つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

面山瑞方禅師の「代語」批判(1)

2017-06-20 08:56:18 | 仏教・禅宗・曹洞宗
江戸時代の学僧・面山瑞方禅師が様々な切紙を批判したことは有名で、特に「代語(代わり法問)」への忌避感は大変なものがあるけれども、その主張については、『洞上室内断紙揀非私記』がよく知られている。だが、色々と見てみると、他にもその批判が多く記載されているので、簡単に見ておきたい。

 今時の叢林に、節日の早朝垂示の式といふあり。前夜より座位を排し、早晨礼賀の以前に、師家挙話すれば、大衆一歩を進て下語、師家挨拶などありて、結語して、大衆普同三拝す。これ古規の早参なり。
 その式の弊せるが、洞下に代語を出すと云に変ぜり。
 もと、垂示は問話なきに、師家より示衆するをいふ。垂示・示衆・垂語など云も同じ。ゆへに垂示とは、師家ばかりの言句にかぎる。碧巌・従容等の如し。仏眼録に室中垂示と云ふ一章は、垂語ばかりを録せり。
 また垂示代語と云は、この垂示下にて大衆に下語を請ひ、下語了て自ら衆に代て下語す。雲門録中に、垂示代語と云一章あり。録して云く、上堂云、劄、久雨不晴。代云、一箭両垜。これ、劄、久雨不晴は垂示にて、一箭両垜は代語なり。また示衆云、看看仏殿入僧堂裏去也。代云、羅浮打鼓韶州舞。これも看看の下は垂示にて、羅浮の下は代語なり。また、垂代とも云ふ。仏眼録に、垂代の一章ありて、垂示と代語とを録せり。虚堂録中に、代別の一章あり。古則を挙して、下に代云と見へ、また古則を挙して、下に別云と見へたり。上のごとくなれば、問話なきに師家より垂語するは、みな垂示なれば、上堂・小参、法堂・室中、処をえらばず、時をえらばざるなり。上堂・小参・早参・晩参などの格に例して、垂示の式と云が、別にあるにはあらず。
 日本洞下に、早参・晩参の式廃し、五参上堂などは一向にしらず、朔・望の上堂・小参もなくなりて、中古よりただ垂示代語ばかりのこりて今にいたる。ゆへに今比も、師家の古則を挙して、衆の下語了て、末に自ら下語するを、関東にては代語と云ふ。その師家を俚諺に代語房主と云ゆへに、規矩を行ふ寺では、代語と云をいやがりて、垂示と云なり。
    『洞上僧堂清規考訂別録』巻6「告香普説附垂示考訂」、カナをかなにするなど見やすく改めている


これは、「代語」文献というよりも、学人接化の手段としての「代語」形式を批判していることになる。曹洞宗の歴史の中でという点で考えてみると、拙僧も勉強し始めた頃は、道元禅師はどこか坐禅ばかりをしていたという印象があった。ところが、大学院で『永平広録』を学ぶ機会を得て、それは全く正反対になった。それどころか、当時の「月分行持」のあり方から考えてみると、永平寺では「上堂」を中心に学人接化が行われ、5日サイクルで繰り返し、非常に綿密な「公案参究」が行われていた状況が分かってきた。

ただし、この場合の「公案参究」についても、古則だとは限らない。道元禅師がその場で指し示す事象もまた参究の対象である。肝心なのは、正しく仏法の働きを会得することであり、文字に書かれていることを理解することが目的ではないのである。

さておき、上記に引用した一節を検討しながら、面山禅師の「代語」批判の様子を見ていきたい。

まず、先ほども申し上げた通りで、この一節による批判の主眼は、学人接化としての「代語」形式を否定することにある。そして、「古規復古運動」の観点からいえば、古規にあるような早参(朝の説法)・晩参(晩の説法)、上堂(法堂を用いる正式な説法)・小参(時処を選ばず、師家によって行われる家訓宣揚)を正しく行えば良いのであって、「代語」や「垂示(本来の意味ではなくなった、訛的用法)」を用いるべきではないとしているのである。

それで、本来の「垂示」というのは、学人からの質問がない状態で、師家より一方的に行われる説法をいう。面山禅師は「碧巌・従容等の如し」としているが、確かに『碧巌録』にしても、『従容録』にしても、学人との問答は無いし、また、両著とも各則の冒頭に「垂示」とあって、その一則に関する説示がなされている。

また、面山禅師はその例として『仏眼録』を挙げているが、該当箇所は『古尊宿語録』巻34に収録されているため、見ることが出来るけれども、確かに「室中垂示」の項目があり、仏眼清遠禅師の語句ばかりが収められている。そして、続く「垂示代語」であるが、これも指摘の通り、『雲門録』(単行本、または『古尊宿語録』巻17)にもあるし、また、『仏眼録』には「垂代」の項目(先に挙げた「室中垂示」のすぐ後)に見えるので、こちらもこの通り。『虚堂録』についても巻6に「代別」がある。

それで、これらのように中国の禅僧の語録に「代語」やそれに類した形式が見えるため、それなら日本で行っても良いように思うのだが、面山禅師に於いては、これらの「垂示」や「代語」というのは、学人接化の一形式なのであり、しかも、上堂・小参などと、完全に別の形式としてあるのでは無いという。その意味で、当時の曹洞宗に於いては、代語や垂示というのは、禅林古来の説法形態が廃れ、その補完的状況としてあったということになる。よって、復古的立場からすれば、本来の形式に戻して学人接化をすれば、「代語」形式などは不要だろう、ということになる。

そして、この語句からすれば、面山禅師の時代でもまだ、「代語」形式が行われていたのだろうと思うのである。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。

これまでの読み切りモノ〈曹洞宗11〉は【ブログ内リンク】からどうぞ。
ジャンル:
文化
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« イギリスとフランスでテロ事... | トップ | <NPB>マリーンズ井口選手が... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL