つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

第十不謗三宝戒(『梵網菩薩戒経』参究:十重禁戒10)

2010-12-30 07:22:24 | 仏教・禅宗・曹洞宗
今日は「十重禁戒」の10回目です。流石に「旧戒」とまでいわれる「十善戒」には、この項目は出て来ません。同戒は三宝に関係なくても成立してしまうのですから、当然です。

さて、「十重禁戒」の最後は「不謗三宝戒」または「不痴謗三宝戒」になります。「三宝を謗らない」ということを誓う戒です。この戒を受けた人は、お互いの僧侶同士であっても、或いは在家で受けた人も、「ウチの住職は高級車ばかり乗り回しやがって・・・」等に類する発言を行う一切の権利を喪失します。まさに、そんなことをすれば、「僧団追放」の断頭罪(波羅夷罪)を受けてしまうのです。

ただ、ここで、もちろん拙僧の言葉が「納得できない」方も多いことでしょう。つまり、「高級車を乗り回し、遊び呆けるような者が、本当に坊主なのか?」という疑念です。敢えてそのように申してみました。しかし、それをいったら、本来は生身のゴータマ=ブッダのみが「仏」ですから、伝記や仏像のみ残る現状では、とっくに「仏宝」は失われています。或いは、その口から説かれた教えのみが「法」ですから、紙の上に書かれた経典(経巻・経本)のみ残る現状では、とっくに「法宝」は失われています。もし、それでも「仏宝」と「法宝」なのだと納得できているのなら、これら2つは、とっくに「置き換え」が済んでいます。そして、「僧宝」はどうなのでしょうか?これも「置き換え」をすべきなのかもしれません。

1500年以上に及ぶ、長い長い日本仏教史の中で、三宝をどのように定義するかが、問われなかったはずがありません。ただですら、ここは、インドから遙かに遠い、「果ての国」・・・まぁ道元禅師のように、「辺境」だと仰った方もおられるほどです。よって、三宝の功徳に与る(あずかる)だけでも、相当な苦労があったのです。そういう苦労を見ながら、拙僧、最近の議論を拝見するに、「もっと、色々と勉強しろよ」って思うわけです。そして、当然「不謗三宝戒」は、畢竟「三宝」について問う戒であるだけに、その註釈もまた、「三宝」の定義について、繰り返し問う内容となっています。とりあえず、それらに入る前に、道元禅師御自身の教えを見てみましょう。

 一日示ニ云ク、人は必ズ陰徳を修スベシ。必ズ冥加顕益有るなり。
 たとい泥木塑像の麁悪なりとも、仏像をば敬礼すべシ。
 黄紙朱軸の荒品なりとも、経教をば帰敬スベシ。
 破戒無慚の僧侶なりとも僧躰をば信仰スベシ。
 内心に信心をもて敬礼すれば、必ズ顕福を蒙ルなり。
 破戒無慚の僧なれば、疎相麁品の経なればとて、不信無礼なれば必ズ罰を被ルなり。しかあるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる仏像・経卷・僧侶なり。故に帰敬すれば益あり、不信なれば罪を受クるなり。何に希有に浅増くとも、三宝の境界をば恭敬スベキなり。
    『正法眼蔵随聞記』巻4-8


このように、道元禅師は、いわゆる粗悪品であっても仏像であれば敬礼すべきであるといい、出来の悪い経本であっても、その教えに帰依すべきであるといい、破戒僧であってもその僧体を信仰すべきであるといいます。何故ならば、これらは、「しかあるべき如来の遺法にて、人天の福分となりたる」ものだからです。よって、帰依をすれば、利益がありますし、不信であれば罪を得るのです。しかし、ここでも、「三宝のありよう」が問われていると分かります。なお、後々に見ていく「三宝の定義」は、ここで道元禅師が仰ることと共通してきます。つまり、当時の道元禅師及びその会下の僧達は、この定義を使っていたということです。いたずらに、みんな偉くて破戒などをしなかった僧ばかりだったとは、考えるべきではないといえましょう。

なんじ仏子、自ら三宝を謗り、人に教えて三宝を謗ぜしめれば、謗の因・謗の縁・謗の法・謗の業ならん。而も菩薩は外道及び以悪人の、一言でも仏を謗る音声を見れば、三百の鉾をもって心を刺すが如し。況んや口に自ら謗じて信心・孝順心を生ぜざらんをや。而るに、反って更に悪人・邪見人を助けて、謗ぜしめば、是れ菩薩の波羅夷罪なり。
    『梵網経』「第十毀謗三宝戒」


