいけないと、そう思うことのできた発表だった。

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