つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

今日は天皇誕生日(平成28年度版)

2016-12-23 12:52:11 | 仏教・禅宗・曹洞宗
今日は天皇陛下の御降誕を祝する日である。臣僧、万歳をもってお祝い申し上げ奉る。

現代でこそ、天皇制などという言葉も出来て、色々なことが取り沙汰されるに至ったが、道元禅師はその辺、天皇の存在に疑問を差し挟んだことは無く、また、或る国で布教を行う際には天子の許可がいるとも思っていたため、いわゆる「反権力」とはいうが、その内容は吟味されて然るべきである。

さて、その道元禅師が天皇誕生日のための行持について論じている箇所があるので、それを見ていきたい。

 聖節の看経といふ事あり。かれは、今上の聖誕の、仮令もし正月十五日なれば、先十二月十五日より、聖節の看経、はじまる。今日上堂なし。仏殿の釈迦仏のまへ、連床を二行にしく。いはゆる、東西にあひむかへて、おのおの南北行にしく。東西牀のまへに檯盤をたつ。そのうへに経を安ず。金剛般若経・仁王経・法華経・最勝王経・金光明経等なり。堂裏の僧を一日に幾僧と請して、斎前に点心をおこなふ。或は麺一椀、羮一杯を毎僧に行ず。或は饅頭六七箇、羮一分、毎僧に行ずるなり。饅頭、これも椀にもれり、はしをそへたり、かひをそへず。おこなふときは、看経の座につきながら、座をうごかずしておこなふ。点心は、経を安ぜる檯盤に安排せり、さらに棹子をきたせる事なし。行点心のあひだ、経は檯盤に安ぜり。点心、おこなひ、をはりぬれば、僧おのおの座をたちて、漱口して、かへりて座につく。すなはち看経す。粥罷より斎時にいたるまで看経す。斎時三下鼓響に、座をたつ。今日の看経は、斎時をかぎりとせり。
 はじむる日より、建祝聖道場の牌を、仏殿の正面の東の簷頭にかく、黄牌なり。また仏殿のうちの正面の東の柱に、祝聖の旨趣を、障子牌にかきてかく、これ黄牌なり。住持人の名字は、紅紙、あるひは白紙にかく。その二字を小片紙にかきて、牌面の年月日の下頭に貼せり。かくのごとく看経して、その御降誕の日にいたるに、住持人上堂し、祝聖するなり。これ古来の例なり、いまにふりざるところなり。
    『正法眼蔵』「看経」巻


「聖節の看経」というのは、天皇誕生日のための看経である。道元禅師の時代、看経は僧堂看経と仏殿看経とがあったが、この場合には仏殿看経である。その辺は、「仏殿の釈迦仏のまへ」云々とあることからも明らかであろう。

さて、道元禅師は「例えば、天皇誕生日が正月15日ならば」ということで話を進めているけれども、該当する歴代天皇がおられるのか調べたが、どうも該当される方はおられないようである。よって、あくまでも架空の事例として考えられたのだろう。上記の一節が何をいっているかといえば、もし誕生日が正月15日なら、その1ヶ月前から「聖節の看経」が始まるとしているのである。その開始日は、上堂もしないという。それで、行持としては、釈尊の前に連床(僧侶達が坐る台のこと)を2行南北の向きに置いて、東西に向かい合い、しかも、その前には経巻(当時は巻物)を置くための盤も設けることになっている。

そして、読まれるべき経典としては、基本的に大乗経典だが、『金剛経』『仁王経』『法華経』『最勝王経』『金光明経』とあって、いわゆる「護国経典」であることが分かる。この辺から、道元禅師が読経の功徳でもって、天皇陛下の聖壽無窮と、国家の安寧を願っていたことは明らかである。

また、「点心」について述べられているが、これは昼食前のおやつのようなもので、略法での食事である。どういうことかといえば、この時代聖節の看経は朝食後から、昼食前まで続けて行うものであった。現代と違って、全員が維那の挙経に合わせて同時に唱えるのではなく、あくまでも「看経」であるから、経巻を読み、それで功徳を得たのである。各々が勝手にしているので、食事なども各自行うものであった。よって、配食係(浄人)がいて、各々の盤の上に点心を置き、それを頃合いを見計らって食べ、食べ終わったら、外に出て口を漱ぎ(『正法眼蔵』「洗面」巻を見る限り、当時は朝のみ歯磨きを行い、その後は食事しても口を漱ぎ、指でこする程度であった)、終わったらまた座に戻って看経した。

そして、昼食を知らせる太鼓が鳴ったら、聖節の看経を終えたのであり、これを丸1ヶ月続けた。

また、このような「聖節の看経」を行うための道場(道元禅師の場合には、仏殿が該当)を「建祝聖道場の牌」を掛けて明示した。そして、仏殿の柱には、祝聖(天皇誕生日に奉る)の言葉を掛けておいた。このように看経を続け、実際の天皇誕生日当日になると、住持は上堂して、祝聖したのであった。道元禅師は「古来の例」とされるものの、「いまにふりざるところ」とあって、「今も古びてはいない」とされるのだから、当然に行うものとして考えられていたはずである。

そして、実際に永平寺では祝聖の上堂もされているので、天皇誕生日の行持を行われていたことは疑いが無い。そのように思うと、やはり一末孫として、高祖に倣わないことは出来ないため、拙僧もお祝い申し上げるのである。

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