いうまでもないことでしょうが、「謗三宝」の対義語は「帰依三宝」です。ただ、その帰依についても、出来れば功徳がありそうな、「善い三宝」に帰依したいと思う人が多いことでしょう。無論、以前【僧侶とは非難可能なのか?】で書いた通り、道元禅師は三宝の善し悪しを決める権限自体が、衆生にないことを主張され、結局、功徳の発現を期待する衆生の側にある「取捨選択」こそが、功徳の発現を遠ざけるとまで述べています。問題は、三宝の側にあるのではなく、信じる衆生の側にこそあるといえましょう。しかし、このようなことを聞くと、皆さん驚かれるかもしれません。しかし、その驚きは、ずいぶんと昔から同様だったようです。

 仏は絵像・木像にあらはるる、之に帰する事有り。法は黄紙朱軸の経巻、之に帰する。僧は〈略〉愚痴僧剃髪染衣すれば、好悪を謂わず、之に帰する。
 如此なれども、仏を知り仏を明む事之無ければ、仏を実にあらはさむとする時は、あやまりて驚疑怖畏する也。
 旧見を改めざる時は、此三界を一心と云とも信ぜず、諸法実相の詞にも驚く。邪正一如と云をもあやしむ。
 三界は三宝の住所とも、三宝は三界也とも信ずる不謗三宝なるべし。
    経豪禅師梵網経略抄』「第十不痴謗三宝戒」


何故、絵像や黄紙や愚痴僧であっても、帰依の対象とすべきなのか?その時、先に挙げたように、「どの三宝であっても功徳があるから」と知って、行う場合があるかと思いますが、それでは、実際の「帰依」ということの部分的な成就が行われたに過ぎません。しかしながら、ここで経豪禅師が指摘されるように、「知って」行うだけではなくて、仏法の道理を会得した上で、やはりどのような三宝であっても帰依できる可能性が残っています。もし、それが果たせない場合には、「三界唯一心」「諸法実相」「邪正一如」という言葉、全てが無意味になってしまうのです。では、仏法の道理を会得するときには、何がどう理解されるのか?それこそ、「三界」こそが、三宝の在す場所として理解することです。本来、仏というのは、三界を超越した存在だとされています。ところが、それではいたずらに法身仏の存在を否定することになります。法身=仏なのだから、当然に、三界がその範疇から漏れる可能性は無いのです。

凡そ三宝の有さまを明むる、是を帰依三宝と云ひ、三宝の有さまにくらき、是を謗と云也。三宝、都て謗ぜられざる事、習うべき也。
    『梵網経略抄』


よって、三宝の有り様を、明らかにすることをこそ、帰依三宝というのであり、三宝について、所詮は世間的な見解でもって、批評し、是非善悪を付けることを、謗三宝というのです。この辺で、やや「理屈」でもって、この辺の理解を進めてみましょう。

 仏に付ては先ず当寺本尊〈永興寺の事也〉は、一代の教主釈迦大師、滅後二千余歳の後あらはれて、本尊と為す。此仏は木也。きざみつくるは世間の人なり。是は衆生方よりの見なり。仏の方より云はば、世間に木もあるべからず。草も有るべからず。有情大地までもなしとも学ぶべし。
 大地有情同時成道の故、諸教に覆蔵する事なけれども、理を明むる事はかたし。心に明めねば疑をなし、恐怖するも尤道理也。意地には三毒ふさがりてあきらかならず。
 釈尊、大地有情同時成道と仰せらる。木にて仏を造る義もあるべからず。此木釈尊と同時に成道す。
    『梵網経略抄』


京都で詮慧禅師が開かれた永興寺、本尊は釈尊だったようです。しかし、この仏は、世間にある普通の木を用い、更に世間の仏師の手によって彫刻されています。よって、これは「世間の存在」だと思ってしまうのが普通です。ところが、経豪禅師はそれを、「衆生の側から見た見方」だと喝破しています。むしろ、仏の側からいえば「木」も「草」も「大地有情」もなく、唯仏与仏だといいたいのです。そして、「大地有情同時成道」という、禅宗にて伝えられる釈尊成道の様子を受けて、これは理として明らかにするのは難しいとしており、心にて明らかにせねば、余計な疑いを起こし、恐怖するだろうとしています。実際のところ、道元禅師はこの釈尊成道の言葉を『正法眼蔵』「行持(上)」巻や、『永平広録』上堂の幾つかで「本則」として用いており、瑩山禅師も『伝光録』首章にて本則として用いる重要な公案です。いわば、釈尊が既に、成道していてくださった事実を、我々自身がどのようにして納得し、その世界の中でどのように修行を進めていくかが問われているのです。この釈尊成道によって、我々自身仏法が欠けたることなき存在だと納得することを「本証」といい、その信仰を「本証への信」といい、その上で修行することを「本証妙修」というのです。

