SOTO禅インターナショナル(SZI)の2010年度講演会が、2月15日(月)に曹洞宗檀信徒会館(東京グランドホテル)を会場として開催されました。会員の皆さんと、一般からの参加も呼びかけました。既に【2/15 嶋野栄道老師講演会のおしらせ】でもお伝えしていたように、今回は講演会の講師として、臨済宗妙心寺派のニューヨーク大菩薩禅堂師家・嶋野栄道老師を拝請し、お話しをお聞きしました。アメリカに渡ったのが1960年、半世紀に亘って活動されたということです。
なお、詳しい内容は【kameno先生のブログ】をご参照いただくか、4月に発行予定のSZI会報43号にも抄録されると思いますので、それをご覧ください。そして、この記事については、拙僧自身のメモ書きを元に、その興味を覚えた部分の箇条書き程度でございますので、予めご了承ください。
まず嶋野老師ですが、お願いをされた当SZIの浅井副会長の話などによると、今回の講演、非常に乗り気だったそうで、実際に講演の前後にも、臨済宗と曹洞宗とでもっと交流すべきであると仰っています・・・拙僧、以前別の方のお話からも、それを聞いたことがございました。1人は玄侑宗久師であり、もう1人は町田宗鳳先生です。お二人とも、一時期ずいぶんと曹洞宗の諸会に講師として呼ばれておられたようですが、拙僧もそれを何度か聞き、また直接お話しした際に、その趣旨のことを仰っていました。しかし、この状況に到ると、曹洞宗が臨済宗の方をお呼びするというのは、或る程度実績も出て来ましたが、その逆がないのではないかと思います。曹洞宗侶として、臨済宗で話したと喧伝するのが後ろめたいってことはないと思いますが、多くは聞きません。あ、最近建長寺で若手の研究者が話したとか聞いていますが、その人の話は宗義ではなく歴史で、僧侶である必要もないので、数には入れないでおきましょう。

さて、今回の演題となった「法網今や西ひがし」というのは、三島の龍澤寺にて師家であられた中川宋渕老師の俳句「山涼し 法網今や 西ひがし」から採られたそうで、この大菩薩禅堂にて修行する修行僧のありようを詠まれたものとのことです。「山涼し」も、ただの気候・気温の問題ではなくて、修行僧が世俗の雑音を気にせずカラリと修行する様子を詠み込んだものといえますし、その後の「法網今や西ひがし」は、仏法東漸の実態を示したものとのことです。

「禅宗二十四流」という言葉があります。これは、日本の鎌倉時代(詳しくいえば、栄西禅師の帰国1191年から、東陵永璵の来日1351年までのこと)に、日本に来た禅宗の各流派のことです。よって、江戸時代になってから来た黄檗宗は入っておりません。また、「二十四流」とはなっておりますが、3流派が曹洞宗、1流派が臨済宗黄竜派、そして他の20流派が臨済宗楊岐派になりますので、ほとんどは臨済宗になるわけです。なお、日本に曹洞宗の流れが、道元禅師しかいなかったと思っている人は、この辺で考えを改めていただきたいと思います。
それから、いわゆる「鎌倉新仏教」と呼ばれる運動は、後の日本仏教界を左右するだけの巨大なものになりましたけれども、栄西禅師・道元禅師・法然上人・親鸞聖人・日蓮聖人・一遍上人と「いっぺん」に出て来たのは、何故なのか?と仰っていましたが、拙僧的には「臨済宗の師家も親父ギャグをいうのか」と、耳目を新たにさせていただいた次第です。この辺の、1人の天才が、更に多くの天才を生む、という現象(欧米だと、ルネッサンスがそう)については、かつて別の哲学者からも聞いたことがあったものでございました。
さておき、日本にまで来た禅の流派はそのまま、欧米各国にも当てはまる形で伝わった、明確な発言では仰らなかったようですが、おそらく嶋野老師はそういう趣旨だったのだろうと思います。そして、欧米に伝わった「曹洞禅」の流れに関連して、5人の方の名前を挙げておられました。1人は澤木興道老師、後名前の出た順番に、内山興正老師、弟子丸泰仙老師、原田祖岳老師、安谷白雲老師、ということでございました。嶋野老師御自身も直接に逢われた方もおられたようで、特にヨーロッパに弟子丸老師を表敬訪問された時のエピソードなどは、興味深いものでした。
