「死刑執行のサインせぬ」と発言、すぐに撤回 杉浦法相 (朝日新聞) - goo ニュース
第3次小泉内閣で、法務大臣に就いた杉浦正健氏が死刑執行書に「私は署名しない」というような素朴な感情を吐露できてしまう不見識に拙僧は信じられない思いがいたします。いつからこの国は、個人的事情によって法の執行を曲げられるようになってしまったのでしょうか?これって、なるほど死刑という非人道的とされる制度に対しての反対ですから、一見するとヒューマニストに見えるかもしれません。しかし、冷静に考えるととんでもないことを言っています。
職務怠慢を公言していることになるし、ちょうど後藤田正晴元法相が言っているように、署名できないなら法務大臣なんか受けるべきではないと思います。それから、これも拙僧には理解できないことですが、何故死刑制度反対者は法務大臣を「人殺し」のように非難するのでしょうか?これこそ、スケープゴートに他ならず、逆差別も良いところです。
法務大臣は、自ら国家から与えられた職務を果たしたのであり、これを批判することはできません。むしろ、批判されるべきは死刑制度を維持させてしまっており、法務大臣に死刑執行のサインをさせている国民1人1人の自分に向くべきでしょう。何故ならば、この国は民主主義国家だからです。嫌なら憲法や法律を変えてしまえばいいはずで、法務大臣を非難することは、一方で定めている立場にあっても、それを自ら行わないという無責任が見えて、ここで多重的な罪を犯しているように思います。結局、「お上」がしていることには自分は無関係だという無責任的体系が発露されているように思えます。
そうであってはならない
我々国民1人1人が重大な犯罪人を刑場に送っているという自覚こそ必要なのです。この自覚にあって初めて法を変えるほどの力に変えていかなくては、何の意味もないです。そうでなければ、トルコのように国家の功利主義的な目的だけで自らの存在意義を変えることになるでしょう。現象としては死刑制度廃止というので賞賛されるべきだと思っている方がいるようですが、とんでもない
非常に下劣です。
今回の発言は、例えば拙僧がこのブログで「死刑制度反対」などと、無責任に述べるのとは全く違う話であって、法務大臣の個人的見解はとりあえず個人的なものにしておくべきでしょうな。いくら浄土真宗の方とはいえ、宗教が国家を超える模索をしてく努力は、法務大臣ではない立場で意見を発していくべきでしょう。
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第3次小泉内閣で、法務大臣に就いた杉浦正健氏が死刑執行書に「私は署名しない」というような素朴な感情を吐露できてしまう不見識に拙僧は信じられない思いがいたします。いつからこの国は、個人的事情によって法の執行を曲げられるようになってしまったのでしょうか?これって、なるほど死刑という非人道的とされる制度に対しての反対ですから、一見するとヒューマニストに見えるかもしれません。しかし、冷静に考えるととんでもないことを言っています。
職務怠慢を公言していることになるし、ちょうど後藤田正晴元法相が言っているように、署名できないなら法務大臣なんか受けるべきではないと思います。それから、これも拙僧には理解できないことですが、何故死刑制度反対者は法務大臣を「人殺し」のように非難するのでしょうか?これこそ、スケープゴートに他ならず、逆差別も良いところです。
法務大臣は、自ら国家から与えられた職務を果たしたのであり、これを批判することはできません。むしろ、批判されるべきは死刑制度を維持させてしまっており、法務大臣に死刑執行のサインをさせている国民1人1人の自分に向くべきでしょう。何故ならば、この国は民主主義国家だからです。嫌なら憲法や法律を変えてしまえばいいはずで、法務大臣を非難することは、一方で定めている立場にあっても、それを自ら行わないという無責任が見えて、ここで多重的な罪を犯しているように思います。結局、「お上」がしていることには自分は無関係だという無責任的体系が発露されているように思えます。
そうであってはならない
我々国民1人1人が重大な犯罪人を刑場に送っているという自覚こそ必要なのです。この自覚にあって初めて法を変えるほどの力に変えていかなくては、何の意味もないです。そうでなければ、トルコのように国家の功利主義的な目的だけで自らの存在意義を変えることになるでしょう。現象としては死刑制度廃止というので賞賛されるべきだと思っている方がいるようですが、とんでもない
非常に下劣です。今回の発言は、例えば拙僧がこのブログで「死刑制度反対」などと、無責任に述べるのとは全く違う話であって、法務大臣の個人的見解はとりあえず個人的なものにしておくべきでしょうな。いくら浄土真宗の方とはいえ、宗教が国家を超える模索をしてく努力は、法務大臣ではない立場で意見を発していくべきでしょう。
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最初にお断り(釈明)させていただきます。私も舌足らずでした。「私は死刑賛成論者でも反対論者でもない。その是非は判断出来ない」と付け加えるべきでした。
私が指摘したいのは、大臣たるものの発言の重みであり、「法相が個人的な思想・心情・宗教観でやらないならはじめから大臣に就任することが間違いだと思う」という後藤田さんの発言にある程度賛同し、しかし、大臣になった以上は単に「署名しない」のではなく、それならそれで廃止に向けて活動すべきだと言う、大臣としての職務を指摘しているのです。
あなた様の見解「法務大臣の個人的見解はとりあえず個人的なものにしておくべきでしょうな」、最初から個人的見解と断ってからの発言なら問題ないのです。そうでなく大臣として明確に「署名しない」と発言し、問題になると言い訳するその姿勢が問題なのです。
もう一度申し上げます。私の投稿は死刑廃止論とは別次元の発言です。
ご意見は良く分かりました。なお、拙僧も貴方のご意見と大して変わるところはありません。
なお、拙僧の文章も分かりづらくなっていて恐縮なのですが、死刑廃止については宗教者として個人的には賛成ですが、国家がそのような死刑を行う権利を持つことについては反対しておりません。
死刑は被害者の気持ちを考えてというのもありますが、何よりも犯罪抑止力があります。悲しいですが、この制度が一番抑止力があると思います。
双葉社で「モリのアサガオ」という漫画を連載中で、死刑囚の刑務官の話です。ちょっと縁があって時々見ていますが、死刑について考えさせられました。
ご指摘のように、日本人の多くが死刑があった方が良いと思っている間は、死刑制度は無くならないと思います。当然、自分が生まれる前からある制度がほとんどだと思いますのであまり実感をいだくこともないのですが、実際には国民である以上、刑場に犯罪人を送っている事実からは逃れられません。他の制度も同様です。
なお、ご紹介いただいたマンガは未見なのですが、拙僧は角川文庫から出ている大塚公子さんの『死刑囚の最後の瞬間』『死刑執行人の苦悩』などを読んで、問題意識を喚起されました。
http://www.ii-park.net/~yuko-kurusu/kiyotaka/
結局、法務大臣なら法務大臣、死刑制度なら死刑制度というように、安易に問題点を見付けて、それで解決した気になっていることが問題で、実はそれらを含めて「自分」の問題なのだというように内に還していかないとダメだと思うのです。
やはり、問題を主体的に受け止めて、そしてどう行動していけるのか?という可能性の中心に身を置くことの重要さを痛感いたします。
> 来栖宥子 さん
確かに、意気込んで自説を展開してしまったような所がありますね。やはり、まだまだ自覚が足らなかったということなのでしょう。本人は浄土真宗の方のようですが、その信念は褒めますが、されど国務の執行についての言及は、かなりの問題があると思います。