つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

「制中五則」の顛末?!

2017-05-16 09:07:23 | 仏教・禅宗・曹洞宗
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。

結制に五則と称し、住持・首座・書記・副寺・知客、順次に一則の公案を拈提すること、何れの世、誰れの創始なるを知らず。或は清規の四節の秉払に五人の頭首秉払するに倣いたるか。然れども、住持は秉払すべきに非ず。況や、法問の掛番をや。今時法問の式は、已に秉払式に異なれば、五人のもの五則を挙行するを必とせず。或は謂ふ、五則は五家の宗風を扇揚すと。無稽も亦甚し。故に今は結制法問の行式を首座一人に限ることゝ為し、爾余は廃止す。
    『明治校訂洞上行持軌範』巻中「年分行事(この頃はまだ「持」ではない)」


いわゆる「法戦式」についての話である。拙ブログの読者をされている宗侶各位であれば、既に、法戦式とは両祖の時代よりも後に出来たもので、正式な作法として宗門の行持体系に入ったのは、それこそ明治期以降になることをご存じだと思われる。なお、先に引いた明治校訂の『行持軌範』でも、法戦式について、その淵源を探ろうとしたことが知られ、一応、群馬・双林寺から、関連の資料を取り寄せた様子が伝わるが、それでも決着はしなかったようである。

そのため、時宜に対応するために、法戦式が導入され、現代にまで至った。

なお、この記事で引いた先の一節は、その中でも、法戦式に変えていくことの意義から転じて、首座和尚以外の僧侶による法問挙唱について廃止するという話が示されているのである。ここでいわれているのは、「制中五則」などとして知られている。それで、「制中五則」というのも、実際にはよく分からない行事である。なお、先の『行持軌範』の見解については、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師が同じようなことを指摘している。

今時洞下に五則の時、首座の分座挙揚が結夏秉払の意なり。〈中略〉諸清規の四節秉払には、前堂・後堂・書記・東蔵・西蔵の五頭首が、一時次第に秉払す。今は弉翁の儀によりて、首座一人にても行ふべし。
    『洞上僧堂清規考訂別録』巻6「秉払」項


本項に於ける面山禅師の批判は、上記のように引用すると見えにくくなってしまうが、実際には問答を行う「資格」に関して批判する内容だといえる。当記事では、その意を汲みつつも、とにかく「首座」が問答を行うのが大切だということを示したかったので、引用した。なお、面山禅師はその典拠をかつて懐弉禅師が、興聖寺にて秉払を行った事例(『正法眼蔵随聞記』参照)を挙げている。それから、引用はしなかったが、この後には「得法」の人のみが、秉払を行えるとあるから、現代の「首座」と同じに考えて良いかは別問題だといえる。

ただし、現代では得法の有無について厳しく論じる傾向に無いから、この辺は変わってしまったと考えて良いのかもしれない。

それにしても、「制中五則」については、面山禅師が指摘されるように、元々は『勅修百丈清規』辺りで書かれている「四節秉払」が原型で、他に、無著道忠『禅林象器箋』巻7「第七類 職位門」の「秉払五頭首」項などに、その様子を見ていくべきなのだろう。廃れてしまった儀式なので、何とも想像が付かないのが・・・それにしても、拙僧自身、何か重大な見落としをしている気もするが、何だろう、この違和感は?

また、本来、この記事では現代でもその修行が求められている、結制中の「7日間の教化」についてその原点を探ろうと思っていたのだが、どうも、「制中五則」では無い印象を得た。やっぱり、授戒会なのか?その辺を推測した記事は、別の機会にしておきたい。

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