日本語しかできない(英語がちょっと出来たという話もあるようですが)弟子丸老師が、坐禅堂で坐る修行者相手に、警策を持ちながらかなり野太い声(ここは嶋野老師、声色模写されています)の「日本語」で、「しっかり坐れ〜!!」と仰っていたそうです。しかし、それをフランス語の通訳がされると、なんだかフニャフニャした感じになったのが面白かったと、こう仰っていました。後は、発心寺(いや、仏国寺だったかな?)での話もありましたが、それは何やら不思議なお話だったので、割愛。あ、原田老師が「聖僧」をクビにした話は面白うございました。
或る摂心で、誰も見性できなかったそうなのです。そうしましたら、原田老師がお怒りになり、修行僧達を一頻り怒鳴りつけたところで、その怒りの矛先が「聖僧」にも向かい、「お前も、何をチンタラ坐っているのか」とお怒りになり、結局他のお寺にもらわれていった(嶋野老師云く「派遣」)とのことです。まぁでも、段々とその聖僧さん、良いお顔になってきたそうで、これはこれで良かったのかもしれません。
嶋野老師が、自身アメリカで頑張ろうという決意をされたのは、トインビーの影響が大きかったようです。仏法の東漸が20世紀最大の出来事であるといったそうですが(拙僧は、この人の名前、創価学会関係の書籍でばかり見るので、ちょっと眼鏡に色が入っていますけど)、それを真に受けたということと、それから師の中川老師からも、日本から1人位坊さんがいなくなっても誰も何も思わないけど、アメリカでは「干天に慈雨を待つ」心持ちだろうから、行ったらどうか?と勧められたようです。1964年にニューヨークに降り立った嶋野老師、お金も人脈もないけど、余り不安を感じない状況だったようです。
ただ、それで実際にニューヨークにあった西本願寺関係のお寺に行った際、そちらにおられた関先生という方からは、色々と厳しいことをいわれたようです。「ハドソン川が澄んでも、禅堂が建つことはない」とか・・・でも、嶋野老師は関西でいわれるという「やってみなけりゃ分からない。やったことしか残らない」を思い、ここで頑張ろうと思ったとのことです。そして、とにかく「何が出来るか?」と考えたそうですが、小さいアパートで、食べる物もなく、着の身着のままの僧体。結局、坐禅(朝課)と、衣姿で街を歩く、くらいしかなかったようですね。ただ、この1965年の1年は、一生涯でも一番良く坐った年であった、と述懐され、それまで自分に足りなかったこと(修行)を補ってくれるための1年であったともいわれています。そのことを「いただかなくてはならない物は、遅かれ早かれいただかなければならない」という語で締めくくられています。
他にも、「マヨネーズをかき混ぜる話」とか「ハワイの人からいわれた4つの言葉」とか、色々と話はあったのですが、拙僧自身が一番興味を覚えたのは、「こころの時代」についてです。拙僧の受業師も良くいわれていたので、拙僧自身この語に思うところはあります。ただ、これは、老師が指摘しておられたことですが、NHKの番組名になっているほどなのに、「実感が湧かない」と仰っています。それよりもむしろ、21世紀とは「東洋の時代」であると仰っていました。そして、トインビーの言葉も承けて、東洋の時代には仏教などの東洋思想が世界に影響を与えるであろうこと、64億人の過半数がアジア人であることなどを挙げています。物心両面で、東洋の時代は来ているのあり、これは確信されることだともいっておられました。
また、欧米に行くのなら、英語よりも良く日本の文化を学び、東洋の思想を学んでから行け、と仰っていました。我々僧侶にとってなら、英語を学ぶ暇が有れば、祖録を読めとも仰っています。非常に重要なことです。英語の読み書きならば、或る意味一般の人にも出来ます。しかし、祖録の正確な理解と、それを他人に伝える作業は、僧侶にのみ可能なことです。また、日本人であれば、日本のことを正しく分かっていることが、同時に他の国に行くということになるわけで、その「基本」を外すことは出来ないということでしょう。以前、海外に渡った或る日本人レーサーが、日本にいる間に、徹底的に日本文化を学んだという話を聞いたことがあったのですが、それが半世紀アメリカにいた御師家さんの言葉と共鳴してくるのが、非常に面白い所でございました。
