伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

伊豆長岡の史跡をめぐる

2013年01月31日 | ウオーク

1月29日 火  

素晴らしい快晴に恵まれたので、一日かけて富士の冬姿を見ながら伊豆長岡の遺跡めぐりをしようと出掛けた。

期待にたがわず真っ青な空を背に聳え立つ白銀の富士山を堪能することができたが、ウオーキングの方は時間がとれず、長岡歴史遺跡をめぐるだけの遠出になってしまった。

歩く時間がなくなってしまったのは、修善寺の手前にある「伊豆市白岩歴史民俗資料館」に立ち寄ったことによる。

かねてから県道12号線(伊東修善寺線)沿いにある「上白石遺跡」を横目に見ながら通り過ぎていたのだが、この日は朝早くもあったので、当初の予定になかったが遺跡を見ようと近くの資料館の駐車場に車を停めたのがいけなかった?

お義理に資料館の扉を開けたところ、館内の電気さえ点いてない閑散状態で、出てきた係の人から展示品の一つ一つについて長時間の懇切な説明を受ける羽目になってしまったからである。

だが、その説明はとても面白かった。場所からいって大した資料館とは思わなかったが、出土した1万年前の縄文早期の土器、神獣鏡はじめ見るべきものが多く、こんな辺鄙なところが縄文期前期から人間が居住していたことを知った。

「上白石遺跡」は3000年から4000年前の複合遺跡だという。

午前中に予定していた「源氏山」散策の時間がなくなってしまったので、お目当ての「サンバレー富士見」1Fにある中華のレストランで食事した後、源頼朝の配流地「蛭ヶ小島」に行く。

現在は小さいながら公園(「蛭島公園」)として整備されており、園内には頼朝と政子が並び立つ像が作られていた。

「蛭が小島」を見た後、かなり急な坂道を登って「女塚」を見に行く。

配流の頼朝と最初に結ばれ、子までなした伊東祐親の娘八重姫が北条館を訪れ拒まれて投身した後、姫の侍女5人がこの地で自害し果てたところと言い伝えられており、今は「女塚公園」として小奇麗に整備されていた。

最後は「韮山反射炉」。幕末、韮山代官江川太郎左衛門が品川台場の大砲を鋳造するため築いた溶鉱炉。

10数年前は反射炉だけがぽつんと立っていたが、今は広い公園敷地に土産物屋が立ち並び広い駐車場ももうけられていたのには驚いた。時の流れを感じる。

なにはともあれ、この日、狩野川流域の田方平野いたるところからみることになった富士山の威容が感動的!

 

コメント (1)
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