つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

『大智度論』と「彼岸」について(10)

2017-03-21 17:09:21 | 仏教・禅宗・曹洞宗
春の彼岸会である。「彼岸会」の起源や展開の一端については、【彼岸会―つらつら日暮らしWiki】をご覧いただければ幸いである。さて、この期間に関連して、今回は上記タイトルの通り、龍樹菩薩造『大智度論』から、「彼岸」に関する語句を学んでいきたいと思っている。

 波羅蜜を到彼岸と名づく。
 世間の人、及び声聞・辟支仏、諸波羅蜜を行ずることを具足すること能わず。是の故に名づけて精進波羅蜜と為さず。復た次に、是の人、大慈・大悲無く、衆生を棄捨す。十力・四無所畏・十八不共法・一切智、及び無礙解脱・無量身・無量光明・無量音声・無量持戒・禅定・智慧を求めず。是を以ての故に、是の人、精進しても波羅蜜と名づけず。
 復た次に、菩薩の精進、休まず、息まず、一心に仏道を求む。是の如きの行者、名づけて精進波羅蜜と為す。好施の菩薩の如意珠を求むるが如し。大海水を抒するに、正に筋骨を使って枯尽くすまで、終に懈廃せず。如意珠を得て、以て衆生に給えて、其の身の苦を済う、菩薩、是の如き難為能為あり。是れを菩薩の精進波羅蜜と為す。
    『大智度論』巻16「釈初品中毘梨耶波羅蜜義第二十七」


この辺、「表記揺れ」かとも思うのだが、よく分からない。この一節では、やはり波羅蜜を到彼岸と訳している。しかし、やはりここ数日の記事同様に、「波羅蜜」の可否について論じられている。なお、その基準は上記一節に明確であるので、簡単に以下にまとめておきたい。

まず、上記一節では「精進波羅蜜」について論じられている。その上で、精進波羅蜜の成立条件を以下にまとめてみたい。

・世間の人・声聞・辟支仏は精進波羅蜜ができない。
・理由としては、この者達には大慈悲が無く衆生を救おうとしない。十力以下、多く仏陀が身に着けるべき能力を得られない。
・菩薩は一心に仏道を求めるからこそ、精進波羅蜜となる。更に、衆生を救う。


以上である。ここから理解できることは、「波羅蜜」とは、「仏」に深く関わる概念だということである。仏道を求めるからこそ、精進になるということは、そういう意味である。転じて、声聞・辟支仏(独覚)は、仏道を求めずに、各々独自の涅槃に到ろうとするといえよう。

そこで、我々大乗の重要な立場として、仏に成ることを求める、という重要な一節が見られることが分かる。まぁ、こんなことは、大乗仏教に関する解説書・概論書を一読すれば、すぐに分かることであるが、改めて理解できたことが大きいといえる。

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