つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

「蓮華蔵世界」に行った人はどうなる?

2016-11-07 09:33:13 | 仏教・禅宗・曹洞宗
親鸞聖人の2つの言葉を見ていたら、微妙な相違点が気になった。これらである。

・蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せしむと。 「正信念仏偈」
・蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち寂滅平等身を証せしむ。 「念仏正信偈」


それぞれ、親鸞聖人の教えであることは間違いないのだが、内容が微妙に相違している。そこで、気になるのが以下の2点である。

①蓮華蔵世界とはどこのことか?
②そこに至った時、何故、「真如法性の身」と「寂滅平等身」という2つの表現がされるのか?


ということで、まずは①からだが、これは、他の文献を参照することですぐに理解できる。

「極楽無為涅槃界」といふは、「極楽」と申すはかの安楽浄土なり、よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。かのくにをば安養といへり。曇鸞和尚は、「ほめたてまつりて安養と申す」とこそのたまへり。また『論』(浄土論)には、「蓮華蔵世界」ともいへり、「無為」ともいへり。
    親鸞聖人『唯心鈔文意』


このような言葉があって、阿弥陀如来が開いた西方極楽浄土のことを、「安養」とか「蓮華蔵世界」といっているので、極楽のことを指すのは明らかである。他にも、以下の指摘がある。

「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」といふは、蓮華蔵世界といふは安養世界のことなり。かの土にいたりなば、すみやかに真如法性の身をうべきものなりといふこころなり。
    蓮如上人『正信偈大意』


これは、非常に分かりやすい開き方をしているので、議論の余地はあるまい。この通りということになるのだろう。そして、問題は②に移る。

②だが、「真如法性の身」については、この用語そのものへの註釈は、少なくとも拙僧が容易に見られる文献には見えないが、親鸞聖人の以下の教えが参照できるだろうか。

「涅槃」をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ。仏性すなはち如来なり。
    『唯心鈔文意』


ここから、涅槃のことを、「法性」とも「真如」ともいうのだから、「真如法性の身」とは「涅槃の身」と言い換えても良いことになるし、「仏性」とも言い換えられて、「仏性すなはち如来なり」から、「如来の身」と言い換えることも出来よう。では、続く「寂滅平等身」についてだが、こちらも直接の註釈は存在しないが、以下の教えが参照できるだろう。

〈平等法身〉とは、八地以上法性生身の菩薩なり。〈寂滅平等〉とは、すなはちこの法身の菩薩の所証の寂滅平等の法なり。この寂滅平等の法を得るをもつてのゆゑに、名づけて平等法身とす。平等法身の菩薩の所得なるをもつてのゆゑに、名づけて寂滅平等の法とするなり。この菩薩は報生三昧を得。三昧神力をもつて、よく一処・一念・一時に、十方世界に遍して、種々に一切諸仏および諸仏大会衆海を供養す。よく無量世界に仏法僧ましまさぬ処にして、種々に示現し、種々に一切衆生を教化し度脱して、つねに仏事をなす。初めに往来の想、供養の想、度脱の想なし。このゆゑにこの身を名づけて平等法身とす。この法を名づけて寂滅平等の法とす。
    『顕浄土真実証文類四』


ここで、親鸞聖人が参照・引用しているのは、中国浄土教の曇鸞法師による『無量寿経優婆提舍願生偈註』巻下であり、まず、「平等法身」から、「寂滅平等」に展開していることが分かる。「平等法身」とは、ここにあるように「八地以上」で、法性なる菩薩のことである。「八地」というのは、菩薩五十二位の修行体系の中では、48番目となり、かなりの高位ということが分かる。なお、関連して以下の記述を見ておきたい。

勝智を求め八地に登らんと為さば、寂滅無生忍に契悟す。
    『仏説十地経』

契経に言うが如し、「八地已上の諸菩薩衆は、法想を離れるが故に我我所無し。一切の法の非常無常・無生無起・自他平等を観ずるなり」。
    『仏地経論』


ここから、八地というのが、寂滅無生忍という境涯に契い、また、自他平等の観想を十分に行うことが分かる。これらの考えから、先の曇鸞法師のような指摘に至るのは当然のことであり、それを受けての「寂滅平等身」であるといえる。

ところで、そうなると1つ疑問なのが、一方では「如来の身」と言える境涯であるが、もう一方は菩薩八地となる。この辺はどうなんだろう?元々、ここで問題にした親鸞聖人の2つの偈は、共通して天親菩薩『浄土論』への註解であるから、天親菩薩の見解そのものが、こう割れているということになるのだろう。それとも、ここでは親鸞聖人の他の文献を会通させて、「如来の身」とはしたが、それはこちらの踏み込みすぎなのかもしれない。やはり、八地云々というのが正解か?

などなど、他宗派の文献を学んでみたけれども、色々と難しいなぁ、という結論で終わるのであった。

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