木は木として、既に釈尊と同時成道しています。よって、その木は既に成道していますが、改めてそれを彫刻して、やはり仏にしているのです。それは、我々自身が、既に成道しているものの、改めてその身心にて修行して、やはり仏に成っていくのと、軌を一にします。

喩ば、世間の材木はいたづらなる山の木なれども、仏堂・塔婆、若は橋の如きにも作なす。此の分際也。
    『梵網経略抄』


同じ木ではありますが、その木をどのように用いるかで、自ずとそのありようも変わってきます。確かに、衆生の見方であれば、同じ木であり、既に成道されていても、それが橋になれば、橋にしかなりません。とはいえ、この橋は多くの人に役立っているので「菩薩」ですが、仏堂・塔婆の方が分かり易いかもしれません。この辺、同じ木の用い方でも、その価値付けは様々だといっているのです。そして、当然、仏・菩薩(僧侶)も、その価値付けは様々です。よって、価値付けの様々な様子に惑うことなく、その真実の三宝の姿を会得する必要が出てくるといえるのです。そして、その真実のあり方は、まさに三界を三宝だと会得することです。されど、その時、我々は、あらゆる対象であっても、三宝だと理解し、供養すれば良いのか?と思ってしまいます。そうではありません。あらゆる三界内調度(世界内存在)が三宝であるからこそ、仏像・経典・愚痴僧が、その供養の対象になると、理解すべきなのです。

 三宝の所住、何の所と云事なし。
 いたづらなる木にきざみて仏を作る、此時仏現前す。
 いたづらなる素紙に経巻をうつす、又又此の如し。
 僧と云も在家よりこそ出家すれ、もとよりの僧ならず。
 大地有情同時成道の仏の木にきざみたる功徳也。然者必仏許を功徳と云うべからず。
 経巻に解する所の理が功徳なれば、理にだに普合せば功徳也。経は理をつらねるゆへに談も功徳也。
 僧も剃頭著衣したれども、其分何程の事といはねばただ愚痴僧也。然而、よかりし僧の形をまねびたるゆへに、供養すれば福田となる。
 せめて福分なき人は是等をも謗ずるなり。
 清浄の仏法僧は境界を隔たり。業力無き者は、目に触れ縁を求む。皆、仏法僧なり。
    『梵網経略抄』


「木を刻む」「素紙に書く」「髪を剃り袈裟を着ける」、これが「三宝」という事です。そして、そうであっても、供養をすれば、必ず功徳がある「福田」であるとしています。以前、【「福田」についてのお話し】という記事にも書きましたが、仏法僧の三宝は、供養するだけで衆生には功徳があります。それを「福田」というわけです。しかし、その福田を信じられない人は、自身に具わる福分が無いだけなのに、一方的に対象である三宝を謗ります。そして、ますます福分を失うのです。

拙僧のような者からすれば、何とも「畏れ多いことだ」と思わざるを得ません。繰り返しになりますが、ここまで多様化された価値観の中で活動していると、在家信者にとって気に入らない僧侶がいれば、その主観的独善によって、「お前など三宝の一である僧宝ではない」などといわれてしまいます。まぁ、この一言には現在の日本仏教が抱える問題が噴出していて、昔なら、世界の仏教徒が大体共通して受けていた戒律があって、その有無で三宝か否かを判断できていたわけですが、伝統的な日本仏教教団には、その共通性が曖昧になってきている(これ自体、1200年近い期間に及ぶので、もう善悪を問うべきではない)ので、どうしてもその都度の主観的判断で、三宝か否か?が問われてしまうといえましょう。無論、そう問うて満足しているのは、その当該信者だけなので、罪を得ることには間違いないんですけどね・・・僧侶は、どれだけ破戒無慚の不心得者であっても、僧侶であり、僧宝であり、三宝の一です。どんな仏像も、三宝の一です。どんな経典も、三宝の一です。

ただ、持戒の有無を問わず、「僧宝は一向仏法を学するを云うべき也」(『梵網経略抄』)という指摘もあります。拙僧は、この辺で決着を付けるべきだと思っています。無論、これは在家の方から見た僧侶の価値判断の基準ではなくて、拙僧自身の「倫理的目標」ということです。或いは、この指摘に共感する僧の方は、やはり自らが信ずる仏法を学んでいき、それは結果的に利他にもつながり、まさに仏日、光を新たにすることでしょう。

