つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

1日なさざれば1日食わず

2005-04-25 00:49:36 | 仏教・禅宗・曹洞宗
唐代の百丈懐海(生没年不詳・唐代の僧)禅師なんですが、この人は『百丈清規』という、中国禅宗寺院の規範を作った人としても有名で、ちょうどこの頃禅宗が中国で独立を果たしたとも言えるわけです。それまでは律院を道場として用いていたともされております。

既に老齢となった百丈禅師なんですが、自らの年齢を顧みることなく、日夜修行僧に混じって作務(日常の仕事)を行っていました。それも、話によると亡くなるその日まで仕事に励んだと言われています。そんな百丈禅師の身体を想って、修行僧は百丈の仕事道具を隠してしまいました。困った百丈禅師は、そのまま1日休むことになってしまったわけですが、その日百丈禅師は食事を採らなかったということなんです。それを示す言葉が「一日不作一日不食」です。それを訳しますと、表題のようになるわけです。

この百丈禅師が活躍した時代は、徐々に禅宗が中国社会に定着しようとしていた頃でした。そういった頃のためか、こうした方々の言葉は非常に活力に溢れ、禅宗が哲学化するずっと前の話ですので、具体的で分かりやすいのが特徴です。もし、禅語録に馴染みたい方は、まずこの時期のものから読んでみるのが良いと思います。

と、百丈禅師のように年齢を顧みないと言えば、曹洞宗の大本山永平寺の宮崎亦保不老閣猊下は既に100歳を超えるご高齢であるのに、未だに坐禅をしておられると側聞いたします。宮崎禅師様の場合は、年齢を顧みないというよりは、年齢などというものを超脱しておられるのかもしれません。文字通り、万歳万歳万々歳!!ですね。

そういえば、拙僧の出家の縁を付けてくださった受業師様もまだご存命中です。この御老師も既に95歳を超えておられますが、自ら観音様の安置堂を作るなど、やはり年齢を感じさせずに、仙台市内にて精力的に活動しておられます。福寿無量、合掌。
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4 コメント

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一日不作一日不食 (僧海)
2005-04-26 19:25:37
作務が重要という概念は,出家者は仕事しないというインド的な伝統の180度転回ですね。ところで現代的な観点からは,寺の外に出て行って行うボランティア活動も重要になるかもしれませんが,どうお考えでしょうか。
ご返答いたします(改稿) (tenjin95)
2005-04-27 06:41:45
> 僧海 さん



東南アジアの「開発僧」を見ても分かる通り、上座部仏教でもボランティア活動に近い行動が出て来ております。そこで、ただ僧院に籠もって自分の悟りを得るための修行だけすれば良いというのは、或る意味で「甘い」と拙僧は思います。



何故ならば、確かに僧院の中から見えるような一面的な世界観で一切を見るならば、それは世の中も静かに見えることでしょう。ですが、果たして世の中はそんなに貧弱なモノでしょうか?むしろ、さまざまな生き方が交錯する市井の中に真実はないんだろうか?などと考えてしまいます。



そこで、ボランティアは市井の中に入り、市井に生きる人々と共に世界に関与するという意味で、非常に評価できると思います。



無論、拙僧もそういったボランティア活動に従事することに吝かではございません。
弔辞 (兼平子)
2005-11-18 18:11:19
この度(十月十九日)母が九六歳で亡くなりました。御詠歌をやっていたせいもあったのでしょうが宮崎奕保禅師から弔辞を戴きました。何と言って良いのか自分の耳を疑いながらも確信を得る事が出来ました テレビで二度拝見した事がありましたので。

親族一同身に余る光栄に感謝と有り難さで一杯です

と共に母の偉大さにも改めて尊敬しているところです。九人兄姉の末っ子の私(五五歳)母の後継ぎ御詠歌を習いたいと思っています

心から哀悼の意を表します。 (tenjin95)
2005-11-18 20:12:24
> 兼平子 さん



そうですか。



ここはお母さまが亡くなられたことによって、またご縁を頂戴したということで、是非御詠歌をされては如何でしょうか。



しかし、禅宗の拙僧が言うのもなんですが、96歳大往生でございましたね。

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