つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

お盆に因んだ或る愚痴を読む

2017-08-13 09:46:23 | 仏教・禅宗・曹洞宗
盂蘭盆会に関する従来の記述を学んでいると、かなり面白い内容を見つけてしまったので、紹介しておきたい。なお、自分で面白いと言って書き始める文章は、往々にして他者にとってはつまらないものになりがちだ。

今年より四年ほど前に『盆の由来』といふチト念の入った話しを書きあつめて、チイサな冊子に致しました。ところがあんまり念が入り過ぎたものと見え、お爺さんや、お婆さんや、お嫁さんや、お娘さんや、お児童さんには、どうも能う分らんから、マチツト誰にでも能く分るやうに書れさうなモンだ、書て貰ひたいモンだとの注文もある事ゆゑ、今年は思いきってヤサシクお話しをして見たいモンだ、書て見たいモンだと思ふのですがどうも、仏法の話しは面倒クサイモンだ、面倒クサイモンだから、勇んで話すことが出来ぬ、出来子エモンだから聴く方でも退屈をする、読むのは尚ほイヤになる、イヤになるのは分らんからの事じや。分ってもソンナに面白ない、面白味がないから、有難味は尚ほ更ない、有難味がないから信心気が起らぬ。誠に困ったものだ。若しチツトでも信心気が兆したならば、モウ占めたものじや。けれど、夫れまでが中々容易なことではない。
    高田道見『通俗仏教便覧』(仏教館、明治39年)「盂蘭盆経講義」1~2頁


高田道見先生は、例えば愛媛県の瑞応寺で住職を務められたり、東京都の青松寺にあっては仏教青年会の先駆的組織を作ったりした学僧である。それで、明治時代の中後期には「通俗仏教」の立場を立てて、民衆布教に尽力された。また、独自の釈尊信仰を唱え、「法王教」という運動まで作られた。ただし、ほぼ同時期に救世教を作って観音信仰を唱えていた大道長安は教団を擯斥された(その後、擯斥は解除され、名誉は回復された)が、高田先生は最後まで曹洞宗侶たる面目を保った。

さて、その高田先生に『盆の由来』という文章がある。同じ『通俗仏教便覧』に収録されているのだが、問答体で書かれており、確かに難しい内容で、拙僧個人などは宗侶や篤信家向けの内容だと思っていた。そうしたら、それを「分かりにくい」という意見でも寄せられたようである。そこで、高田先生は、かなり分かりやすく書き直したいという思いを吐露されている。

それにしても、この一節、まぁ、時代柄というべきなのか分からないが、微妙に女性差別的な文章が見えるのは残念であるけれども、仏法を優しく話してみたいというのは、説教師にとっての常なる願望であるかもしれない。しかし、その決意の発露の言葉が何とも面白い。

まず、仏法の話しは面倒臭いといっている。これは、特に仏教に詳しくなってくると分かるのだが、情報が過多なのがこの宗教である。そうなると、あれもこれも話したくなってきて、まとめるだけで一苦労ということになる。しかも、最近では人権問題や現代問題など様々なことに配慮しなくてはならないから、確かに面倒臭い。更に、仏教というのは、イメージ的に辛気くさいものでもある。そうなると、辛気くさくしか話せないから、聴く人も退屈で、文章を読むのも嫌だという話になる。そう考えると、拙ブログの読者諸賢は、とても立派な人達だということになる。感謝、多謝。

それでも、この一節は、日本人の気質を良く表しているように思う。面白くないと有り難くない、有り難くないから信心が起きないという話である。信心が起きればその先もあるのだが、そこまでが容易ではないという高田先生の愚痴、拙僧どもも我がこととして受け取り、更なる教化へと繋げていきたいものだ。

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