などなど、感想は尽きない所ですが、拙僧が断片的に書いたメモ書きが尽きてしまいそうですので、中途半端で恐縮ですが、以上にいたします。
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なお、詳しい内容は【kameno先生のブログ】をご参照いただくか、4月に発行予定のSZI会報43号にも抄録されると思いますので、それをご覧ください。そして、この記事については、拙僧自身のメモ書きを元に、その興味を覚えた部分の箇条書き程度でございますので、予めご了承ください。
まず嶋野老師ですが、お願いをされた当SZIの浅井副会長の話などによると、今回の講演、非常に乗り気だったそうで、実際に講演の前後にも、臨済宗と曹洞宗とでもっと交流すべきであると仰っています・・・拙僧、以前別の方のお話からも、それを聞いたことがございました。1人は玄侑宗久師であり、もう1人は町田宗鳳先生です。お二人とも、一時期ずいぶんと曹洞宗の諸会に講師として呼ばれておられたようですが、拙僧もそれを何度か聞き、また直接お話しした際に、その趣旨のことを仰っていました。しかし、この状況に到ると、曹洞宗が臨済宗の方をお呼びするというのは、或る程度実績も出て来ましたが、その逆がないのではないかと思います。曹洞宗侶として、臨済宗で話したと喧伝するのが後ろめたいってことはないと思いますが、多くは聞きません。あ、最近建長寺で若手の研究者が話したとか聞いていますが、その人の話は宗義ではなく歴史で、僧侶である必要もないので、数には入れないでおきましょう。

さて、今回の演題となった「法網今や西ひがし」というのは、三島の龍澤寺にて師家であられた中川宋渕老師の俳句「山涼し 法網今や 西ひがし」から採られたそうで、この大菩薩禅堂にて修行する修行僧のありようを詠まれたものとのことです。「山涼し」も、ただの気候・気温の問題ではなくて、修行僧が世俗の雑音を気にせずカラリと修行する様子を詠み込んだものといえますし、その後の「法網今や西ひがし」は、仏法東漸の実態を示したものとのことです。

「禅宗二十四流」という言葉があります。これは、日本の鎌倉時代(詳しくいえば、栄西禅師の帰国1191年から、東陵永璵の来日1351年までのこと)に、日本に来た禅宗の各流派のことです。よって、江戸時代になってから来た黄檗宗は入っておりません。また、「二十四流」とはなっておりますが、3流派が曹洞宗、1流派が臨済宗黄竜派、そして他の20流派が臨済宗楊岐派になりますので、ほとんどは臨済宗になるわけです。なお、日本に曹洞宗の流れが、道元禅師しかいなかったと思っている人は、この辺で考えを改めていただきたいと思います。
それから、いわゆる「鎌倉新仏教」と呼ばれる運動は、後の日本仏教界を左右するだけの巨大なものになりましたけれども、栄西禅師・道元禅師・法然上人・親鸞聖人・日蓮聖人・一遍上人と「いっぺん」に出て来たのは、何故なのか?と仰っていましたが、拙僧的には「臨済宗の師家も親父ギャグをいうのか」と、耳目を新たにさせていただいた次第です。この辺の、1人の天才が、更に多くの天才を生む、という現象(欧米だと、ルネッサンスがそう)については、かつて別の哲学者からも聞いたことがあったものでございました。
さておき、日本にまで来た禅の流派はそのまま、欧米各国にも当てはまる形で伝わった、明確な発言では仰らなかったようですが、おそらく嶋野老師はそういう趣旨だったのだろうと思います。そして、欧米に伝わった「曹洞禅」の流れに関連して、5人の方の名前を挙げておられました。1人は澤木興道老師、後名前の出た順番に、内山興正老師、弟子丸泰仙老師、原田祖岳老師、安谷白雲老師、ということでございました。嶋野老師御自身も直接に逢われた方もおられたようで、特にヨーロッパに弟子丸老師を表敬訪問された時のエピソードなどは、興味深いものでした。
日本語しかできない(英語がちょっと出来たという話もあるようですが)弟子丸老師が、坐禅堂で坐る修行者相手に、警策を持ちながらかなり野太い声(ここは嶋野老師、声色模写されています)の「日本語」で、「しっかり坐れ〜!!」と仰っていたそうです。しかし、それをフランス語の通訳がされると、なんだかフニャフニャした感じになったのが面白かったと、こう仰っていました。後は、発心寺(いや、仏国寺だったかな?)での話もありましたが、それは何やら不思議なお話だったので、割愛。あ、原田老師が「聖僧」をクビにした話は面白うございました。
