つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

空海は即身仏になったのか?

2016-10-08 13:32:04 | 仏教・禅宗・曹洞宗
拙僧も以前、『梁塵秘抄』などを読んだとき、真言宗の開祖である弘法大師空海(774~835)は、高野山の奥の院で即身仏になりながら、弥勒下生を待っているものだと思っていた。ところが、こんな一節があることを知った。

(承和)二年正月以来、水・漿を却絶す。〈中略〉三月二十一日後夜に至って、右脇にして滅を唱ふ。諸の弟子等、一二の者、揺病を悟る。遺教に依て、東の峯に斂め奉る。
    伝・真済『空海僧都伝』、『弘法大師全集』首巻


ここから理解できることは、最晩年の空海は年明けから水や漿(おもゆ)なども摂取しなくなったという。そして、3月21日の朝方に、遷化したとされる。空海には後年、いわゆる「入定信仰」が生まれ、それこそ禅定に入ったままだとされているのだが、ここではそういう記述はされていない。

また、どうも周辺の人々が空海の遷化について書かれた文献を見ると、空海は遷化した後、荼毘に付されたらしい。つまり、火葬になってしまったのだ。確かに、『今昔物語』などには、空海の即身仏の話などが載っていて、それがまことしやかに語られていたけれども、現実は・・・ということだ。

だいたい、この上の文章についても、空海が入定して遷化したという風には取れないし、その時の姿勢も釈迦牟尼仏の寝姿そのものである。まぁ、釈尊が最期入滅するときの姿勢には色々と論点があるようで、右脇にしたまま禅定に入り入滅したという人の意見も聞いたことがある。

中々に難しい。

とはいえ、なんか、空海の肖像のように、坐禅しているイメージで遷化したのでは無いことは確実だ。

また、遺教にしたがって、東側の峯に埋葬されたというのだが、これが奥の院ということになるのかな?確かに、東側にあるから。とはいえ、この「斂め奉る」という表現も微妙で、収めました、ということだから、それ以上でも以下でもない。火葬にされたのか?即身仏だったのか?分かりにくい。

でも、結局、渡辺照宏先生・宮坂宥勝先生によって著された『沙門空海』(ちくま学芸文庫)などの指摘の通り、『続日本後紀』などの記述から、やっぱり荼毘に付されたと考えるのが妥当なのだろう。

実は、授業の関係で空海について調べているときに気になって、記事にしてみたのだった。

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4 コメント

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Unknown (Hindou)
2016-10-08 16:17:15
初期の文献では「入滅」という表現でしたが、鎌倉期ごろから「入定」という表現が広まったそうです

いわゆるミイラ状態の即身仏はもっと時代の下がったころの、修験の影響と即身成仏の曲解・誤解から生まれたものですから(ご存じでしょうけども)

大師入定信仰には仏教だけでなく、山岳信仰における霊山の開創者はその山の神仏と同格の存在であるという思想の影響も考えられます
中世の神道美術で、特に修験系の霊場では僧形の神が表現されることがままありますが、このような様式を五来重先生は、三神三様(さんじんさんよう)と説明されています

つまり
女体(地母神的存在)・男体(祭祀者の神格化)・法体(仏教化した行者の神格化)
と……


特に修験では、狩人が出家するという形式の縁起が多いですが、この狩人は仏教化以前の山の祭祀者であるとされます
高野山では弘法大師が狩人に案内されて、山で丹生都比女(ニュウツヒメ・丹生大明神)という地主神から山を譲り受けるという伝承があります
狩人は丹生都比女の子で、高野御子(タカノミコ・高野大明神)という神と伝承されますが、おそらくは古代祭祀者の神格化でしょう

で、高野山では鎮守明神を非常に大切に敬います(なにしろ1年間、神体を精進潔斎して祭るという儀式を終えないと、重職に就くことが出来ないぐらいです)
必ず法会では「南無大明神」とお唱えもします


つまり修験的信仰が高野山上でも色濃く影響され、弘法大師は単に真言宗の宗祖というだけでなく、山の神仏と同格化する一因にも、山上に於ける明神信仰があると考えられます

なにせ古い史料には「南無大師明神」という記述があったぐらいですから
(これは“弘法大師と明神”という意味ではなく、“弘法大師という明神”として記されたものだそうです)
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2016-10-08 18:22:55
> Hindou さん

色々とありがとうございます。

僧形の神については、そういえばそういう論文があったのを思い出しました。

ウチの宗派で祀る「聖僧」の再定義に繋がりそうです。

さておきまして、明神信仰も古いですので、空海がそのまま明神になったというのは、納得出来ますね。
Unknown (Unknown)
2016-10-08 20:28:26
聖僧信仰ですが、私が高野山で行をした道場でも、食堂(じきどう)にはビンズル尊者と僧形文殊菩薩が聖僧として祀られていました

インド以来の伝統として、小乗の筆頭としてビンズル、大乗の筆頭で文殊

真言行者は声聞・縁覚・菩薩の三乗、顕密二教を等しく修学すべしという意義と教わりました
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2016-10-08 22:38:38
> Hindou さん

御指摘ありがとうございます。

ウチの宗派では、多分、中国や日本でも最初の頃は、「陣如尊者」が聖僧だったと思われます。

それが色々と思想的変遷を受けて、江戸時代に輩出された学僧・面山瑞方禅師の影響で、僧堂(坐禅堂)の聖僧は僧形文殊菩薩と定められました。

曹洞宗でも羅漢信仰がありますので、いわゆる声聞・縁覚という二乗への配慮があります。

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