つらつら日暮らし

無住道曉『沙石集』の紹介(12s)

前回の【(12r)】に引き続いて、無住道曉の手になる『沙石集』の紹介をしていきます。

『沙石集』は全10巻ですが、この第10巻が、最後の巻になります。第10巻目は、様々な人達(出家・在家問わず)の「遁世」や「発心」、或いは「臨終」などが主題となっています。世俗を捨てて、仏道への出離を願った人々を描くことで、無住自身もまた、自ら遁世している自分のありさまを自己認識したのでしょう。今日からは、「4 俗士、遁世したりし事」を見ていきます。名前は良く知られていないようですが、在地領主が亡くなった時、その跡継ぎに賢い人がいたというのです。詳しいことは、お話をご覧ください。

 丹後国(現在の京都府北部)に、何某という、名前を聞いていたが忘れてしまった小名がいた。家は貧しくなかった。
 歳を取り、病で亡くなったが、遺言で、所分状(財産分与を記した紙)は中陰(四十九日)を過ぎてから開くようにといわれていた。よって、子息がその通りにしたところ、(その小名には)男子が八人、女子が数人いたのだが、嫡子に主に譲って、次男からは次第に少しずつ減らして、(子どもに)むら無く譲るように書かれていた。
 ここで、その嫡子がいうには、「亡くなられた殿の遺言については、異義を申すべきでは無いけれども、私が思う所もあるので、それを申しわげないわけにはいかない。
 亡くなられた殿は、果報も良く、思慮も賢い人であったので、京や鎌倉での宮仕え、公的な役なども、しっかりと勤めておいでだった。(しかし、その殿が遺された)所領を、このようにたくさんに分けて、それぞれが安堵を願って宮仕えをするということになれば、非常に大変なことである。私も見苦しいと思うし、人目にも悪い。
 そうであれば、(きょうだいの内)1人を前に出して家を継がせて、残った者は食べていけるだけの田んぼを少しずつ分けて貰って、ここは山里だから、水や木が多くある場所に庵室を作って、入道となって、念仏を唱えながら、この一生を心安らかに過ごしたいと思う。
 私は嫡男ではあるが、世に出て行くだけの能力が無いと自分でも思うので、この中から1人選んで家を継がせたいと思う。それぞれ、よく相談して検討して欲しい」といった。
 しかし、「その通りだ」というきょうだいもいなかった。
 よって、嫡男が申すには、「各々が(私の考えを)用いてくれないのなら仕方ないが、何としてもそれがしは入道になりたい。この中では、五郎殿の能力が優れている。そうであれば、家を継ぎ、宮仕えをして欲しい。他のそれぞれは、その(五郎殿の)庇護によって田を作り、引き籠もって暮らそうではないか」といったところ、他の兄弟もその気になって、全員入道となり、遁世門に入ったと聞こえてきた。
 賢い心に違いない。
    拙僧ヘタレ訳


「小名」というのは、「大名」ほど大きくは無いけれども、まぁ、一定の経済的な基盤も持っていた人のようです。頑張って宮仕えなどもして、財産を築きましたが、自分が亡くなるに臨んで、それを子ども達に分与しようとしたときの話だといえます。ところが、その子どもの中に、よく物が見えた一人がいたようで、その人の発言をめぐっての記事となります。

しかし、今でいうところの引きこもりとどう違うのか?迷うところですが、それが、世間的な栄達を求めず、ただ自らの安心・安穏のため、という辺りが、この時代の人達の感覚を感じさせます。要するに、長男(嫡男)は、自分に能力が無いことを知り、そうであれば、誰かが一人、一家を支えるようにして、他の人は入道となり、ゆっくりと過ごそう、という話なわけです。

今であれば、逆に少しの財産分与で揉める話も聞こえてきますから、ずいぶんと時代が違うものだとも思いますし、或いは、今時でも、引きこもり状態の理由として、「念仏したいから」とかいう人がいれば、また話は変わってきそうです。寡聞にして、聞いたことは無いですが・・・

なお、おそらくこの一件が示すのは、鎌倉時代に誕生した財産相続の方法である「総領制」とかいう内容で、つまりは、所領の分割相続(男女問わず)と、嫡子が一番取り分が多い、という折衷的状況を見ることが出来ます。しかし、これが結果的にはそれぞれの「家」の経済的基盤を弱体化させたようで、弱体化を如何にして回避するか、というのは、ここに見るように、優れた人が継ぎ、その人が更に「家」の経済を発展させるくらいしか方法が無かったようです。しかしこれも、鎌倉時代中盤以降は、新たに獲得できる土地も無くなり、結果的に鎌倉幕府転覆に向かうという話になっていくようです。

今日採り上げた話が興味深いのは、要は、「五郎殿」以外の人は、皆、人生を「降りて」しまったということ、つまりは自分一人は生きていくことが出来ても、家庭を持ったりすることは不可能だったでしょうし、結果的に「五郎殿」以外の血は絶えてしまったと思われるのです。それを、「念仏往生」という「あの世」を導入することで、現世のそれを許容するという話に見えるので、興味深いと申し上げた次第です。今は、中々に難しいと思われます。

【参考資料】
・筑土鈴寛校訂『沙石集(上・下)』岩波文庫、1943年第1刷、1997年第3刷
・小島孝之訳注『沙石集』新編日本古典文学全集、小学館・2001年

これまでの連載は【ブログ内リンク】からどうぞ。

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