つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

今日は高祖降誕会(道元禅師の誕生日)です

2012-01-26 21:13:41 | 仏教・禅宗・曹洞宗
今日1月26日は曹洞宗で「高祖降誕会」と呼ばれる日になります。大本山永平寺を開かれた道元禅師のお生まれになった日としています。江戸時代には正治2年(1200)1月2日に誕生日を定め(面山瑞方師『訂補建撕記』など)、更にそれを暦の転換に合わせて日を動かしたのが、明治33年(1900)のことであります。

さて、毎年この日には、道元禅師生誕に関する記事をアップするようにしており、だいたい新しい学説に従い、色々と考えてきたわけですが、その点については、従来の記事(【今日は道元禅師の降誕会です(平成23年度版)】など)をご覧いただければ良いと思うのですが、今日は敢えて、江戸時代に構築された道元禅師伝を見て行きたいと思います。

土御門院(人王八十三代)正治二年(庚申)正月二日に道元和尚誕生す。洛陽の人、源氏。村上天皇九代の苗裔。后中書王八世の遺胤なり。
    『訂補建撕記』、一部表現を改める


分かりやすくするために、一部の漢字を訓読し、またカナをかなにするなどしていますので、大体このままご理解いただけるかと存じます。さて、この段階で既に、「正月二日」という話が来ていますが、従来の古写本『建撕記』には見えないことでございます。ところで、これを見て改めて思うのが、道元禅師は「申年の人」だったということです。以前、大学院の時の先輩で、この道元禅師誕生の年月日から、その人を占うという研究をしていた人がいましたが、あれはどうなったんだろう?さておき、今時であれば「申年」というのは、以下のような感じになるそうです。

口が達者で行動力もあり、才気に溢れている・・・豊臣秀吉みたいな人?

なるほど、確かに道元禅師はこういうひとかもしれません。まぁ、拙僧個人の勝手な思いこみかもしれませんが。さておき、その道元禅師の家庭環境について、面山師は次のように註記しています。

高祖は、久我の内大臣通親公の子にして、母は九條の摂政基房公の娘なり。〈中略〉『永平録』の亡父の追薦に源亜相忌上堂とあり。亜相は大納言の唐名なれば、父は定て大納言なり。通親は内大臣なれば、祖師の父にあらずと云へり。これは『永平録標指鈔』の一巻に云く、「或家伝譜、師、内大臣通親の孫、堀川大納言〈通親長男〉通具の三男」とあり。この説を正と思へるならん。爾れども誤なり。余、考ふるに、師三歳の時、通親薨し玉ふ。通光は十四歳なれば、長兄通具の養育せられし由て、その子と謂しなるべし。三歳より養育にて、劬労の恩は通親よりも重きゆへに、冥福追薦の上堂も度々せられけるにや。
    同上


結局面山師は、「通親」説を取りたかったようです。その根拠としては、一つ、ここには挙げませんでしたが、その時代の久我家から出してもらった系譜(道正菴にあった)に通親の子供として書かれていたことなどがあったようです。ただ、この系譜には残念ながら根拠と成り得るだけの価値はなく(当時は、あったかも知れませんが)、しかも、面山師は「道元禅師の父親が三歳に亡くなった」という説にも固執していますが、この固執も、果たして伝記文献から出て来たのか?それともこの系譜から出て来たのか?良く分からないところがあります。

要するに、一点間違ったがために、それに合わせて周囲をかなり大胆に作り替えた可能性があるわけです。実際にはここで面山師自身が指摘されるように『永平広録』に於ける「育父源亜相忌上堂」を以て、「育父」を考え、その上で「通具」説を採れば良かったのに、それが出来なかったわけです。だいたい、他の古い道元禅師伝、それこそ瑩山禅師『伝光録』や、古写本『建撕記』などでは、4歳の時に父親(慈父閣下とある)に詩を献じた話が出ていたり、出家したくて比叡山に行った13歳の時には、応対した良観法眼(良顕とも)が、「いきなり出家するなんて、親父が怒るよ(意訳)」とかいっていたりするので、もちろん、実父は生きていたわけであります。

その点から考えると、もちろん、「通親」が実父である可能性は皆無であります。

なお、「通具」が実父である可能性はあるわけですが、「育父」を「養父」と捉えて、別の実父がいる可能性は残りますが、でも、やっぱり「育父」は「実父」のことでありましょう。なお、道元禅師の「猶父」こそが、藤原基房なのであります。よって、最近の研究が進んだおかげで、この面山師の見解については、どこが問題で、否定すべきかが分かるのであります。

ただし、面山師の見解の影響は大きく、明治時代、近代の曹洞宗で作られた道元禅師伝はだいたい、そのような人物相関図で以て構築されているのですが、流石にこの平成の世までは生残できなかったのであります。よって、平成には新しい道元禅師の伝記や、家系などが考察されるべきだといえましょう。まぁ、通親であったりすると、木曾義仲の問題とか、伊子の問題だとかが組み合わせられるので、物語的には良いのかもしれませんが、でも、祖師が必ず物語の主人公に成り得るわけではありません。何の「奇特事」が無くても祖師にはなるのです。よって、我々も劇的な人生を期待するのでは無くて、何の面白みも無いかもしれないけれども、それを日常底として淡々と生きることが肝心だといえるのです。

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