つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

明日は海の日(平成29年度版)

2017-07-16 10:38:25 | 仏教・禅宗・曹洞宗
明日は海の日である。それで、その日が7月17日になってしまったので、天童如浄禅師忌と重なってしまう。そこで、「海の日」の記事は今日アップすることとした。たいがいこの日は、仏祖が用いた「海」の字句を考えることで、我々自身が「海」の功徳をどのように把握していくべきかを検討するようにしている。今年もその通りだ。

浩渺たる波濤縱ひ天に滔るも、清浄の海水、何ぞ曾て変ぜん。
    瑩山紹瑾禅師『伝光録』第13章・頌古


意味としては、広々とした波濤が天にまで昇るとして、清浄なる海水がかつてよりどうして変わったことがあろうか、ということになる。なお、何故この頌古が付されたかだが、そもそもの本則が以下の通りだからである。

 第十三祖、迦毘摩羅尊者、因みに馬鳴尊者、仏性海を説て曰く、山河大地皆依って建立す。三明六通、茲に由って発現す、と。
 師聞いて信悟す。
    同上、本則


いわば、馬鳴尊者が「仏性海」を説いたことに依拠して、この一節を瑩山禅師が言い換え、更には讃歎したのが先の頌古である。例えば、本則では「山河大地」も皆、仏性海に依りて建立されているとされる。そうなると、先に挙げたように、波濤がどれほどの高さになろうと、海から変わらないことは明らかである。

ところで、この場合、仏性海、或いは瑩山禅師が仰る「海水」とは、『大乗起信論』でいうところの不変真如を意味しており、山河大地や波濤は随縁真如を意味していると理解出来よう。流石に、「仏性海」を説いたのが馬鳴だけあって、瑩山禅師は正しく『大乗起信論』でもってこの一則を理解し、頌古されたのである。

無論、近年の研究で、馬鳴についても、複数人が想定されたり、或いは一部は真実の著作と、それ以外の多くの偽作が指摘されるに至ったが、そもそも僞史であるはずの禅宗灯史については、この辺の厳密性は考慮しない方が良いのだろうと思う。「昔から、こう受け伝えられています!!」で良いのだろう。

ところで、この頌古については、その直前に興味深い一語がある。

今朝、又此因縁に依て、卑語を著けんと欲す。聞かんと要すや。良久して曰く……
    同上、提唱


このようにあって、瑩山禅師の『伝光録』は、請益時の提唱であったとはされるのだが、その様子の一端を知ることが出来る一語である。それは、「今朝」とあって、朝方行われていたことと、本則提唱に続いて頌古を付けていた様子も分かる。朝方といっても、どの時間であったのか?『瑩山清規』に於ける請益の指示を見ると、「今朝」という指摘と矛盾が見える。

請益の法は、斎罷、侍者、維那に報せ、「請益牌」を掛けしむ。晩間に方丈の板、三会鳴らす。大衆、威儀を具足して、各おの方丈に上る。
    『瑩山清規』「月中行事」十一日項


このようにあって、清規上は請益を夜に行っていた様子が分かる。この辺は拙僧なりの推測になってしまうが、瑩山禅師の請益、というか、『伝光録』だけが特別だったのかも知れないが、おそらく、大乗寺の住持に就任した時に、祝国開堂をしていなかったのかもしれない。そうなると、正式な上堂にならないから、請益をもって大衆を指導していたのではないか?という推測が可能になってくる。上堂の代わりであるから、朝方に行われても良い。

まぁ、この辺はもう少し周辺の状況を見ながら考えなくてはならないが、現段階の推測として記事にした次第である。

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