辻説法といえば、日蓮聖人のそれが有名です。日蓮聖人は日昭という後継者を得たため、建長5年(1254)頃から鎌倉の幕府に近い恵比寿堂の傍らの広場に連日出かけて、辻説法を始めたことになっております。この件は、それこそ映画やドラマで使われるほどの有名な場面なのですが、どうやら日蓮聖人の遺文には記載されていないため、あくまで史実に近い伝説とされています。
説法の内容ですが、諸々の経典は方便であって、法華経のみ真実であるとし、阿弥陀仏にすがる浄土教や、経典そのものを否定した禅宗などをこっぴどく批判したということになっております。この批判に真言宗が加わるのは時間の問題で、文永6年(1269)にモンゴル帝国から、鎌倉幕府に二度目の蒙古牒状が来てからとされています。
まぁ、以上のような歴史的経緯はさておき、果たしてどのように辻説法をしていたんでしょう。以前NHKで放映された大河ドラマ「北条時宗」では、奥田瑛二さん演じる日蓮聖人が「南無妙法蓮華経」と大書した筵を持って、石をぶつけられ、ヤジが飛び交う中を必死に説法していたことが思い出されます。あんな感じだったんですかね。。。ややイメージ先行の気もします。
最近、辻説法するのは政治家の皆さんでしょうか。毎朝駅の近くで挨拶する人、ワゴン車を使って政治に関する意見を述べる人様々です。これは清き一票を得るための必死な政治活動です。まぁ、口では「清き一票を!」とか言いつつ、実際は清くなくても一票なら良いと思ってるでしょうけど。そもそも、何が清い一票なんでしょう???それはしばらく置いておきます。
あと辻説法をするのは新宗教系の方々やキリスト教の方々。
前者は以前渋谷駅前で「ラエリアン・ムーブメント」という電波系の新宗教が、女性ばかり10人以上でワァワァやってました。あれはすごい迫力でしたな。。。
後者は、良く新宿駅付近などにいます。「神の国来たる!」みたいなプラカードを持って、テープか何かの「神は嘆いておられます。この汚れた世のことを…」みたいな音声を流しています。しかし、あそこでプラカードを持っている方って、いかにもバイトっぽいんですけど。。。
そういえば、お坊さんの格好をして新宿駅などの近くに立っている方々、あれは何なんでしょうか?本当にお坊さんなんでしょうか?最近では募金活動を装った詐欺行為もあるらしいですから……いや、本当にお坊さんなら良いんですが。実は、曹洞宗などは、確か街頭に立つのはダメだったはずなんです。そうではなく、一軒一軒回って托鉢することが良いとされています。っていうと他宗派なんでしょうか?むぅ。
話がズレましたが、辻説法です。
拙僧思うに、今度渋谷のセンター街で、いきなり僧衣に搭袈裟で坐禅してみるっていう辻説法はいかがですかな。お寺に籠もっているんではなくて、世に出るには、これくらいのことをしてみなくてはと思うんです。
この、いきなり公衆の面前で坐禅するっていうのは、別に拙僧のオリジナルではなくて、以前フランスに曹洞宗を広めた弟子丸泰仙(1914〜1982)老師が、パリジャン・パリジェンヌを前にそういうことをやったらしく、その故事に倣うのが良いかと思ったわけです。しかし、「坐禅を見せ物にするな!」とか言う人が居そうです。ごもっとも。
かつて鎌倉時代の仏教説話を記した無住道曉(1226〜1312:臨済宗)の『雑談集』巻八−五「持律・坐禅の事」に「仏法房の上人(=道元禅師)が深草で大唐のごとく、広い床を用いる坐禅を初めて行ずるようになった。その時は坐禅を珍しいこととして、信心深い俗人などが拝んで貴がったものである。(これは)その時代の僧が語ってくれたことである。」としておりますので、おそらく道元禅師も坐禅の威力を良く承知しておられたと思います。だからこそ、興聖寺の『重雲堂式』にて、「堂の中、ならびにその近くで声高く、頭を集めてモノを言ってはならない。堂主はこれを制しなくてはならない。」ともされたんではないかと……これは勝手な推測ですが。
それに、もちろん、静かな場所での坐禅が基本だとは思いますが、分かっていて敢えて上記の意見を申し上げたものです。
勝手にやってろ!とか白い目で見られそうです。。。
説法の内容ですが、諸々の経典は方便であって、法華経のみ真実であるとし、阿弥陀仏にすがる浄土教や、経典そのものを否定した禅宗などをこっぴどく批判したということになっております。この批判に真言宗が加わるのは時間の問題で、文永6年(1269)にモンゴル帝国から、鎌倉幕府に二度目の蒙古牒状が来てからとされています。
まぁ、以上のような歴史的経緯はさておき、果たしてどのように辻説法をしていたんでしょう。以前NHKで放映された大河ドラマ「北条時宗」では、奥田瑛二さん演じる日蓮聖人が「南無妙法蓮華経」と大書した筵を持って、石をぶつけられ、ヤジが飛び交う中を必死に説法していたことが思い出されます。あんな感じだったんですかね。。。ややイメージ先行の気もします。
最近、辻説法するのは政治家の皆さんでしょうか。毎朝駅の近くで挨拶する人、ワゴン車を使って政治に関する意見を述べる人様々です。これは清き一票を得るための必死な政治活動です。まぁ、口では「清き一票を!」とか言いつつ、実際は清くなくても一票なら良いと思ってるでしょうけど。そもそも、何が清い一票なんでしょう???それはしばらく置いておきます。
