つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

或る建築家の「何必」

2012-08-20 11:34:27 | 仏教・禅宗・曹洞宗
岩波書店の販促雑誌『図書』は、手頃なサイズではあるが、書き手が良いのでいつも色々なアイディアを頂くことが出来る。今回もそういう話である。建築家の隈研吾氏が、このようなことを書いておられた。

僕はいまだに原稿を手書きで書く。なぜなら、コンピュータで書くと、原稿が「確定」してしまう感じがして、その、100%決定してしまって取り返しがつかないという感じが耐えられないのである。すべての決定のプロセスにおいて――建築の設計も、原稿でも――僕はこの、取り返しがつかないという感じが大嫌いで、いかに取り返しがつく状態にしておくかが僕の日常のテーマとなっていて、乱筆、悪筆が一向に改善しない。
    「取り返しがつく世界」、前掲同誌1頁


この一文、非常に好感を持った。いわば、拙僧が行う坐禅というのも、事象の「取り返しのつかなさ」を如何にして否定していくか、という作業の繰り返しだからである。我々は、あらゆる事象に対して、特定の価値判断を行うようにしながら繋ぎ、そして世界を作っていく。いつの間にか、全ての世界の価値判断は終わり、結果的に我々自身はその自分にとって都合の良い世界の「王」となる。

だが、往々にして世界は、そのような「王」の自分勝手な価値付けを離れ、勝手に動き出す。これが、所謂煩悩と世界とのせめぎ合いで、苦の発生源といえる。この時、世界の側の動きを押しとどめようとする者もいる。だが、それは詮無き振る舞いだといえる。実際には、自分勝手の価値付けの方を何とかしなくてはならない。要するに、我々自身は、物事の価値を確定しようと、意識的・無意識的に躍起になっているが、それを、「いかに取り返しがつく状態にしていくか」が問題なのである。

拙僧はそれを、道元禅師の言葉を解釈して、「思量」「不思量」「如何思量」「非思量」で理解しようとしている。「思量」とは、確定している価値付けの判断のこと。「不思量」とは、確定していない価値付けの判断のこと。たまに、「確定出来ない」の意味で解釈する人もいるが、それは「不可思量」とされるべきである。ここは「不思量」なので、「確定していない」である。そして、「思量」から「不思量」に価値判断を拡大しようとする時、その「あわい」を「如何思量」とはいう。「不思量」とは、「思量」の価値判断には無い事象なので、「どういう事か?」という疑問を含みつつ(ただし、疑問は前に出ない。疑問は、「思量」が「不思量」に及ぶための媒介に過ぎない。これを大袈裟にいうと「大疑団」となる)、その「不思量性」が感じ取られる状態を「如何思量」とはいう。そして、逆に、その「如何思量」が当たり前のような状況である「思量」を「非思量」とはいう。

道元禅師は、「非思量」とは「玲瓏」といっており、それは普段から不断に用いられている。よって、我々は何度でも価値付けをやり直すことが出来る。無論、日常の生活でそれをしているのでは大変だ。逆にいえば、「出家」とは、そういう世間との関わりを最小限にすることで、この「非思量」に於いて日常を送る人をいうのである。ところで、道元禅師の文章には「何必」という表現が出てくる。元々は「何ぞ必ずしも~ならんや」という意味を持つ文法上の用語ではあるが、道元禅師はそれを、事象の或る状況を指し示す言葉として使う。

しかあればすなはち、柏樹と仏性と、異音同調にあらず。為道すらくは、何必なるに、作麼生と参究すべし。
    『正法眼蔵』「栢樹子」巻


栢樹子と仏性との関係について、道元禅師は強いて言うとすれば「何必」であるから「作麼生」と参じ究めるべきだという。「何必」は、事象の無限定を前提にした状況を指すので、いわば、「栢樹子」と「仏性」との関係は、一義には決まらない、この決まら無さこそが「仏性」である。よって、「作麼生」とは元々、「どういう事か?」と尋ねる言葉ではあるが、ここでは、「どういう事」という無限定として参究すべきだと道元禅師が仰っていると理解すべきである。その意味で、栢樹子というこの世界に於ける事象のありようは、しかし、仏性という無限定さと一義には決まらない関係性を持っている。我々は、この「決まら無さ」からは、「畏れ」「おぞましさ」などを感じる場合もあって、耐えられることが出来ないかもしれない。だが、実際には耐えられる。逆にいえば、それを可能とするのが坐禅なのだ。だから先人はいう。「非思量とは坐禅の思量である」と。

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