つらつら日暮らし

仏教、禅宗を学ぶ曹洞宗の禅僧によるつらつらなる日暮らし。時事ネタ、野球ネタもあります。

創価学会を回る一連の報道

2016-11-20 10:23:23 | 宗教
実は、最近、産経が創価学会に関する記事をアップしている。まぁ、狙いは公明党なのだとは思うが、その大票田であり、実質的に日本の政治に影響を与えている宗教団体について、メディアが採り上げるのは当然のことだ。むしろ、これまで無さ過ぎた。その記事だが、以下のいくつかが最近の代表的なものだといえようか(なお、産経以外も含む)。

創価学会に何があったのか? 臆測を呼ぶ幹部人事と会則変更 前理事長は「左遷」なのか 次期会長レースは…(産経ニュース・政治デスクノート)

この内容を簡単にまとめると、創価学会内部で池田大作氏の後継者レースを争っていたように見られていた東大閥の谷川佳樹副会長(59)と、創価大閥の正木正明理事長(61)との間で、実質的な決着が付いたのではないか?という話であった。去年11月の人事で、正木氏は理事長を退任し、ほぼ左遷といって良いポストに就いた。よって、谷川氏が今後の同会の中心になっていく可能性が高い、という話である。

拙僧も以前から、この争いには注目していたのだが、結構思い切って舵を切ったなぁ、とは思っていた。今後まだどうなるか分からないけれども、結局は創価学会も人の集まる組織である。こういう人事も含めて、人の心は簡単にはコントロールできない。

なお、去年11月は、会則の変更を行って、会長の任期を5年から4年に短縮するなどしており、人の動きを活発化させようとしているような印象も得る。

それで、これらは1年前の話である。問題は、この前後の同会の動向についてなのだが、実は教義の根本に関わるようなことまで含めて、色々と話が出てきた。

学会遂に大御本尊否定 2014.11.8(創価ニュース)
「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部(師弟不二ARCHIVE・20150129)

これについては、一時期、日蓮正宗の信徒団体の立場であった創価学会は、日蓮正宗の本尊で同宗派の総本山である大石寺に安置されている「板曼荼羅(これは通称)」を、ともに本尊として仰いできたはずなのだが、2014年11月にその立場を転換し、同会が本尊と認めた本尊を以て本尊にするということにした。これでもって一応、日蓮正宗からの完全な決別、彼らの主張でいえば、独立を果たしたことになるようだ。

正直、拙僧のような立場の者からいうと、この点についてはどっちもどっちという話である。そもそも、「板」如きを本尊と考えること自体がナンセンスだと思うし、また、創価学会のように、自分たちで考えて良いというのもどうかとは思う。まぁ、伝統が無い新宗教だから仕方ないといえばそれまでかもしれないが、こうやってその時々で変えてしまえば、結局「伝統」なんて作れっこない。

伝統に依らずして、常に新たな宗教的価値を創造していくというのかもしれないが、行き当たりばったりになりやしないかと、他宗教のことながら、ご同情申し上げる。

「三代会長」の敬称は、「先生」とする…今年も会則を変更 創価学会に何が(産経ニュース・政治デスクノート)

今年の11月のネタがこれである。書いてて思ったが、11月に大きな動きがあるんだな・・・と思っていたら、なるほど、11月18日が創立記念日だという話なのか。それでこの日の前後に、色々なイベントがあって、上記のような動きも出てくるということになる。

それで、今年のネタは、これまで「名誉会長」とか「SGI会長」とか様々な呼ばれ方をされてきた3代会長・池田大作氏を含めて、初代・牧口常三郎氏、2代会長・戸田城聖氏に対して、敬称を「先生」に統一するという話のようだ。これにより、3代目までの会長(「三代会長」という)を特別視し、信仰の対象にしていく、という話にしか思えない。

いっそのこと、「三代会長」をそのまま本尊にでもすれば良いのでは?とか思っているし、そのつもりだろう。この邪推は、「邪」の字が外れるかもしれない・・・とか思っていたら、余りこういう報道では出てこない、もう一つ興味深い指摘も出てきた。

吃驚仰天「創価学会仏」とは(犀の角のように独り歩め)

どうも、色々と調べてみると、以前から度々同会内部では使われてきた言葉のようだが、今年11月になって「創価学会仏」という概念を提示したらしい。これは、今に至っても「(彼らの自称する)正統な仏法」を広宣流布しているのは自分たちだけだから、自分たちの教団は仏意仏勅にかなうため、未来の経典に「創価学会仏」と記載されるだろう、という話らしい・・・

・・・なるほどね(遠い目)

まぁ、この辺は大乗仏教の自由さでもあるから、なんとでもいえるとは思うけれども、でも、ちょっとどうかな?とは思う。せめて、『仏説仏名経』に書いてある名前を選んでおく方が良かったと思うんだけどね。ここでもやっぱり、伝統に依らないんだな、という感じで、どうにも行き当たりばったり感が強い。

それに、「創価学会仏」と「三代会長」はどういう位置付けになるんだろう?「仏」なんだから本尊になり得るわけで、自分たちがそのまま本尊になると仮定すると、「三代会長」は「本尊の本尊」とかいう話になるんだろうか?何か、以前拙ブログで書いた【秘仏秘秘仏秘秘秘仏】とかいう話と重なってきた・・・

ということで、色々と同会も変わろうとしている印象がある。とはいえ、それこそ知り合いの同会ウオッチャーにいわせれば、以前から変貌(変態・変体)を繰り返してきたそうだから、今もその1つなのかもしれない。そりゃ、社会の変貌に合わせるとすれば、変わっていくしかない。ただし、こういうのって、やっぱり末端の信者さんはどう受け止めるのかな?とは思う。先ほどもいったが、人の心や頭脳は、コントロールが難しい。簡単に変わる人もいれば変わらない人もいる。

そういう中で、変わらない人、変われない人の切り捨てになるのではないか?とも思う。でもそういう危惧が事実になると、『法華経』であれだけ、どんな人でも成仏できると説き、大乗仏教の本質にまで至った状況からすれば、明らかな退転になる気もする。或いは、伝統に依らないということは、これまで伝統に依って救われてきた人の切り捨てになってしまうことが、一番問題だ。

この部分は、「死人に口なし」の通り、余り顧みられないところでもある。だが、宗教を団体・組織として長く続けることは、無理や矛盾があっても、これまでの自分たちの教えで救われてきた人に対し、その救済を続けるという責任が発生してくる。その責任について、どう思っているのかな?とは思う。新たな価値創造は結構だが、それだけでは済まない宗教の世界のしきたりもあるのだ。

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