つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

無住道曉『沙石集』の紹介(12e)

2011-12-27 07:22:03 | 仏教・禅宗・曹洞宗
前回の【(12d)】に引き続いて、無住道曉の手になる『沙石集』の紹介をしていきます。

『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。第10巻目は、様々な人達(出家・在家問わず)の「遁世」や「発心」、或いは「臨終」などが主題となっています。世俗を捨てて、仏道への出離を願った人々を描くことで、無住自身もまた、自ら遁世している自分のありさまを自己認識したのでしょう。今日も「一 浄土房遁世の事」を見ていきます。これは、遁世し、往生しようとする人達の様々なドラマを紹介します。

 『浄土論』は、(インドの)天親菩薩が書いた浄土宗の主要典籍である。彼がいうには、「浄土に生まれたいと思うのなら、菩提心を発すべきである。菩提心とは、衆生を渡して、仏の国土に生まれさせたいと想う心である」ということだ。
 菩提心というのは、穢土を厭い、浄土を願い、衆生を渡そうと想う心である。菩薩には、「智増」と「悲増」がいる。
 「悲増」というのは、穢土にいながら衆生を渡し、「智増」というのは、浄土に生まれて無生忍を得て、穢土に来て衆生に利益する者である。
 悲と智と異なっているけれども、衆生を渡さんと願う志は、同じである。
 そうであれば、浄土を願うには、まず菩提心を発すべきである。自利の心ならば、二乗の心であり、大乗の国土に生じることは無い。
 そうだからこそ、(中国の)曇鸞法師が『浄土論』を註釈して、「彼の国の快楽を聞いて、楽を受けようと願い、衆生を渡す心が無い場合は、(彼の国に)生じることが無い」といったのだ。
    拙僧ヘタレ訳


天親菩薩というのは、一般的な仏教学でなら、「世親」という名前の方が通り良いかもしれません。或いは、我々曹洞宗の伝灯であれば、「西天二十一祖・婆修盤頭大和尚」という名前の方がご理解いただきやすいことでしょう。さて、こういうところからも、諸大乗仏教では、仰ぐ祖師の名前が大体一致していくわけですよね。馬鳴尊者や龍樹尊者もそうですし。今でこそ、全く違う宗派・宗旨となっていますけど、その違いについては、判断停止して、歴史を観ていくと面白いかもしれません。まぁ、身も蓋も無いことをいえば、どちらの宗派でもずいぶんと歴史を「作り込んで」いるので、どれが正しいかを見極めるのは困難かもしれませんし、いやその作り込まれた歴史こそが正しいという話もまた納得です。

さておき、ここで拙訳をご覧いただきたいと思うのですが、無住禅師は天親菩薩『浄土論』を引用して、「菩提心」について指摘しています。たったこれだけですが、当時流行しつつあったであろう専修念仏について批判していることは明らかです。専修念仏では、菩提心に対しての絶対的な諦めにより、凡夫の修行不可能性を説きながら、それでもお救い下さる阿弥陀如来の「本願」を見出していくわけですが、一方で、菩提心を諦めない宗派や宗師からは批判されていくのです。無住禅師も、その意味での批判者になります。無住が説く念仏は、多分法然上人などの定義からすれば、自力の念仏ってことになりそうです。

ただ、一方的に感情論で批判するのでは無くて、ちゃんと典拠を挙げて、その上で、批判していこうとしていることは、注目しなくてはなりません。この場合、「浄土宗の本論」(原文)と評価される『浄土論』を引いています。『浄土論』には、菩提心に関する記述があり、それは、まさに菩薩の行いを是とするということです。度衆生を願い、仏国土に往生させるのだと営むことです。

菩提心というのは、厭離穢土・欣求浄土の気持ちです。これは表裏一体です。「忍ぶ土地」とも訳される「娑婆」を逃れ、阿弥陀如来が在す「極楽」に往生したいという気持ちがあれば、自然と、この世界に於ける様々な事柄に対して、無常観を深く懐くことが出来、結果、極楽に往生しようと思う修行にも身が入るわけです。ところが、ここで注意をしなくてはならないのが、往々にして、このような無常観に裏打ちされた修行は、他人への関心を失い、自分だけのものになる場合があることです。よって、この「菩提心」の中には、他者救済への想い、いわゆる「自未得度先度他」ともいう誓願が入っていなくてはならないのです。

自利のみの教えを否定し、大乗を求めているのは、その意味でということになります。なお、曇鸞法師の註釈に見える、快楽を受けようと願う気持ちによって、自利に偏ることについては、次回の記事で詳しく採り上げることになると思います。

【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年

これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。

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