つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

七夕の節句(平成29年度版)

2017-07-07 22:54:14 | 仏教・禅宗・曹洞宗
今日は7月7日、七夕の節句である。曹洞宗の初期教団の段階で、節句には何らかの行持をしていたことは、『禅苑清規』や『知事清規』から明らかだが、実際にどのような行持をしていたのかは、良く分からないところが多い。

七夕○朔望の礼賀と同じ。賀客の接待あり。
    面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻3・年分行法


江戸時代の学僧・面山瑞方禅師は上記のように述べておられるから、節句に「礼賀」をしていたのだとは分かるのだが、これはお祝いを述べるという意味である。よって、特に七夕に因むという感じではない。

それで、七夕といっても特に書くことは無いということが分かった。だが、この日にちょっと興味深い行持をしていた寺院があったことが分かっているので、その記事を取り上げておきたい。

  (七月)七日〈朝課後、巡堂の次いで、和尚堂中に於いて衆と与に触礼す〉
 宝物珍奇を出して、蟲曬す。庫司人力を携へ、六日の飯後に、客寮に就いて座を囲む。中間に高卓を法被にて荘り、見台を上に安じ、一夜碧巌、十刹図、法衣、獅子毛払子、椶梠払子、貝多葉、珠数、香函等の宝具、賦り置く。三面には千体釈迦、出山の像等の画像、筆迹を羅列してかけたり。
 当寺は、七日には世間より男女ともにあつまり、此宝物を拝見す。大略、恒規の如し。朝課罷、行礼の後、和尚入来て、普門品一巻・大悲呪を誦し、普回向す。或は又、見物の人多き故に、行茶之を略す。然らば則ち、朝課の後、礼仏の次いで、賓主拝の後、即ち此の諷経あり。次いで巡堂す。
 大檀那の家臣に告て、番人を呼べし。
 昨夜は宝物の前、火燭明朗にして、昼夜番をなすべし。知殿等の外、庫下よりも加番あるべし。四方の結構、鉄壁の如なるべし。古より此の晩、盗賊窺ことをほし。用心の幢を以て、油断の賊を擯却すべし。粥後・飯後は放禅し、夜坐欠くべからず。街坊托鉢せず。薬石の時、麺子を供養す。
○日中、法華を誦こと恒規。
    『椙樹林清規』下巻・年中行事


これは、現在は金沢市内に所在する大乗寺の清規である。江戸時代に相次いで大乗寺に住した月舟宗胡禅師・卍山道白禅師という師資によって編集され、他の『僧堂清規』『永平小清規』と並んで、江戸時代の行持を定めていたとされる(なお、後者2本は刊行されたが、『椙樹林清規』は遂に刊行されず、書写のみで清規の標準の1つに入ったとされる)。上記の内容だが、要するに同寺で所蔵する典籍や軸物などの虫干しをしつつ、それを世間から来る見物客に見せていたという話であり、そのための方法や手順・段取りなどが記されているのである。

準備としては前日の6日に行い、そしてその日から大檀那(前田候)の家臣に頼んで番人に来て貰うことなどが記されている。流石に、この時代も宝物泥棒には注意が必要だったようで、しかも、この日のことは恒規としていたからには、世間にもよく知られていたのだろう。よって、盗賊が様子を見に来ることがあったらしい。そのため、「用心」と書いた旗を立てておいて、見張り番が抱いてしまう「油断の賊」を除くようにも指示している。何とも生々しい話だ。

それで、これなどは非常に大切だと思うのは、7日、世間から人が集まってきた時に、まず法要をして、その後、宝物を見せていたことが分かる。つまり、ただ宝物を美術品鑑賞的に見るのでは無く、併せて供養するということが重要だと理解出来よう。

拙僧は以前から、各地の国立博物館等にて、仏像などをコンテンツにした展示が開かれることについて、とてもありがたいと思う半面、大きな違和感を抱いていた。今日、この記事を見て、なるほど、違和感の源泉はここであったかと、1人納得した次第である。宝物は法物であるからには、法宝として扱い、供養することで三帰依の想いを新たにすることが肝心なのである。

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