てんがらもん旅の途中  最後まで自分の足で歩いていきたいな

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千羽鶴憎しみこえて大空へ・台風へ刃向かうすべなくひっそりと

2017-08-05 | 日記

8月5日(土)5714歩

温泉近くの小川です。甲突川に注ぎます。

数ケ月まで空き地だった元パチンコ屋さん後に大きな老人施設

がもうすぐ完成です。

台風接近ですが、鹿児島市内は今のところ少し風が強くなっている

程度です。雨戸を入れていると全く感じません。

ここ数日庭の草取りほんの少しずつですが続けています。

あじさいや、明日葉の始末をしたら、大きなごみ袋5つにもなりました。

平和へのメッセージは今日は峠三吉さんの「人間を返せ」

この詩は20歳前に出会いました。下宿の壁に貼っていました。

18歳のころより平和行進に参加して、この詩に出会いました。

平和行進は8月6日・9日の広島長崎に原爆投下された日に向けて

南は沖縄から平和を訴えて行進を続けて、その地域地域で旗を

リレーした長崎ヒロシマへと届けるものです。

私たちは歌で行進する人を励ましともに歩きました。

敗戦から10年後の作られた曲、この歌もよく演奏しました。

あの子【F】
+1954年日本のうたごえ九州演奏曲+

 
作詞
作曲
永井  隆
木野普見雄
 

1: 壁に残った 落書きの
幼い文字の あの子の名
呼んで秘かに耳澄ます
  ■ああ あの子が
  ■生きていたならば

2: 運動会の スピーカー
聞こえる部屋に出してみる
テープ切ったるユニフォーム
  ■ああ あの子が
  ■生きていたならば

3: ついに帰らぬ 面影と
知ってはいても 夕焼けの
(かど)に出てみる 葉鶏頭
  ■ああ あの子が
  ■生きていたならば
 

新おけら歌集(10/11/22)青年歌集4 /楽譜:ビーさん(11/02-13/08)

■この曲は、原爆で1300人の子どもたち、教師が亡くなった長崎・山里小学校の「あの子らの碑」の除幕式(1949年)で発表され、第2の校歌として歌い継がれています。

■「あの子らの碑」は「長崎の鐘」で名高い永井隆博士の発案で発行された、生き残った子どもたちの体験集「原子雲の下に生きて」の印税を使い、昭和24年11月に建立されたもの。

■作曲の木野普見雄は、当時、長崎市議会の事務局長。原爆で家族を失い、自らも被爆。市民の平和意識の向上のため、この曲の他にも「子らのみ魂よ」「平和は長崎から」などを作曲している。
 写真は永井隆が死までの3年あまりの日々を過ごした如己堂と自画像。
 

 この曲も今なお歌い続けています。

1年前のブログです。子育てサロン

http://blog.goo.ne.jp/chidori-t/d/20160805

 

 

 

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8 コメント

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こんばんは (kao)
2017-08-05 22:09:37
平和を返せ人間を返せ・・
悲痛な怒りが伝わってきて
胸が詰まりました・
chidoriさんの美しい文字で書かれると
さらにいっそう真に迫ってきます。
こうした詩に出会うと私の詩が非常に未熟ということが
よくわかります・こうした人の心をうつ詩は
不滅ですね、また滅してはいけませんね。
悲しい歴史 (あさがお)
2017-08-06 08:44:54
72年前の今日広島市に世界で初めて、
核兵器「リトルボーイ」原子爆弾が投下されました。
一瞬にして消えてしまった、街、生命、後遺症に苦しむ人々・・・広島、長崎の原爆記念館も訪れましたが、
あまりの惨さに目を覆うばかりでした。

○人間を返せ
○死んだ女の子
○あの子

どんなに苦しかったことでしょう。本当に胸が詰まります。
世界平和を祈るばかりです。


chidoriさんへ (まりも)
2017-08-06 12:18:17
今朝も TVで広島をやっていましたね
この季節になると 思い出すのですが
本当は 私達の毎日の生活が成り立っているのは
この犠牲が有ればこそなのでしょうね
如己堂に 一度だけ行ったことが有ります
市内 他を色々観光しましたが
ここが一番 心に残り
帰ってから 永井博士の本を読んだりしました
平和の有り難さを痛感しますね

台風 気を付けて下さいね
kaoさんへ (chidori)
2017-08-06 13:05:07
自分の思いを素直に伝えられる。やさしいようで難しい。

kaoさんは実に自然にそれができていますね。

詩もそういう心の在りようで生まれると思います。

悲惨な原爆を身を持って体験した、その人しか書けな

い言葉。心に突き刺さります。

私は戦前派でも戦後派でもない、まさにその両方を

体験してきた。でも 終戦が6歳では、一番大変な時

代を伝えられません。せめてその後の体験や周りか

ら耳にしたこと、それが私の人生を決めてくれた。

これからはもっと自分にしか伝えられないことを伝え

ていきたいと思います。


あさがおさん (chidori)
2017-08-06 13:30:01
私の中にはたくさんの8月があふれています。

私の生き方の原点。18歳のころ歌のサークルの仲間

たちと歩いた暑い暑い夏。東京から沖縄にわたりリレー

機をもって歩いている女性・・確かカメラマンだったかな?

顔は真っ黒に焼けて…それでも笑顔を絶やさず歩き

続けている。

うたごえの仲間と広島や長崎の原水禁大会にも何度

参加したことでしょう。

「死んだ女の子」あちこち訪問して歌いました。

広島の文化祭典では、あの池辺晋一朗の指揮で

組曲を全国の仲間数百人と演奏しました。

鹿児島から広島へ嫁いだ仲間の家で10数人で雑魚寝。

ありゃぁ、またまたおしゃべりで長くなりました。

あさがおさんのコメントうれしくてね。

台風まだ気配ありません。13時30分です。
まりもさん (chidori)
2017-08-06 13:44:31
如己堂に行かれたことがあるのですね。

私も3回・・中には入りませんが前で見学しました。

「あの子が生きて居れば」の著書も残されています。

「こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ」

有名なこの歌も永井博士の…とは案外知らない人もいるのでしょうね。

せめてこの8月だけでも平和について考え、思いを語り合いたいと思います。

コメントありがとうございました。荷ほどきの方も大変でしょうね。ぼちぼち行きましょう。
こんにちは! (korosuke)
2017-08-06 14:10:07
他人事では、無いのですが、台風は、大丈夫ですか!
koosukeさん (chidori)
2017-08-06 22:12:17
ありがとうっございます。予報があまりに「50年ぶりの」

とでたので準備万端でしたが、離島はかなり激しい雨風

だったようですが、死者まで出ています。お気の毒です。

市内は交通機関も一切止まって用心したのに、どこか

の看板が落ちたというニュースだけでした。

ご心配いただきありがとうございました。

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