さて、三宝についての定義付けから、「真の帰依三宝」ということまで含めて学んで参りました。ここで改めて、道元禅師の「帰依三宝」について見ていきたいと思います。晩年に書かれたという説もありますが12巻本『正法眼蔵』に「帰依仏法僧宝」巻が収録されています。

・明らかにしりぬ、西天東土、仏祖正伝する処は、恭敬仏法僧なり。帰依せざれば恭敬せず、恭敬せざれば帰依すべからず。この帰依仏法僧の功徳、必ず感応道交するとき成就するなり。〈中略〉すでに帰依したてまつるがごときは、生生世世、在在処処に増長し、必ず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり。
・おほよそ帰依三宝の功徳、はかりはかるべきにあらず、無量無辺なり。


如何でしょうか。道元禅師は、このように断言しておられます。そして、結果的に、「帰依三宝」の言葉を唱えるべきだというのです。その言葉とは「三帰依文」をご覧いただければ良いでしょう。改めて、三宝への帰依の意味を考え、仏道の成就のためには、これこそが肝心だと決心して、修行に邁進したいものです。なお、かつて仏陀は「善来比丘」と自ら仰ることで、出家を認めていましたが、次第にこれが「三帰依」となり、現在のような「白四羯磨」となっています。よって、道元禅師は『十誦律』や、『大方等大集経』巻44の故事を受けて、「三帰戒」は世尊自らが衆生に授けたるものとして、帰依三宝の典拠にしています。「三帰依」について、道元禅師は当然の信仰体系として、その説話の中に生きているのです。むしろ、現代の我々も、この体系の上に生きることが必要であると、拙僧は考えています。

ここまで論じてきましたが、「不謗三宝」を論じた段階で、「不殺生」から始まった「十重禁戒」が、その「信仰」に於いて高らかに成立する事象と昇華せられました。この事実が、とても大切なことです。「不謗三宝」とは、「仏教を信じるか否か」を問われるものです。仏教は、信仰ではないという人もいるかもしれませんが、それはどこかに必ず「謗三宝」を犯しています。過度な仏尊重、過度な法尊重、過度な僧尊重・・・これらは、いずれの「一宝」のみを強調し、他の「二宝」を謗ってしまっているのです。だからこそ、いつまでも、その福田に恵まれることがないのです。

さて、ここで「十重禁戒」は終わります。来月からすぐに、続きの「四十八軽戒」に入れれば良かったのですが、拙僧自身、まだまだ学ぶべきことがありますので、来月は「十重禁戒の締めくくり」を番外の記事にして、再来月から「軽戒」を見ていきたいと思います。「軽戒」も、本来、日本人が書いた註釈書があれば、それで「軽戒を、どのようにローカル化したか?」という話が出来まして、それは「軽戒」を把握するときの最重要課題であるのですが(内容が具体的なため、ローカル化しないと使えない)、なかなか良いテキストがないので、今のところは、曹洞宗系の『梵網経略抄』(ただし、四十八全てには註釈されていない)は勿論ですが、後は中国の文献でも見ていこうと思っています。南都の律宗関係にあるとは思うのですが、容易に入手出来ないと大変なので・・・

ざっくりとご期待下さい。

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2 コメント

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Unknown (市堀玉宗)
2010-12-30 17:52:51
当に信を以って能入となす、ですね。
今年も多くを学ばさせていただきました。
ありがとうございます。
明年も更なるご活躍をご期待申し上げます。
拙僧、来春より猫僧堂に出仕の予定です。
貴ブログをテキストとして復習しているところです。(笑)
佳いお年をお迎え下さい。
合掌
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2010-12-31 06:41:40
> 市堀玉宗 さん

> 当に信を以って能入となす、ですね。

そうですね。
基本であり、しかも畢竟でもあるのが「信」ですね。

> 今年も多くを学ばさせていただきました。ありがとうございます。

いえいえ、わずか一句でも、皆さまのご参考になれば幸いです。

> 明年も更なるご活躍をご期待申し上げます。

来年は、地道に研究生活を送ろうかと思っております。

> 拙僧、来春より猫僧堂に出仕の予定です。

嗚呼、お疲れ様でございます。
貴ブログでの「想い」も拝見しました。
高校の大先輩である堂頭禅師さまも、信頼出来る方をそばに招かれたのでしょうけれども、何よりです。

> 貴ブログをテキストとして復習しているところです。(笑)

ありがとうございます(笑)

> 佳いお年をお迎え下さい。

こちらも、ありがとうございます。
市堀さまも、どうぞよいお年をお迎えください。

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