つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

或る眼蔵家の遺言

2017-08-26 08:27:12 | 仏教・禅宗・曹洞宗
まずは、この一節をご覧いただきたい。

  遺範要略
一 退蔵峯は老僧の在世隠棲・滅後葬身の地なり。有志の道者三五箇安居を結会して専要に元古仏の坐禅箴・儀両篇に依りて只管に弁道するなり。
一 老僧、化を戢むるの日は他に告報すべからず。且つ年回の時、牌前の荘厳、一切致すべからざるなり。
一 老僧を供養せんと欲する者は、欽んで『正法眼蔵弁註』を拝閲すべし。是を第一の孝順心と為すべきなり。云々
  享保二十年乙卯十二月十日
   老螺蛤天桂 花押
    『永平正法眼蔵蒐書大成』巻15・709頁上段、拙僧ヘタレ訓読


元の職場の上司で、天桂伝尊禅師(1648~1735)のご研究を精力的になされている先生から、天桂禅師は坐禅に熱心だったはずだと伺っていたのだが、その典拠がここの一文だった(はず・汗)。

その意味で特に見て欲しいのが第一条なのだが、もしこの退蔵峯陽松庵にて有志の道者が3人でも5人でも安居するならば、道元禅師の『正法眼蔵』「坐禅箴」「坐禅儀」巻に則って、とにかく坐禅弁道するように促しているのである。

個人的には、この両巻のみでは清規的な内容が担保されないので、その点はどうされていたのかが気になるのだが、この遺言のみではよく分からない。

また、第二条はもし天桂禅師が遷化された際にも、他に伝えなくて良いとしており、もし年回法要を行うときにも、位牌の前に荘厳(供華や供物など)を捧げなくて良いとしているのである。この辺の、葬儀を簡潔にして良いという遺言は、しばしば禅僧には見られるものであると思われる。

それから、第三条は強烈だ。これは、もし、天桂禅師を供養したいのであれば、『正法眼蔵弁註』を拝読するように促しており、それを「第一の孝順心」であるとまで仰っている。つまりは、天桂禅師が伝えたいところは、全て『弁註』にあるといえるわけだが、これは同時に天桂禅師による道元禅師への追慕なのだろうと思うのである。

様々な評価がされているので、誤解されている場合も多いと思うのだが、天桂禅師による『六祖壇経』への註釈『海水一滴』では、その末尾で道元禅師への鑽仰の思いを吐露され、『正法眼蔵』が正しく学ばれていないことを歎いている。つまりは、天桂禅師はよく道元禅師をお慕いしていた第一の祖師であったと評するべきなのであり、その中からの『弁註』なのである。

つまり、『弁註』を学ぶことが、同時に道元禅師への鑽仰となるのであって、それを手抜きすることは許されていないというべきなのである。その意味で、この三条の遺言は、まさに宗侶が宗侶として生きるべく行われるべき基本を示したともいえるのである。

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2 コメント

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Unknown (風月)
2017-08-31 10:04:52
なるほどと思いました。
『弁註』は、宗研以来開いていません。
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2017-09-04 11:06:04
> 風月 さん

『弁註』はもうちょっと本気で勉強してみます。

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