つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

軍神はどちらの味方に?

2017-06-15 06:34:35 | 仏教・禅宗・曹洞宗
以前、各地にある各種の地蔵菩薩・地蔵尊を見ながら、拙僧が抱いた素直な感想として、「勝軍地蔵だの、平和地蔵だの、地蔵菩薩も忙しいことだ・・・」というのがある。同じ地蔵なのに、願われている内容が正反対。まぁ、人間側の勝手な願望とはいえ、地蔵さんも大変なことだ。年末くらいは、頭に笠を掛けて差し上げたい。

さておき、こんなことを考えていたら、非常に似たような問答をした例を中国禅宗の公案中に発見した。今日はそれを学んでみたい。

 問う、大軍、天王に斎を設けて勝ちを求む。賊軍も亦た天王に斎を設けて勝ちを求む。未審し、天王、阿誰が願いに赴かん。
 師曰く、天より雨露の垂れるに栄枯を揀ばず。
    『景徳伝灯録』巻17・華厳休静禅師章


この問答を行った華厳休静禅師(生没年不詳)というのは、中国曹洞宗の僧侶で、本師が洞山良价禅師、兄弟弟子に雲居道膺禅師・曹山本寂禅師などがおられる。道元禅師が、この休静禅師が行った「大悟底人の却迷問答」を、自らの『正法眼蔵』「大悟」巻に引用されて、その問答の優れたる様子から「問処の道得」と評した一則も知られている。休静禅師は非常に現実的な問答を行われ、その意味で後代の参究を容易ならしめている。しかし、ワケの分からない教理禅に陥ると、却って分からないから、素朴に読めば良いのだ。

さて、先の引用文で言われている「大軍」というのは、「賊軍」と対義語で使われていることからも分かる通り、大義の軍、江戸時代末期の日本であれば官軍を指すといえる。そして、ここで問われているのは、官軍も賊軍もそれぞれ、勝ちをくれる「天王」に供養の席を設けて、勝ちを願ったとする。その時、その天王はどちらの願いに赴くのだろうか?ということである。

休静禅師の答えは、天から降ってくる雨は、その相手の栄枯などを選ばずに落ちてくるという。よって、端的に、分別しても無駄ということになろう。誰に対しても功徳があるということは、それを深めて受け取れば、結局、どっちも祈ったら意味が無いということにもなろう。世俗的な価値観の上に於ける分別を否定している。

或いは、これが大軍と賊軍であることにも注意したい。つまり、大義がある軍の方が、天王の助力を得ることが出来るのでは無いか?という期待も見えると考えるべきかもしれない。しかし、休静禅師の答えには、それも無い。まさしく、運を天に任せている様子しか伝わってこない。

では、結局、天王に祈るべきなのか?祈らないべきなのか?結局、この有無については人間側の判断で決めてしまって良いように思う。それまでも否定されているわけでは無いからだ。素朴な禅問答は、そこから様々な文脈を導くことが出来る。無論、上記にもまだ、審細に参究し切れていない領分がある。

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