つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

仏教と戦争―高楠順次郎博士の場合(2)

2016-08-15 07:11:24 | 仏教・禅宗・曹洞宗
それでは、【昨日の記事】に続いて、仏教に於ける戦争と平和を高楠博士がどのように考えられたのかをまとめてみたい。昨日と同じく典拠とする文献は『東方の光としての仏教』(大雄閣、1934年)の「第一篇 仏教と戦争」から「二 平和と戦争」を見ていきたい。同節冒頭で、博士は次のように指摘する。

仏教は、理想として戦争を非認するが、現実としては戦争を認容すると云ふ理由は、一面より解釈した見知を前篇に説いたのであつた。
    本書15頁


このように理想と現実という二面性を使うことにより、仏教に於ける戦争肯定論を展開していくのである。しかし、本来はこの理想を現実に及ぼすことが出来るかどうか、ということが検討されるべきなのではなかろうか?或いは、現実に影響の無い理想など、元々提示すべきでは無いという風に、ユマニストの拙僧などは指摘することが出来る。

それで、高楠博士は昨日の記事で述べた「包容主義」にも関連して、次のように指摘される。

仏教は理想から言へば、徹底的平和主義を主張するものである。これは理想に於ては徹底的に平和礼讃の宗教であると言ふのである。然るにその実際に於ては、小乗教者は到る処この理想を執持して、飽くまで戦争を回避せんとするのに反して、大乗教者は正当防衛としての戦争を肯定し、生命線の闘争として干戈を動かすことを辞しない状態に在るのである。如何にして此等の矛盾を説明せんとするか、一考を要する所である。
    本書15頁


これは、昨日の述べたところをまとめたものだといえる。そして、当記事では高楠博士の問題提起である「矛盾の説明」を超えて、「矛盾を批判」、或いは「矛盾の原因を解体」しなければならないと考えている。それから、高楠博士はここで「小乗教者(多分に、現在の東南アジアの上座部仏教を指す)」に於いては、平和主義を基調とするというが、実際にはそれほど単純では無い。東南アジアで繰り返された戦争の惨禍に、仏教者(僧侶・比丘)が祈りや呪具の提供などを通して手を貸した事例がある。そして、そちらにも「正当防衛」の考えがある。無論、僧伽全体の総意であったかどうかについては、一々の事例を調査するしかないし、現状の拙僧にはその手段が無い。

さて、先の「矛盾の説明」について、高楠博士の論を追ってみたい。

仏が徹底的平和の理想を押立て、その理想を完全に実現せしめんとせられたのは、慥にその第一教団に於てのみであつた。第一教団は比丘、比丘尼の教団である。第一教団は徹底的に戦争を非認し、生類の相互扶助の平和界を実現せしめんとせられたのである。
    本書16~17頁


ここに高楠博士の「理想と現実」の分水嶺が見えた気がする。それは、仏教教団を「第一・第二」に分けて、第一の出家者集団を理想の具現とし、第二の在家信者集団を現実の具現とするのだろう。

斯る平和の大理想を振り翳して、民衆に臨むのが第一教団の道である、これを名づけて出世間道と云ふのである。〈中略〉その責任は即ち法施である、法とは理想である、自ら履まざるものは他の為の理想とはなり得ない、この法施あつて初めて比丘、比丘尼である、〈中略〉この法施を受け、その理想の何たるかを学び、その理想者を讃仰するものが第二教団である、第二教団に信男信女の教団である、これを優婆塞、優婆夷と名づける、これは『奉仕者』と訳する、食施を以て第一教団に奉仕するのである。
    本書19~20頁


この段階ではまだ、「理想」に重きを置いた「第一・第二」教団の相関関係であるといえる。第二教団たる在家信者は、理想を讃仰し、その理想の具現者たる第一教団を支え、奉仕する存在として描かれているためである。であれば、戦争を容認するという「現実」はどこに生まれるのだろうか?