或る摂心で、誰も見性できなかったそうなのです。そうしましたら、原田老師がお怒りになり、修行僧達を一頻り怒鳴りつけたところで、その怒りの矛先が「聖僧」にも向かい、「お前も、何をチンタラ坐っているのか」とお怒りになり、結局他のお寺にもらわれていった(嶋野老師云く「派遣」)とのことです。まぁでも、段々とその聖僧さん、良いお顔になってきたそうで、これはこれで良かったのかもしれません。
嶋野老師が、自身アメリカで頑張ろうという決意をされたのは、トインビーの影響が大きかったようです。仏法の東漸が20世紀最大の出来事であるといったそうですが(拙僧は、この人の名前、創価学会関係の書籍でばかり見るので、ちょっと眼鏡に色が入っていますけど)、それを真に受けたということと、それから師の中川老師からも、日本から1人位坊さんがいなくなっても誰も何も思わないけど、アメリカでは「干天に慈雨を待つ」心持ちだろうから、行ったらどうか?と勧められたようです。1964年にニューヨークに降り立った嶋野老師、お金も人脈もないけど、余り不安を感じない状況だったようです。
ただ、それで実際にニューヨークにあった西本願寺関係のお寺に行った際、そちらにおられた関先生という方からは、色々と厳しいことをいわれたようです。「ハドソン川が澄んでも、禅堂が建つことはない」とか・・・でも、嶋野老師は関西でいわれるという「やってみなけりゃ分からない。やったことしか残らない」を思い、ここで頑張ろうと思ったとのことです。そして、とにかく「何が出来るか?」と考えたそうですが、小さいアパートで、食べる物もなく、着の身着のままの僧体。結局、坐禅(朝課)と、衣姿で街を歩く、くらいしかなかったようですね。ただ、この1965年の1年は、一生涯でも一番良く坐った年であった、と述懐され、それまで自分に足りなかったこと(修行)を補ってくれるための1年であったともいわれています。そのことを「いただかなくてはならない物は、遅かれ早かれいただかなければならない」という語で締めくくられています。
他にも、「マヨネーズをかき混ぜる話」とか「ハワイの人からいわれた4つの言葉」とか、色々と話はあったのですが、拙僧自身が一番興味を覚えたのは、「こころの時代」についてです。拙僧の受業師も良くいわれていたので、拙僧自身この語に思うところはあります。ただ、これは、老師が指摘しておられたことですが、NHKの番組名になっているほどなのに、「実感が湧かない」と仰っています。それよりもむしろ、21世紀とは「東洋の時代」であると仰っていました。そして、トインビーの言葉も承けて、東洋の時代には仏教などの東洋思想が世界に影響を与えるであろうこと、64億人の過半数がアジア人であることなどを挙げています。物心両面で、東洋の時代は来ているのあり、これは確信されることだともいっておられました。
また、欧米に行くのなら、英語よりも良く日本の文化を学び、東洋の思想を学んでから行け、と仰っていました。我々僧侶にとってなら、英語を学ぶ暇が有れば、祖録を読めとも仰っています。非常に重要なことです。英語の読み書きならば、或る意味一般の人にも出来ます。しかし、祖録の正確な理解と、それを他人に伝える作業は、僧侶にのみ可能なことです。また、日本人であれば、日本のことを正しく分かっていることが、同時に他の国に行くということになるわけで、その「基本」を外すことは出来ないということでしょう。以前、海外に渡った或る日本人レーサーが、日本にいる間に、徹底的に日本文化を学んだという話を聞いたことがあったのですが、それが半世紀アメリカにいた御師家さんの言葉と共鳴してくるのが、非常に面白い所でございました。
などなど、感想は尽きない所ですが、拙僧が断片的に書いたメモ書きが尽きてしまいそうですので、中途半端で恐縮ですが、以上にいたします。
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