つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

今日は高祖降誕会(道元禅師の誕生日)です(平成26年度版)

2014-01-26 10:59:03 | 仏教・禅宗・曹洞宗
今日は、高祖降誕会です。曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師(1200~1253)を、我々は高祖として仰いでいます。高祖というのは、宗派の礎を築いた方、教えを開いた方、という意味合いで用いられる用語ですので、相応しい呼び方です。なお、道元禅師は1200年1月2日にお生まれになったとされます(この日付は、江戸時代の記録に突如として現れます)。その日付を陰暦から陽暦に換算して、現在では1200年1月26日にお生まれになったと考え、この日をもって、「高祖降誕会」としています。

さて、昨年の「太祖降誕会(瑩山禅師の誕生日)」では、いつ頃から太祖は太祖と呼称されるようになったのかを申し上げましたが、高祖道元禅師についても同じような考え方でもって論じてみたいと思います。つまり、何時から道元禅師は「高祖」と呼ばれるようになったのか?という話です。

まず、道元禅師御自身がその著作で「高祖」という呼称を用いており、その対象は以下の通りです。

・西天初祖摩訶迦葉大和尚
・東土初祖菩提達磨大和尚
・東土六祖大鑑慧能大和尚
・青原行思大和尚
・洞山良价大和尚
・百丈懐海大和尚


厳密に申し上げると、もうちょっとおられる印象ですが、とりあえずこの方々です。結構多岐にわたっておりますが、やっぱり「最初」というイメージが強いのだろうと思います。インドの最初、中国の最初、南宗禅の最初、青原系の最初、曹洞宗(洞山宗)の最初、禅宗叢林の最初、ということです。よって、ここまで確認しておいて、後は道元禅師御自身が、後代にどのように呼ばれたかを見ていきたいと思います。

・怡かも西天二十八祖達磨大師の初て唐土に入るが如し。是れ唐土の初祖とす。師、亦た是の如し。大宋国五十一祖なりと雖も、今は日本の元祖なり。故に師は此門下の初祖と称し奉る。
    瑩山紹瑾禅師伝光録』第51章
・今月廿八日、恭しく日本初祖永平大和尚の遠忌に遇う。
・芸祖永平和尚
    ともに『瑩山清規』「永平忌」


瑩山禅師(1264~1325)は「高祖」を、先に見た道元禅師の用法と、或いは「高祖父」の意を転じて「四代前の祖師」の意味で用いて、如浄禅師(高祖如浄―曾祖道元―師翁懐弉―本師義介―瑩山)を「高祖」と呼称します。しかし、道元禅師については、「初祖」「芸祖(意味は、初祖と同じ。芸は園芸の芸と同じ意味)」と呼称しています。

それで、瑩山禅師とほぼ同時代の永平寺五世・義雲禅師(1253~1333)も同じく「永平初祖」と呼称しています。

後は、瑩山禅師よりも後の時代と考えるべきですが、語録上確認出来るのは、陸奥正法寺二世・月泉良印禅師(1319~1400)で、或る問答に於いて弟子の1人が「僧、問う、永平高祖、渡唐より帰朝の時……」と聞いており、瑩山禅師の孫弟子の段階では既に「高祖」の呼称が用いられていることが理解出来ます。よって、一応、今の段階でこの呼称が最も古いとしてしまって良いような気がします。

なお、同時代には「永平曩祖」などの呼称を用いている場合がありますが、この場合の「曩祖」は、列祖というくらいの意味なので、「高祖」が持つ「初祖」の意味合いが出て来ません。よって、先ほどの月泉禅師の一件は重いと思われます。そして、江戸時代にはほとんど「永平高祖」という呼称は定番化していますので、この段階で既に、「高祖」呼称は一般化していたと考えられるのです。

ということで、今日は高祖降誕会ですので、因んだ記事を書いた次第です。南無高祖大師、合掌。

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