つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

『仏祖正伝菩薩戒作法』奥書について

2016-09-18 14:18:56 | 仏教・禅宗・曹洞宗
ちょっとした一文である。なお、実世界の論文でも、この辺の研究は多いので、当記事はあくまでも拙僧個人の見解を示すのみである。

仏祖正伝菩薩戒作法
 右大宋宝慶元年九月十八日、前住天童景徳寺堂頭和尚、道元に授くるの式是の如し。祖日侍者〈時に焼香侍者〉・宗端知客・広平侍者等、周旋して此の戒儀を行ず。
 大宋宝慶中、之を伝う。
    『仏祖正伝菩薩戒作法』


道元禅師が、中国で本師・天童如浄禅師から「仏祖正伝菩薩戒」を授けられたときの儀式について、その内容を記した文献の奥書に、上記一文がある。そして、これらの一節について、先行研究などを踏まえると疑問点は以下の通りである。

(1)如浄禅師について「前住」という一句がある
⇒もし、この式が行われたのが「大宋宝慶元年九月十八日」であったとすれば、まだ如浄禅師は堂頭(住職)で会ったはずである。よって、「前住」とはおかしいという話になる。だが、この作法書がいつ記載されたのかが問われることでもある。例えば、その式を受けた当日に記したのであればおかしいという話になるだろうが、後日に思い出して書いたか、或いは後日にまとめられた可能性もある。つまり、その書いたときに如浄禅師が「前住」だったという理解で問題が無いように思われる。

(2)この式はどういう位置付けか?
⇒現在永平寺に現存する伝・道元禅師将来『嗣書』が、宝慶3年(1227)に授けられたと書かれている関係から、この式についての位置付けも迷うところだが、拙僧つらつら鑑みるに、やはりこの式は、嗣法の儀式だったのだろうと思われる。何故ならば、儀式中にこのような一節が見えるためである。

次に受者、応に召して合掌問訊して、進みて和尚の右辺に到り、血脈に向かいて問訊すべし。或いは速礼一拝し、合掌し曲身して師資嗣法の名字を見る。

「血脈披見」という作法についてだが、正しく「師資嗣法の名字」とある。つまり、この儀式で貰う『血脈』には、法を嗣いできた者達の名前が書かれていることとなり、当然にそこに、受者本人の名前が書いてあると見るべきだろう。その点からすれば、当然にこの作法は「嗣法」の儀式であったと見て良く、転じていえば、道元禅師には「宝慶元年」に授けられた「嗣法関係の文書」があったと考えるべきである。こうなると、問題はむしろ、「宝慶丁亥(干支のみである)」という表記がされた『嗣書』の方になる。

以上、ごく簡単に申し上げたけれども、この2点ともに決して忽せには出来ないように思う。しかし、拙僧的にはもう一つ、この「宝慶元年」という年次に関心があり、それは、『永平広録』巻10に収録されている道元禅師の偈頌を見ると、中国の「宝慶二年」から始まっているのである。これは推測でしかないが、自ら身心脱落され、その悟境を味わった道元禅師が多くの者達と漢詩の交換を始めたのがこの年なのではないか?ということである。

それは悟ったからこそ、交換が実現したという話になるのではなかろうか、と思う。

無論、それを突き詰めれば前年からではないか?という指摘もあろうが、何かの理由をもって宝慶元年中は慎み、翌年から始めたのではないか?ということである。そして、宝慶三年ではないということが、実は拙僧にとっては大事である。拙僧は、「宝慶三年」に身心脱落を持っていく発想にどうも不満を持っている。それも併せて批判したくて、こういう記事である。

まぁ、こんな短記事一本で結論は出ないから、あくまでも拙僧の見解を披露しただけだが、今後もこの辺は参究を重ねていきたい。そして、更に今日、この記事を書いた理由は、先に引いた奥書の日付と合致するためである。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗11〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
ジャンル:
文化
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« リオ・パラリンピック 自転... | トップ | <NPB2016>マリーンズは涌井... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリの最新記事