つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

10月15日 興聖寺開堂の日

2016-10-15 10:40:07 | 仏教・禅宗・曹洞宗
今日は10月15日である。その日に思い出すのは、やはり道元禅師の興聖寺開堂である。

師、嘉禎二年丙申十月十五日に、始めて当山に就いて、集衆説法す。
    『永平広録』巻1冒頭


とまぁ、この記述がその原典といえる。道元禅師は嘉禎2年(西暦1236年)に興聖寺を正式に開き、修行僧を受け入れたことが分かる。なお、永平寺に入ってから改めて制定された『正法眼蔵』「安居」巻に見る安居法は、夏安居のみを肯定しているが、この記述を見ると、興聖寺では冬安居も実践されていたのだろうか?実際、中国では夏冬二安居だったはずである。

話を戻して、道元禅師はおそらく同日、最初の「上堂」を行った。上堂というのは、法堂という場所で行われるもので、禅宗叢林に於ける最も正式な説法である。なお、この上堂で発せられる言葉は、まさしく仏陀の説法と同じ価値を持っていると考えられており、それが、禅林に於ける仏殿の否定ということにも繋がったと考えられる(一部の清規[軌範]にて、そうある)。

拙僧つらつら鑑みるに、興聖寺には仏殿が当初からあったとされており、しかも、『正法眼蔵』「看経」巻を読む限り、本尊は釈迦仏(おそらくは、釈迦仏のみ)であったと考えられる。よって、仏殿否定ということにはならないが、1人の正法伝侍者として、堂々と説法をされていたと思われる。

そして、その後、約10余りに及ぶ京都での布教を行った道元禅師は、大檀那波多野義重公の招きもあって越前に移り、大仏寺(後の永平寺)を開くのである。

さて、10年余りの上堂の中には、様々な教えが残されている。例えば、以下の教えはどうか?

 上堂に、云く。
 昨夜清風、太虚より落つ。朝来柏樹、立って成仏す。下座。
    『永平広録』巻1-81上堂


何故か、『永平広録』巻1には、このようなたった2句しか述べなかったと思われる上堂が複数あるのだが、時期的に多分、今頃と思われるものを引用してみた。意味としては、昨晩に清風(仏陀の働き)が、太虚(仏陀の智慧)から吹き降りてきた。朝が来たら、柏樹子は立ったまま成仏していた、ということになるだろう。そして、道元禅師はこの語を述べられると、すぐに法座を下りられたようである。

意義を考えてみれば、無分別の太虚より発した仏陀の働きが、この世界に於けるあらゆる無情物をも成仏に導いた、というようなことになるだろう。問題は、我々がそれに気付くかどうかなのだが、無分別であればすぐに気付けるはずである。そして、有情・無情という分別を真の意味で超え出たとき、この世界は太虚からの清風によって満たされていることが分かる。

そして、我々自身もその事実の上に生きていることを知るべきなのであり、それ以上でも以下でもない。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗11〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
ジャンル:
文化
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 瀬戸内寂聴氏が死刑制度に関... | トップ | 乳児用の液体ミルクを解禁へ »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL