武富士じゃなくて、プロミスでもアコムでも何でも良いんですけど、要するに「元始、女性は太陽であった」とは、かの平塚らいてう女史の言葉でありますが、当然それをもじったものでございまして、お寺が元々金貸しをやっていたということを言いたいのであります。ということで前回はイマイチなまとまり方をした【お寺と世俗】の続編であります。
寺が金を貸すことについては、すでに当ブログでも【蓮如上人(8)】にて、網野喜彦先生の所説を用いて論じた話題でしたが、それをもう少し通日本史的に論じようというわけです。何故ならば、それにとても都合の良い本を見付けてしまったからです。水上宏明氏がお書きになった、題して『金貸しの日本史』(新潮新書・2004年)です。
同著では、消費生活アドバイザーである水上氏が、仕事の傍らで「金貸し」と「借金」に関する文献を読みあさり、どの独自の視点から日本通史を展開されているということで、先の蓮如上人の記事を書いている拙僧としても、一体これまでのお寺は、どんだけ金貸しをやってきていたのか?非常に気になっていたのでした。そこに現れた同著は、まさに仏縁の授けし好因縁だったと言うべきでしょう。
さて、同著によって徐々に考察を進めていきたいのですが、そもそもいつ頃から寺=金貸しが始まったか?ということなんですが、水上氏は当時の朝廷に於いて手厚い保護を受けていた日本仏教寺院が金貸しを始めるようになったのは当然のことであろうとしております。そして、その最大の転機を聖武天皇の東大寺大仏建立に見ています。
聖武天皇は、東大寺の大仏を建立するに際し、金を探していました。金がなければ大仏が金身を得ることがないからです。当然、国内にない以上輸入しようとしたそうですが、陸奥国にて天平21年に金鉱が発見されたのを大変に喜びました。あまりの嬉しさから、年号を「天平感宝」にしたほどです。そして、同年聖武天皇は奈良の大寺12寺に対して、非常に多くの布施をしました。これは、聖武天皇がこれらの大寺に対して、『華厳経』を始めとして仏典を転読し、講義する修多羅供事を行うことを求めたためであるとされ、しかも、聖武天皇は「尽未来際」にわたって行うように依頼しました。されど、これが弊害をもたらしたとされております。水上氏は以下のように指摘します。
しかし「未来の窮まる」まで修多羅供事を続けるためには、喜捨されたものを運用していかなければならない。土地は収穫があるから減るものではないが、それ以外(註:様々な種類の布など)はいずれなくなるものである。そこで受け取った寺院はこれらの喜捨をお金に換え、あるいはそのまま貸し出すことにした。
ところが善行としてはじめたこの行為が弊害を生むのにそれほど時間はかからなかった。喜捨は仏にされたものであるが、受け取るのは寺院である。その寺院は僧侶が管理している。仏門に入った僧侶とはいえ、元も今も人である。効率よく仏の富を増やすために高利貸しに転じてしまったのだ。
水上氏前掲同著、27頁
資本を国家=天皇が用意して、それを天下万民に貸し付けて儲けるという行為であります。ところで、日本仏教でも、古来は教条的なことから行おうとした形跡が見えますので、いきなり金を貸したわけではないと思います。仏教ではこういった財産を所有することについてどのような規制があったのでしょうか?例えば『ミリンダ王の問い』に於いてナーガセーナは王に対して十種の束縛を挙げています。
大王よ、この世の中に、これら十の束縛があって、それらの束縛に縛られた人々は(世俗を)出離せず、たとい出離しても(再び世俗に)退転します。何が十(の束縛)であるか?
(1)大王よ、母はこの世の中における束縛です。
(2)大王よ、父はこの世の中における束縛です。
(3)大王よ、妻はこの世の中における束縛です。
(4)大王よ、子供はこの世の中における束縛です。
(5)大王よ、親戚はこの世の中における束縛です。
(6)大王よ、友人はこの世の中における束縛です。
(7)大王よ、財産はこの世の中における束縛です。
(8)大王よ、利得と名声はこの世の中における束縛です。
(9)大王よ、統治権はこの世の中における束縛です。
(10)大王よ、五種の欲望の対象はこの世の中における束縛です。
早島鏡正『初期仏教と社会生活』岩波書店、584〜585頁
以上のようにされるからには、出家者が社会的な経済活動を行う背景など出るはずもなく、ここだけ見ると出家者の集まりであるはずのお寺が金貸しを行うことは想像も付かない、とんでもないことになってしまうのですが、中国でも日本でも金貸しは行われていくのです。お寺もそうですが、中国では「三階教」という在家仏教運動にて、金貸しをして利子を取るという活動が行われていきます。拙僧、何故或る程度戒律が守られた中国で・・・と思っていたのですが、どうやら金貸しの根拠が全くなかったわけではないのです。『釈氏要覧』という事典の中では「寺院長生銭」という一項で以下のように説かれます。
寺院の長生銭 律には「無尽の財とは、つまり子供と母とが展開する(註:母が子供を産み、子供が母となってまた子供を産むこと)ように、尽きることが無いことだ」と言っている。両京記には「寺の中に無尽の蔵がある」と言っている。また則天の経の序では「両親が蓄えた物を、両京の古くなった邸宅に使って、総て伽藍として、ことごとく無尽の蔵に充てないことがないように」と言っている。十誦律では「仏塔の物をもって利息を出すことを、仏はこれを許している」と言っている。僧祇律では「仏を供養する華が多ければ、これを売って香油を買うことを許す。それでも多ければ、売って仏の無尽の財中に入れるのだ」と言っている。
『大正蔵』巻54・304頁中段、拙僧ヘタレ訳
この「長生銭」は、別に「無尽財」とも呼ばれて、要するに信者から寄進された財物や余剰の財物を蓄えて利殖を計り、寺院の修理などに充てることを意味していました。子供と母の展開なんて、譬えとして結構面白いというか、いわゆるの「ねずみ算」ということなのでしょう。それを『十誦律』や『僧祇律』などで「仏が許した行い」として示されているのです。これは、僧侶個人が経済行為を行うことは、当然に戒められているわけですが、教団(或いは寺院)としてであれば、目的が定められた経済行為、それも財物を貸したりして利息を取ることなどを認められていたことになります。或る意味でのtotoや目的税に近い考え方と言えるかもしれません。
そこで、拙僧的にちょっと興味があったのは、仏教教団が金貸しをするとどのような結末になっていくのか?ということです。特に、基本的にお金を借りても返さない人がいることは、これまでの多くの例から、疑いないところだと思います。人は、お金を返さないことについては、どこまでも嘘つきになれます。「あと少し待ってくれ」「あと三日待ってくれ」など、既に三日前に同じことを言っていたはずなのに、その約束はどこへ?となります。
したがって、お金を貸した相手に不都合なことがあって、返ってこない貸し倒れというのは、良くあることのはずなのです。そこで、現在ならば債権回収業者などがこの貸し倒れになった「債権」を買い取って活動することがあるようです。しかし、古来からそのようなものが常に存在したわけではありません。勿論、僧兵などが努力して回収したとは思いますけど、それは中世になってからでしょう。黒田俊雄氏は『寺社勢力』(岩波新書)で、武装する僧侶の存在は9世紀後半に近い時期に起こったものではないか?と推定されているからです。ですから、それ以前では、借りた相手を精神的に追いつめていたように思われます。『日本霊異記』に借金にまつわる話があることからも、それは明らかでありましょう。現在であればちょっと問題となる考え方のような気もしますが、借用物を踏み倒した者の来世が『日本霊異記』中巻にて以下のように説かれます。
寺の利殖用の酒を借りて、返さずに死んだため牛になって返した話 第三十二
聖武天皇の時代に、紀伊国名草郡三上村の人が、薬王寺のために信者を誘って引き連れて、手広く薬の基金を増やしていた。そして、その薬の基金を岡田村主の姑の家に貸して、酒を造り、さらに利息を増やしていた。
或る時、まだらの子牛がいた。薬王寺の境内に入って、いつも塔の梺に伏せっていた。寺中の者が追い出しても追い出しても、まだらの子牛はそこに伏してしまった。不思議に思ったため、人々に「この牛は誰の家の子牛なのか?」と聞いたが、誰1人、自分の家の子牛とは言わなかった。そこで、寺男(註:寺で下働きをする男のこと)は子牛を捕らえて、縄につないで飼っていた。牛は年を経て成長したため、寺の仕事に使われるようになった。
それから五年経った頃、寺の信徒の岡田村主石人が夢の中で、子牛が自分を追いかけてきて、角で突き倒し、足で踏みつけるのを見た。石人は驚いて叫ぶと、子牛が問うて「お前は私を知っているか?」と言った。石人は「知らない」と答えると、子牛は退いて、伏して涙を流しながら「私は桜村にいた物部麿です。私は以前、寺の薬の基金の酒二斗を借りて、まだ返さない内に死んでしまいました。そのために現在、牛の身に生まれて、借りを返すために使われているのです。その年限は八年ですから、五年使われて、まだ三年残っています。寺中の者はいたわりの心が無く、私の背を打ち、使い方が惨いです。これが大変に苦痛です。あなた以外に私に情けをかけてくれる方がいないので、こうして悲しみを訴えているのです」と言った。
石人は「牛であるお前が、物部麿の生まれ変わりという証拠があるのか?どうしてそれが分かるのか?」と問うと、牛は「桜村の娘に聞いて、この話が本当か嘘か確認してください」と言った。そして、ここで夢が終わった。
石人はこの夢を不思議に思い、妹(註:「桜村の娘」は、石人の妹)の家に行って、夢のことを話した。妹は「本当にその通りです。物部麿は、酒二斗を借用し、返さない内に死にました」と答えた。
そこで、寺で雑用をする係の僧である浄達は、信者達とともに、この因縁を深く知り、牛に憐れみをかけて、お経を読んで供養してやった。牛は八年の労役を追えて、そこからどこかへ去っていくと、二度と姿を現さなかった。これによって、物を借りて返さないと、その報いが必ずあるということを本気で知るべきである。借りた物をどうしてそのままにして忘れてしまって良いだろうか。
したがって『成実論』に「もし人が負債を支払わなければ、牛・羊・鹿・ロバなどの家畜になって、その負債を返すのである」と記してあるのは、このことを言っているのである。
拙僧ヘタレ訳
なんとも恐ろしい話ですが、先に紹介した無尽財の実例を示すような好例で勉強になります。
それにしても、返さなければ家畜になる・・・・・・・・・?現在では、家畜になっても余り意味がないような気がしてきました。せめてクレーン車を初めとする重機になってくれないと。まさか食用にするわけにもいかないでしょうし。ところで、編者である景戒はこういった因果応報を信じていたようなところがありまして、最終的には『成実論』という論書を引用(註・原典は『大正蔵』巻32・301頁下段に「又若人觝債不償。墮牛羊麞鹿驢馬等中償其宿債。如是等業墮畜生中。」)して証明しようとしているのですが、おそらくあまりに借用物を踏み倒す者が多かったことを嘆いていたのでしょう。ですから、このように述べたと思うのですが、しかし、この報いが広く信じられているとすれば、どれだけ高金利であっても必ず全員返したことでしょう・・・まぁ、いつの世でも来世の苦しみを甘受して、この世の享楽を楽しむ「先送り」は行われていたでしょうけれども。それから、安心できる要素もありまして、さすがに高利貸しは禁止されていたようです。確かに、高利貸しによって社会が疲弊したのならば、何のために寺が無尽財を運用するのか?高利貸しでは手段と目的が入れ替わってまいますからね。
『日本霊異記』では寺の高利貸しについては触れられていないのですが。下巻の第二十六話に「貸した物に不当な利息を付けて取り立てたため、多くの利益を得ていたが、悪い死に様の報いを受けた話」が載っています。詳細は省略しますが、どうにもこの時代から、人間が行う悪事は大して変わっていないようです。
ということで、古来からお寺はお金を貸していました。それは律にも認められていることが確認できた以上、現在でもお寺の利殖の手段として考えて良いのかもしれません。余裕があればお布施などで得たお金を投資に回し、そこからお寺の役に立つように用いるべきでしょう。ただし、それは本当に困る方の薬代や、寺の修繕費に使うべきだと思いますよ。実は、或る僧侶が自分のために金を貯めたことから、とんでもない報いを受けたことについて『日本霊異記』中巻で以下のように指摘されています。
ケチで欲深いために大蛇になった話 第三十八
聖武天皇の時代に、平城京の馬庭の山寺に一人の僧が住んでいた。その僧が死ぬときに、弟子に対して「私が死んだ後は、三年経つまで部屋の戸を開けてはならないぞ」と言いつけた。そして、死後四十九日を過ぎると大きな毒蛇は部屋の戸口に伏していた。弟子は蛇がいる理由を知って、蛇を教え諭し、部屋の戸を開けてみると、その中には銭三十貫がしまわれていた。弟子は、その銭をもって経を読んで供養すると、師匠の福(冥福)を祈った。
その師匠が銭を貪るように隠して大蛇に生まれ変わり、この世に残って銭を守っていたことがハッキリした。須弥山の頂上を見ることが出来ても、欲の山の頂上は限り無くて見ることが出来ないというのは、このようなことを言うのである。
拙僧ヘタレ訳
以上のようでありますので利殖に励もうとする御寺院様、どうぞご注意下さい。蛇に生まれ変わって、弟子に供養されるというのは、どうにも情けないことです。。。
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寺が金を貸すことについては、すでに当ブログでも【蓮如上人(8)】にて、網野喜彦先生の所説を用いて論じた話題でしたが、それをもう少し通日本史的に論じようというわけです。何故ならば、それにとても都合の良い本を見付けてしまったからです。水上宏明氏がお書きになった、題して『金貸しの日本史』(新潮新書・2004年)です。
同著では、消費生活アドバイザーである水上氏が、仕事の傍らで「金貸し」と「借金」に関する文献を読みあさり、どの独自の視点から日本通史を展開されているということで、先の蓮如上人の記事を書いている拙僧としても、一体これまでのお寺は、どんだけ金貸しをやってきていたのか?非常に気になっていたのでした。そこに現れた同著は、まさに仏縁の授けし好因縁だったと言うべきでしょう。
さて、同著によって徐々に考察を進めていきたいのですが、そもそもいつ頃から寺=金貸しが始まったか?ということなんですが、水上氏は当時の朝廷に於いて手厚い保護を受けていた日本仏教寺院が金貸しを始めるようになったのは当然のことであろうとしております。そして、その最大の転機を聖武天皇の東大寺大仏建立に見ています。
聖武天皇は、東大寺の大仏を建立するに際し、金を探していました。金がなければ大仏が金身を得ることがないからです。当然、国内にない以上輸入しようとしたそうですが、陸奥国にて天平21年に金鉱が発見されたのを大変に喜びました。あまりの嬉しさから、年号を「天平感宝」にしたほどです。そして、同年聖武天皇は奈良の大寺12寺に対して、非常に多くの布施をしました。これは、聖武天皇がこれらの大寺に対して、『華厳経』を始めとして仏典を転読し、講義する修多羅供事を行うことを求めたためであるとされ、しかも、聖武天皇は「尽未来際」にわたって行うように依頼しました。されど、これが弊害をもたらしたとされております。水上氏は以下のように指摘します。
しかし「未来の窮まる」まで修多羅供事を続けるためには、喜捨されたものを運用していかなければならない。土地は収穫があるから減るものではないが、それ以外(註:様々な種類の布など)はいずれなくなるものである。そこで受け取った寺院はこれらの喜捨をお金に換え、あるいはそのまま貸し出すことにした。
ところが善行としてはじめたこの行為が弊害を生むのにそれほど時間はかからなかった。喜捨は仏にされたものであるが、受け取るのは寺院である。その寺院は僧侶が管理している。仏門に入った僧侶とはいえ、元も今も人である。効率よく仏の富を増やすために高利貸しに転じてしまったのだ。
水上氏前掲同著、27頁
資本を国家=天皇が用意して、それを天下万民に貸し付けて儲けるという行為であります。ところで、日本仏教でも、古来は教条的なことから行おうとした形跡が見えますので、いきなり金を貸したわけではないと思います。仏教ではこういった財産を所有することについてどのような規制があったのでしょうか?例えば『ミリンダ王の問い』に於いてナーガセーナは王に対して十種の束縛を挙げています。
大王よ、この世の中に、これら十の束縛があって、それらの束縛に縛られた人々は(世俗を)出離せず、たとい出離しても(再び世俗に)退転します。何が十(の束縛)であるか?
(1)大王よ、母はこの世の中における束縛です。
(2)大王よ、父はこの世の中における束縛です。
(3)大王よ、妻はこの世の中における束縛です。
(4)大王よ、子供はこの世の中における束縛です。
(5)大王よ、親戚はこの世の中における束縛です。
(6)大王よ、友人はこの世の中における束縛です。
(7)大王よ、財産はこの世の中における束縛です。
(8)大王よ、利得と名声はこの世の中における束縛です。
(9)大王よ、統治権はこの世の中における束縛です。
(10)大王よ、五種の欲望の対象はこの世の中における束縛です。
早島鏡正『初期仏教と社会生活』岩波書店、584〜585頁
以上のようにされるからには、出家者が社会的な経済活動を行う背景など出るはずもなく、ここだけ見ると出家者の集まりであるはずのお寺が金貸しを行うことは想像も付かない、とんでもないことになってしまうのですが、中国でも日本でも金貸しは行われていくのです。お寺もそうですが、中国では「三階教」という在家仏教運動にて、金貸しをして利子を取るという活動が行われていきます。拙僧、何故或る程度戒律が守られた中国で・・・と思っていたのですが、どうやら金貸しの根拠が全くなかったわけではないのです。『釈氏要覧』という事典の中では「寺院長生銭」という一項で以下のように説かれます。
寺院の長生銭 律には「無尽の財とは、つまり子供と母とが展開する(註:母が子供を産み、子供が母となってまた子供を産むこと)ように、尽きることが無いことだ」と言っている。両京記には「寺の中に無尽の蔵がある」と言っている。また則天の経の序では「両親が蓄えた物を、両京の古くなった邸宅に使って、総て伽藍として、ことごとく無尽の蔵に充てないことがないように」と言っている。十誦律では「仏塔の物をもって利息を出すことを、仏はこれを許している」と言っている。僧祇律では「仏を供養する華が多ければ、これを売って香油を買うことを許す。それでも多ければ、売って仏の無尽の財中に入れるのだ」と言っている。
『大正蔵』巻54・304頁中段、拙僧ヘタレ訳
この「長生銭」は、別に「無尽財」とも呼ばれて、要するに信者から寄進された財物や余剰の財物を蓄えて利殖を計り、寺院の修理などに充てることを意味していました。子供と母の展開なんて、譬えとして結構面白いというか、いわゆるの「ねずみ算」ということなのでしょう。それを『十誦律』や『僧祇律』などで「仏が許した行い」として示されているのです。これは、僧侶個人が経済行為を行うことは、当然に戒められているわけですが、教団(或いは寺院)としてであれば、目的が定められた経済行為、それも財物を貸したりして利息を取ることなどを認められていたことになります。或る意味でのtotoや目的税に近い考え方と言えるかもしれません。
そこで、拙僧的にちょっと興味があったのは、仏教教団が金貸しをするとどのような結末になっていくのか?ということです。特に、基本的にお金を借りても返さない人がいることは、これまでの多くの例から、疑いないところだと思います。人は、お金を返さないことについては、どこまでも嘘つきになれます。「あと少し待ってくれ」「あと三日待ってくれ」など、既に三日前に同じことを言っていたはずなのに、その約束はどこへ?となります。
したがって、お金を貸した相手に不都合なことがあって、返ってこない貸し倒れというのは、良くあることのはずなのです。そこで、現在ならば債権回収業者などがこの貸し倒れになった「債権」を買い取って活動することがあるようです。しかし、古来からそのようなものが常に存在したわけではありません。勿論、僧兵などが努力して回収したとは思いますけど、それは中世になってからでしょう。黒田俊雄氏は『寺社勢力』(岩波新書)で、武装する僧侶の存在は9世紀後半に近い時期に起こったものではないか?と推定されているからです。ですから、それ以前では、借りた相手を精神的に追いつめていたように思われます。『日本霊異記』に借金にまつわる話があることからも、それは明らかでありましょう。現在であればちょっと問題となる考え方のような気もしますが、借用物を踏み倒した者の来世が『日本霊異記』中巻にて以下のように説かれます。
寺の利殖用の酒を借りて、返さずに死んだため牛になって返した話 第三十二
聖武天皇の時代に、紀伊国名草郡三上村の人が、薬王寺のために信者を誘って引き連れて、手広く薬の基金を増やしていた。そして、その薬の基金を岡田村主の姑の家に貸して、酒を造り、さらに利息を増やしていた。
或る時、まだらの子牛がいた。薬王寺の境内に入って、いつも塔の梺に伏せっていた。寺中の者が追い出しても追い出しても、まだらの子牛はそこに伏してしまった。不思議に思ったため、人々に「この牛は誰の家の子牛なのか?」と聞いたが、誰1人、自分の家の子牛とは言わなかった。そこで、寺男(註:寺で下働きをする男のこと)は子牛を捕らえて、縄につないで飼っていた。牛は年を経て成長したため、寺の仕事に使われるようになった。
それから五年経った頃、寺の信徒の岡田村主石人が夢の中で、子牛が自分を追いかけてきて、角で突き倒し、足で踏みつけるのを見た。石人は驚いて叫ぶと、子牛が問うて「お前は私を知っているか?」と言った。石人は「知らない」と答えると、子牛は退いて、伏して涙を流しながら「私は桜村にいた物部麿です。私は以前、寺の薬の基金の酒二斗を借りて、まだ返さない内に死んでしまいました。そのために現在、牛の身に生まれて、借りを返すために使われているのです。その年限は八年ですから、五年使われて、まだ三年残っています。寺中の者はいたわりの心が無く、私の背を打ち、使い方が惨いです。これが大変に苦痛です。あなた以外に私に情けをかけてくれる方がいないので、こうして悲しみを訴えているのです」と言った。
石人は「牛であるお前が、物部麿の生まれ変わりという証拠があるのか?どうしてそれが分かるのか?」と問うと、牛は「桜村の娘に聞いて、この話が本当か嘘か確認してください」と言った。そして、ここで夢が終わった。
石人はこの夢を不思議に思い、妹(註:「桜村の娘」は、石人の妹)の家に行って、夢のことを話した。妹は「本当にその通りです。物部麿は、酒二斗を借用し、返さない内に死にました」と答えた。
