つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

戦争と仏教について(平成29年度終戦の日)

2017-08-15 06:39:57 | 仏教・禅宗・曹洞宗
今日は72回目の終戦の日である。まぁ、その位置付けについては諸論あることを承知しているし、それほど単純ではないということも理解している。

その上で、戦争と仏教という観点で、国会図書館などのサイトで検索をしてみたが、新聞記事や雑誌までは確認出来ないものの、書籍ではどうも大内青巒居士の著作が最も早い印象である。それが『戦争と仏教』(国母社、明治27年9月)である。なお、この明治27年を西暦に直すと「1894年」となるのだが、ここで或る事績を思い出した人は、近代史の常識がある人といえる。同年8月1日、日清戦争が開戦した。

そこで、本書の構成は以下の通りである。

・詔勅(日清戦争開戦に因む)
・目次
  軍隊の本旨
  軍人の操行
  仏教の目的
  仏教の方法
  仏教と国王との関係
  勅語と仏教との関係
  生死超脱の事例
  祈祷と戦争との関係
  祈祷霊験の事例
  結論 以上


既に、明治21年には「尊皇奉仏大同団」を結成していた青巒居士は、天皇の言葉を神聖化する傾向にあった。よって、本書を世間の諸論客に先立って刊行したのは、まさに明治天皇による詔勅にいち早く対応した結果であるといえる。それで、本論の内容としては、明治15年に下賜された『軍人勅諭』五箇条に関する註釈であるといえるため、もしかしたらかなり前から準備はしていたのかもしれない。それが日清戦争開戦という時機を得て刊行されたものであるともいえる。そして、特に青巒居士が重視したのは、勅諭の第一条に見える以下の一節である。

抑國家を保護し國權を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是國運の盛衰なることを辨へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ

なお、「死は鴻毛よりも輕し」について青巒居士は、仏教に於ける生死超脱の思想でもって実践可能であると考えたのである。その一節が以下の通りである。

是に於て仏教は其苦を抜きて其楽を与ふると云ふを起点し、而して要する所は、其最初たる生と其最終たる死との際に於て、安心決定する所あらしむるに帰す。故に釈迦牟尼仏かつて宣言したまはく、我れ一大事因縁の為めに世に出現せりと其一大事とは即ち生死なり。爾来諸宗列祖の教ふる所の皆唯此の生死を決定するに外ならず、承陽大師道元曰く生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。慧灯大師蓮如曰く、我等が今度の後生の一大事おん助け候らへとたのみ申して候ふ等、皆これなり。〈中略〉是れ則ち仏教は生死を以て一大事と為す所以にして、之を決定する者、二世安穏なる所以なり。之を仏教の目的と為す。
    前掲同著、15~17頁


青巒居士は、仏教の目的を生死を一大事とし、安心決定することであるという。なお、この安心決定は自力・他力の2方法によって明らかに出来るという。そして、この生死を明らかにし、その苦悩を超脱することと、戦争との関係はどうなるのであろうか。簡単に論じれば、死を怖れずに忠実に戦務に就くことこそが忠臣であり、軍人とはそのようにあらねばならないと述べるのである。

本書は国民全体に対して戦争遂行に尽力するように説く内容ではない。しかし、この後、日本は10年おきに日露戦争・第一次世界大戦に参戦して行くにあたり、青巒居士は戦争時に於ける仏教徒のあるべき姿なども説くようになっていく。第二次世界大戦の開戦までにはまだ数十年もある段階で、仏教者の一部に、斯様な戦争礼讃の態度を持つ者がいたことを、我々は知っておくべきである。

しかし、それは常に国家と政治のために力を尽くしながら、明治維新によって急に捨てられた仏教者にとっての、焦りであった可能性がある。つまり、明治政府体制下に於いても仏教はまだ役割があることを示したのである。その証拠として、青巒居士は「祈祷」について言及した。それは、かつて仏教者が戦勝を願い、実際にそれが契った例を示したのである。明治時代は急激に迷信などが否定されるようになったし、それは啓蒙思想家としての評価を受ける青巒居士も尽力したはずなのだが、こういう領域でたまに懐古する場合がある。

だが、それは理のみで語り尽くせない段階に於いて用いられるものでもあった。

さて、今日は終戦の日であるから、戦争について考える契機として、かつての仏教者の言説を見てみた。仏教が平和主義的というのは、1つの幻想であり、実際には平和主義にも、戦争主義にもなり得る。そうなると、本気で平和を考えたいのであれば、仏教という宗教の枠を超えて考えていく必要があるだろう。むしろ、世俗の観点から見ていく必要もあるかもしれない。特に、仏教が仏教のことを語ってさえいれば権威として社会に受け入れられた時代ではないし、それは信教の自由が人権として保障された時代であれば尚更だ。

その意味でも、我々が考えるべき問題は、常に人の心に即して、戦いを好む理由などを慎重に見極めていくべきなのだろう。

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2 コメント

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仏教者の戦争責任 (風月)
2017-08-16 20:31:33
戦争に荷担せざるを得なかった僧侶も多かったでしょうが、青巒居士のような考えの方も多かったのでしょうか。青巒居士のような方が、このように好戦的であったとは、あらためて驚きました。
つらつら和尚さんに教えられます。
コメントありがとうございます。 (tenjin95)
2017-08-18 08:46:18
> 風月 さん

青巒居士の場合、「世間に役立つ仏教」を訴えることで、改めてその魅力を世間に納得させるという大きな目的があったように思います。戦争の機会には戦争に役立つことを説き、平和の時には平和に役立つことを説いたのだろうと思います。

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