サステイナ

自然や地球の生態システムに興味がある筆者の仕事、趣味、生活の備忘録。
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西表の自然と文化

2006-02-08 00:54:29 | 自然・生物多様性
昨日は、当社のボランティア団体が主催の勉強会があった。講師は、石垣金星さん。沖縄の西表島で伝統文化の伝承と自然保護に取り組む元気の良い70歳だ。かれの心意気と三線の音色を満喫した楽しい夜だった。

芭蕉布に織り込まれる魂
当社の行動に集まった約50人のメンバーを前に現れた金星さんは、小柄で彫の深い老人だった。まず彼らの生活をドキュメンタリーでまとめたVTRを見る。
彼とその奥様は、共に八重山に生まれ、島が嫌で東京に留学(当時はパスポートとビザが必要だったらしい)した経験を持つ。しかし東京に来て初めて、島の暮らし、文化、自然の素晴らしさを実感したという。
彼の奥様は島で一度は、すたれた芭蕉布の織物を復活し、本土から来たお弟子さんと共に昔ながらの製法で作っている。彼らは芭蕉を栽培するところから始まり、染めるための染料も自分たちで育てている。育てられないものだけ、山にとりに行くのだという。芭蕉の茎から繊維をとるとき、「芭蕉のマブヤー(魂)を活かしきることが大切だ」「大地の恵みに感謝しないと・・・」気の遠くなるような地道な作業をしながら彼女はマブヤーという言葉を何度も発した。すべての物は魂があり、生きているという。染料の藍も毎年同じように作るのだが、一度として同じ色になったことはないという。色にその年年の何かが影響しているのだ。それは気温や分量・・そんなものではなく、彼女は「影」が違うという。「影」って何だろう?
今日の講師である夫の金星さんが山に染料の原料を取りに行く。木を切る前に神に感謝の祈りをささげる。行っては行けないところ、時期、取ってはいけないもの、時期など様々な決まりがあって、上手く循環している。全部取ってしまうと、後々使えなくなるからだ。昔の人の生活は何一つ無駄なものはなく、合理的で、且つ理にかなっているという。昔の人は、自然保護と言うより、自分たちの生活の持続性に自然が大きく関わってきたのだと改めて実感した。「空も地も、木も、生き物も、我々人も、全てのものにマブヤーがあり、みんな繋がっている」

西表の自然と文化
VTRの後、金星さんのお話がはじまる。小柄な金星さんは白髪白髭、眼光鋭いが微笑むとこの上なく人懐っこい眼に変わる魅力的なおじいさんだ。彼は時々三線(サンシン)を取り出し、島歌を歌いながらプレゼンテーションを行なう。こんなの初めてだ・・・



彼は、西表の自然の素晴らしさと厳しさを語ってくれた。カンムリ鷲のお話は面白かった。人々がマヤダンと言って大切にする西表島の生態系の頂点にいるその鷲は体長50cmくらい。いつも田圃の近くの木や電柱に泊って、一日中じっとしているとのことだ。彼らの食料はねずみ、ハブ・・・ともに農作業には邪魔になる生き物を食べてくれるのでありがたい存在なのだ。田圃の守り神と呼ばれる所以だ。日柄電信柱の上にいる彼らと金星さんはよく目が合うという。「お前、何をあくせく働いているんだ?」そう言いたげにこっちをみているらしい。のどかだ! 一方自然は厳しく、いまだに山に入って遭難する人が耐えないと言う。ひと足山に踏み入れると、蛭、蚊、ハブなど危ない生き物がいっぱいいるそうだ。逆に彼らがいるから自然は護られている。自然は優しく、厳しい。我々人間は、如何に自然と折り合って生きていくのか?これからの僕たちの課題をそのまま聞いたような気がした。
その後金星さんの村の話を聞いた。総勢で200人、秋の己亥の日には村中総出でお祭りを行なうという。村人全員に役割があり、神様を海に迎えに行くというその行事は、勇壮かつ幻想的だ。きちんと正装した男女が神前に並ぶ姿はこちらの気持ちまで神妙にさせてしまう。神や自然に対する畏怖と感謝。僕らが忘れてしまった大切なものを彼らは今も大事にしている。
金星さんはこの祭りの進行にそって、三線を取り出し、歌を歌う。哀愁の中に力強さがあり、決して美声とは言えない金星さんの声だが、みんなの心に染み渡る感じだ。西表では歌は生活の一部であり、三線欠かせない存在なのだ。しかし一部の歌の時には三線を使わないことに気付いた。聞くと、「古謡」と言われる神様への祈願の歌の際は、三線は使わないそうだ。胡坐をかいて手拍子も打たない。神聖な気持ちの表れだと言う。三線は基本的に喜びの歌とのこと。種まきの時に、また米の成長を願って歌を聞かせる。
これらの行事は村中総出で行なわれる。歌と酒、踊りが欠かせない。かれらは、僕らが忘れかけているかつこれから必要だと考えるコミュニティの大切さを教えてくれた。