そこで、寺で雑用をする係の僧である浄達は、信者達とともに、この因縁を深く知り、牛に憐れみをかけて、お経を読んで供養してやった。牛は八年の労役を追えて、そこからどこかへ去っていくと、二度と姿を現さなかった。これによって、物を借りて返さないと、その報いが必ずあるということを本気で知るべきである。借りた物をどうしてそのままにして忘れてしまって良いだろうか。
したがって『成実論』に「もし人が負債を支払わなければ、牛・羊・鹿・ロバなどの家畜になって、その負債を返すのである」と記してあるのは、このことを言っているのである。
拙僧ヘタレ訳
なんとも恐ろしい話ですが、先に紹介した無尽財の実例を示すような好例で勉強になります。
それにしても、返さなければ家畜になる・・・・・・・・・?現在では、家畜になっても余り意味がないような気がしてきました。せめてクレーン車を初めとする重機になってくれないと。まさか食用にするわけにもいかないでしょうし。ところで、編者である景戒はこういった因果応報を信じていたようなところがありまして、最終的には『成実論』という論書を引用(註・原典は『大正蔵』巻32・301頁下段に「又若人觝債不償。墮牛羊麞鹿驢馬等中償其宿債。如是等業墮畜生中。」)して証明しようとしているのですが、おそらくあまりに借用物を踏み倒す者が多かったことを嘆いていたのでしょう。ですから、このように述べたと思うのですが、しかし、この報いが広く信じられているとすれば、どれだけ高金利であっても必ず全員返したことでしょう・・・まぁ、いつの世でも来世の苦しみを甘受して、この世の享楽を楽しむ「先送り」は行われていたでしょうけれども。それから、安心できる要素もありまして、さすがに高利貸しは禁止されていたようです。確かに、高利貸しによって社会が疲弊したのならば、何のために寺が無尽財を運用するのか?高利貸しでは手段と目的が入れ替わってまいますからね。
『日本霊異記』では寺の高利貸しについては触れられていないのですが。下巻の第二十六話に「貸した物に不当な利息を付けて取り立てたため、多くの利益を得ていたが、悪い死に様の報いを受けた話」が載っています。詳細は省略しますが、どうにもこの時代から、人間が行う悪事は大して変わっていないようです。
ということで、古来からお寺はお金を貸していました。それは律にも認められていることが確認できた以上、現在でもお寺の利殖の手段として考えて良いのかもしれません。余裕があればお布施などで得たお金を投資に回し、そこからお寺の役に立つように用いるべきでしょう。ただし、それは本当に困る方の薬代や、寺の修繕費に使うべきだと思いますよ。実は、或る僧侶が自分のために金を貯めたことから、とんでもない報いを受けたことについて『日本霊異記』中巻で以下のように指摘されています。
ケチで欲深いために大蛇になった話 第三十八
聖武天皇の時代に、平城京の馬庭の山寺に一人の僧が住んでいた。その僧が死ぬときに、弟子に対して「私が死んだ後は、三年経つまで部屋の戸を開けてはならないぞ」と言いつけた。そして、死後四十九日を過ぎると大きな毒蛇は部屋の戸口に伏していた。弟子は蛇がいる理由を知って、蛇を教え諭し、部屋の戸を開けてみると、その中には銭三十貫がしまわれていた。弟子は、その銭をもって経を読んで供養すると、師匠の福(冥福)を祈った。
その師匠が銭を貪るように隠して大蛇に生まれ変わり、この世に残って銭を守っていたことがハッキリした。須弥山の頂上を見ることが出来ても、欲の山の頂上は限り無くて見ることが出来ないというのは、このようなことを言うのである。
拙僧ヘタレ訳
以上のようでありますので利殖に励もうとする御寺院様、どうぞご注意下さい。蛇に生まれ変わって、弟子に供養されるというのは、どうにも情けないことです。。。
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