あと辻説法をするのは新宗教系の方々やキリスト教の方々。
前者は以前渋谷駅前で「ラエリアン・ムーブメント」という電波系の新宗教が、女性ばかり10人以上でワァワァやってました。あれはすごい迫力でしたな。。。
後者は、良く新宿駅付近などにいます。「神の国来たる!」みたいなプラカードを持って、テープか何かの「神は嘆いておられます。この汚れた世のことを…」みたいな音声を流しています。しかし、あそこでプラカードを持っている方って、いかにもバイトっぽいんですけど。。。
そういえば、お坊さんの格好をして新宿駅などの近くに立っている方々、あれは何なんでしょうか?本当にお坊さんなんでしょうか?最近では募金活動を装った詐欺行為もあるらしいですから……いや、本当にお坊さんなら良いんですが。実は、曹洞宗などは、確か街頭に立つのはダメだったはずなんです。そうではなく、一軒一軒回って托鉢することが良いとされています。っていうと他宗派なんでしょうか?むぅ。
話がズレましたが、辻説法です。
拙僧思うに、今度渋谷のセンター街で、いきなり僧衣に搭袈裟で坐禅してみるっていう辻説法はいかがですかな。お寺に籠もっているんではなくて、世に出るには、これくらいのことをしてみなくてはと思うんです。
この、いきなり公衆の面前で坐禅するっていうのは、別に拙僧のオリジナルではなくて、以前フランスに曹洞宗を広めた弟子丸泰仙(1914〜1982)老師が、パリジャン・パリジェンヌを前にそういうことをやったらしく、その故事に倣うのが良いかと思ったわけです。しかし、「坐禅を見せ物にするな!」とか言う人が居そうです。ごもっとも。
かつて鎌倉時代の仏教説話を記した無住道曉(1226〜1312:臨済宗)の『雑談集』巻八−五「持律・坐禅の事」に「仏法房の上人(=道元禅師)が深草で大唐のごとく、広い床を用いる坐禅を初めて行ずるようになった。その時は坐禅を珍しいこととして、信心深い俗人などが拝んで貴がったものである。(これは)その時代の僧が語ってくれたことである。」としておりますので、おそらく道元禅師も坐禅の威力を良く承知しておられたと思います。だからこそ、興聖寺の『重雲堂式』にて、「堂の中、ならびにその近くで声高く、頭を集めてモノを言ってはならない。堂主はこれを制しなくてはならない。」ともされたんではないかと……これは勝手な推測ですが。
それに、もちろん、静かな場所での坐禅が基本だとは思いますが、分かっていて敢えて上記の意見を申し上げたものです。
勝手にやってろ!とか白い目で見られそうです。。。














読んでいるだけで為になる、と言いますか蒙を啓かされるウェブは、そう滅多にありません、本当に良いご縁です。
そこら辺で托鉢している人のことですが、私の友人の「D」さん(曹洞宗)が民放の局の出演の中で彼らを追求したことがあります。
そんなことしなくてもと言うのが、私の気持ちでした。
「等三輪空寂」が一番望ましいのでしょうが
施主側の施しの気持ちが一番大切だと思います。施したことで満足感を得ているのだとすれば、それはそれで結構なことだと思います。
斯く言う私も、富山の首先住職地時代は托鉢に明け暮れていました。
総持寺御直末とは言うものの、檀家がたったの18軒。托鉢をしなければ食べていけないのです。特に厳寒の托鉢は、厳しいものでした・・・。
この話をすると長くなるのでやめます。
えらく長い前置きになりましたが、tenjin老師の場合、頭脳明晰なところを生かして、法話をなさる事が一番適していると思います。
JR新宿の近くで、立派な体格をしている人が坐っていました。何事かと思ったらギャンブルの予想やでした。
弟子丸泰仙老師に関係のある森本和夫教授にお話を伺ったことがありますが、フランスの坐禅は興行的な面がある。と言うお話をされてました。
やはり坐禅は人に見せるものでは無いようです。
フランスでの状況は、拙僧も聞きました。usagiさんのが聞いたという森本先生の仰る通りみたいですね。
かなり異質なモノになっているとも聞きます。良く、映画などでも勘違いした日本文化みたいな撮られ方をされることがありますが、そんな状況とも……
それから、托鉢ですが、その富山での状況は本当に思うにあまりあります。寒い北陸での、まさに寒行。頭が下がります。
私は出来る立場になれたら いつか つじ説法をしてみたいと思っています。
座禅というものが基本にある宗派と違い うちの宗派は聴聞が大事とされるのに限られた場所で限られた人に対してしか法話をしていません。
厳しい修行をされている宗派の方と同じく僧侶と名乗るなら 渋谷で法話をするくらいのことは当然かもしれないなと思っています。
つらつらと書きなぐって申し訳ありませんが 記事を見てあらためて感じたことを書かせていただきました。
コメントありがとうございます。
拙僧は、どの宗派でもOKです!
お気になさらず、今後ともコメントいただければ幸いですm(_ _)m
辻説法は、信仰に裏打ちされておりませんと難しいみたいです。最近戦前の「死なう団事件」を調べていて思ったことなのですが。。。
拙僧も、辻説法などをあくまで目標として、皆さんへ法を伝える方法を模索していきたいと思います、合掌。