第二教団は俗人の衆団である、五戒は理想として与へられてあつても、これを字義通りに実行することは出来ない、殺生は罪悪なりと教へられても、生きる為には蠶業もせねばならぬ、漁業も営まねばならぬ、成るべくこれを避くることは心懸けても、時には正当防御も必要である、国王に奉仕せなくてはならぬ、兵役の責任も全うせねばならぬ、戦へば必ず勝たなくてはならぬ、生存競争には劣敗してはならぬ、資生産業は捨てゝはならぬ、併しそれを仏教の精神を忘れずして実現するのである。
    本書20~21頁


ここでこう述べてしまえば、結局、「理想を讃仰する」という意義について、全く意味が無いと言える。仰ぎつつも、それが出来ずに、むしろ戦争に邁進するという話になるのであれば、讃仰といっても何を目的に行っているのかよく分からない。例えば、上記引用文でも、「仏教の精神を忘れずして実現する」とはいうが、むしろ精神や理想を忘れているからこそ、戦争が出来るのではなかろうか。よって、そもそも、このような「第一・第二」教団の関連について、もう少し理想を前提にせずに考える必要があるように思う。

例えば、「第二教団」側からすれば、単純に御利益信仰であるかもしれない。自らの生活が向上することを、三宝に願っているだけの可能性を、決して捨てるべきではない。そうであれば、「仏教の精神を忘れずして実現する」というようなことが出てこない。むしろ、戦争に勝つために、三宝を護持し、三宝に願うのだ。

拙僧つらつら鑑みるに、「地蔵」について考えてみると、まさにこの「戦争と平和」の両方に関わる菩薩であるように思う。拙僧は、「勝軍地蔵」と「平和地蔵」の両方を見たことがある。地蔵は、戦争で勝利することへの願い、戦争の惨禍を反省し平和を願うこと、両方を受け止め、願いに応えんとする菩薩である。何故それが可能かといえば、「平和主義」では無くて、「包容主義」だからであり、「包容主義」の根底に空思想があるためである。自らを空しくして、あらゆる願いを受け止め、その実現に寄与するのである。ここからは、「平和主義」と「包容主義」との関連も、高楠博士の指摘で良いかという疑問も残る。つまり、「包容主義」の徹底は、「平和主義」をも一選択肢に押し込めてしまうように思う。

それに、拙僧としては、「不殺生」と「平和主義」との関連はもっと詳細に論じられるべきであると思う。それは、不殺生というブッダが説いた理想が、社会に敷衍することによって「平和主義」になるといえるが、その「敷衍」のシステムが今一つ判明しないという事実があるからである。それに、そもそも不殺生は平和主義を生み出すために説かれたものであるとも限定できないため、根拠としてカテゴリーミステイクである可能性もある。

よって拙僧は、「仏教は平和主義」という理想的前提の無意味を説くものである。そうではなく、現実からどう平和を構築できるかを、理想を置かずに検討していくべきだと考えている。何度も申し上げているが、拙僧にとっての現実は、拙寺の「昭和20年の過去帳」である。例年15~20名くらいの檀信徒の方が亡くなられてしまうのは、致し方ない。普段は菩提寺の役目として真心からの御供養を申し上げるだけなのだが、昭和20年は120名の方が亡くなられた。拙寺がある地域は、連合軍による直接攻撃はほとんど行われなかった。それを思うと、この死者の数は社会インフラの崩壊が原因である。その限界を超えた状況で119人を送った住職は、どういう気持ちだったのだろうか。なお、その時の住職は自らもガンにかかり、同年の年末に遷化した。昭和20年の過去帳、最後の一人は当時の住職なのである。その現実に於いて、不殺生などの理想は何の意味も無い。拙寺を襲った悲劇を二度と引き起こさないための努力に、どう仏教徒として関われるのかを問うべきだといえる。

ただそれだけなのである。今日は「終戦の日」、こんなことを考える最も適切な日であるといえよう。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。 

これまでの読み切りモノ〈仏教12〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
ジャンル:
文化
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« <リオ五輪>錦織圭選手テニ... | トップ | <リオ五輪>卓球男子団体は... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリの最新記事