つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

「五如来幡」について

2017-08-17 09:52:45 | 仏教・禅宗・曹洞宗
明治時代の盂蘭盆会・施食会に関する文献を見てみると、よく参照されているのが名古屋八事興正寺の諦忍律師が著した『盆供施餓鬼問弁』であることが分かる。同著は明和2年に自題が著され、どうも同年中に刊行されたようだ。現在では、『栂尾コレクション顕密典籍文書集成 9 (事相篇 3) 』(平河出版社、1981年)に収録されており、版本を見ることが出来る(ただし、同コレクションに収録された版本の刊行時期は良く分からない)。

さて、本書については既に、拙ブログでも【施食会と盂蘭盆会の関係について】で採り上げており、諦忍律師の博覧強記ぶりを知ることが出来る良著であると同時に、江戸時代当時の盂蘭盆会・施食会に対する理解を知ることが出来るものであると評しえよう。ただし、諦忍律師はおしなべて施食会の行法面については、密教が優れているとされ(これは、事実である)、他宗派の作法、就中禅宗の作法については批判的である。この記事ではその一例として、「五如来幡」について見てみたい。

○問、今時の寺院、七月に入ればそのまま大幡を立て、幡の上に宝楼閣の小呪を書し、七月十五日の施食の壇には五色の紙幡を作りて五如来の名号を書して立るを定式とす。是いかなる事ぞや。
 答、是は中古京都五山の禅院に是の如くの壮観を設しより、諸宗に見習ひてする事なり。何の本拠もなき事なり。
    『盆供施餓鬼問弁』32丁裏、カナをかなにするなど見易く改めている(以下同じ)


要するに、五如来幡に関する疑義である。或る人が、当時の寺院にそのような習慣があると指摘しつつ、それの根源・根拠を尋ねたようなのだが、諦忍律師の回答は京都五山の禅宗寺院から始まったとしつつ、それを諸宗派が見習い、しかも、何の典拠も無いとしているのである。

それで、例えば臨済宗の中世末期の清規として理解されている『諸回向清規』には、「七如来幢」に関する記載があるが、「五如来幡」については見当たらない。実際に、「五如来」の名号については『幻住庵清規』には既に見えているのだが、「幡」との関わりがよく分からない。だが、その影響ではあろう。

それで、更に「七如来」というのは、ちょっと注意が必要で、拙僧なりに以前調べた限りでは、禅宗の「七如来」作法があると思われるのだが、今回、諦忍律師も同様の見解であったことが分かったので、それを紹介しておきたい。

○問、今時禅林に流行する大施餓鬼作法と云もの、及び蒙山施食法、燄口科範等を見るに、並に皆七如来を揚たり。是如何なる事ぞや。
 答、是は蔵中に瑜伽集要救阿難陀羅尼燄口軌儀経と云ものあり。件の経の中に、七如来あり。是に拠ものなり。然るに同じく七如来とはいへども、少し相違あり。経には宝勝如来・離怖畏如来・広博身如来・妙色身如来・多宝如来・阿弥陀如来・世間広大威徳自在光明如来と云へり。然るに禅林の本には、宝勝・多宝・妙色身・広博身・離怖畏・甘露王・阿弥陀と列子たり。世間広大威徳如来を除て甘露王を加へたり。尓れば全く本説なき自己流なり。其上アミダ(※梵字だがカナで表記)は無量寿と訳す。アミリテイ(※同じ)は甘露と訳す。甘露は是長生不死の仙薬なり。長生不死なれば則ち無量の寿命なり。仍て阿弥陀と云も甘露王と云も同事にて一仏異名なり。
    前掲同著、12丁表裏


このように、諦忍律師は禅林の「七如来」については根拠が無いとしている。実際に、拙僧の調査でも同様の結果だ。まず、指摘にある通り、『瑜伽集要救阿難陀羅尼燄口儀軌経』については、「宝勝・離怖畏・広博身・妙色身・多宝・阿弥陀・世間広大威徳自在光明」の七如来である。一方で中国五代十国時代の法眼宗の僧であった永明延寿(904~975)は、『慧日永明寺智覚禅師自行録』の「第五十八」に於いて「六時の礼拝」について指摘しており、礼拝の対象として「七如来」を挙げているが、それが「宝勝・離怖畏・広博身・甘露王・妙色身・多宝・阿弥陀(諦忍の指摘する順番とは違う)」である。なお、延寿は「七如来」について、施餓鬼の目的で採り上げているので、おそらくは元々の密教系の七如来を変じて、禅林様にしたのだとは思われる。

それで、江戸時代の日本では、明代の雲棲袾宏が編集した『雲棲法彙』にも禅宗の「七如来」が収録され、諦忍も同著を参照しているから、その辺の影響も見ていくべきなのだろう。

ということで、よく密教の影響があるとはいわれるのだが、日本の禅宗の密教的行法は、あくまでも中国の禅宗様の密教的行法であったと見ていくべきなのだろう。そして、「五如来幡」についても禅宗独自の行法であるという指摘も見えるのであるから、禅宗的密教の系譜は正確に理解し、いわゆる純禅への妄信は留める必要があるように思われる。

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