リゾート開発とエコツーリズム
この穏やかな村にも大規模リゾートが昨年進出した。その場所は地元の人が神様の遊び場として大切にしていた場所であった。一年ですっかり荒れ果てた浜辺を見て、胸が痛んだ。

「試されているようなきがします。」彼の奥さんはそういった。神様が人間を試しているのか、人はどこまで愚かなのか?彼らは言う、結局元の状態に戻る。それまでは祈り続けるしかない。そこは神聖な場所、神様の遊び場、儲けを考えてはいけないところなのだ。彼らは何を祈っているのか?早く元の状態にもどるよう、開発をした人たちに天罰が落ちないように祈ると言う。

今彼らはエコツーリズムを通じて、島を活性化しようとしている。本当の自然の豊かさや島の文化、島の人たちが如何に西表と共生してきたのかを知ってもらうことで、訪問者には自然を大切にする心、自然との共生が如何に効率的かつ持続的なのかを理解して欲しいという。これらの活動は一歩ずつだが効果を挙げているという。島に来て、島の人たちにすっかり見せられた学生が、ある旅行社に就職し、地元と一体となったエコツアーを企画しているという。もちろん過大もたくさんある。でも金星さんの暖かく強いまなざしと、彼らの薫陶を受けた若い人がいる限りきっと上手くいくだろう。

2時間の講演のあと有志9人で居酒屋に行った。行動で彼の話を聞いている限りは、島と共に生きる逞しい海人と言う印象が強かったが、こうして居酒屋の片隅で話を聞くうちに、彼の苦悩を深く知ることになる。「あそこの開発は既に三度失敗している。その度にコンクリートの塊だけが増え、大切なものが無くなっていく」。彼は先頭に立って、訴訟も起こし、各NPOと連携して反対運動も行なっている。でも、拉致があかない現状に多少いらだちも見せる。本当に祈るしかないのだろうか?僕らが出来ることはないのだろうか?
また、エコツーリズムと島の自然、文化の保全も難しい課題であることを語った。多くの人に島の素晴らしさを知って欲しいが、たくさん来ることで自然が壊れてしまう。ランカウイと同じ問題が西表にもある。
彼の話は決して愚痴でもなく、怒りでもなく、静かに淡々と語る。何か言いたいが言葉が見つからない。今自分に何ができるのだろう?みな程よく酔っ払う。居酒屋の片隅で、金星さんの話と三線を聞きながら、癒されていく自分を感じていた。


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1 コメント

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もう見られてないでしょうか? (neko)
2014-01-24 09:36:14
見れば、最後が2006年・・・
ボノボで調べてたら、こちらのブログに辿り着きました。

西表島の祭りに一昨年行って来ましたので、こちらの記事にも共感します。
これから、他の記事も読ませて戴きますね