Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

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9月14日~9月25日 フランス・ProvenceからLyonまでレンタカーの旅 14/09-25/09 Travel from Provence to Lyon by the rental car.

2017-09-24 | 旅行

天空の村Chateau des Beaux-de-Provence

 

9月17日(日)船の後片づけや複数のリペアショップに修理の相見積を依頼するなどの後処理が終わり、プロバンスの小旅行に出かけた。Provenceは海沿いこそフラットなローヌデルタが広がっているが、少し内陸に入ると起伏に富んだ地形になっている。Les Plus Beaux Villages de France (フランスで最も美しい村)に認定された村落が沢山あるのもこのエリアだ。そのひとつ、Chateau des Beaux-de-Provenceに出かけた。そそり立つ石灰岩の山肌が見える道路に車を止めて階段を上っていくと、そこは車も通れない狭い坂道にひしめき合うような街並みがあった。

その町並から更に登っていくと、山のてっぺんに15世紀に造られたという広い城塞が残っていた。城塞からは北側に美しい集落、南側はプロバンス平原の素晴らしい景色が広がる心地良い場所だ。

ゴッホの絵で有名な町Arleと中世の面影を残すAvignon

9月18日(月)てまりの修理を依頼する業者との打ち合わせも終わり、Port Napoleonを後にする。最初に立ち寄ったのが、ローマ時代の遺跡が残るArle

そして半分だけ橋脚が残された橋で有名なAvignonは城壁に囲まれた旧市街が魅力の町。ともにローヌ川沿いにあり、てまりで訪れる予定だったところだ。両方とも小さな町だがProvenceで人気の観光地のためにぎわっていた。

その二つの町を経て午後4時前、今日の宿泊地Orangeに到着した。

ローマ時代の巨大劇場が残るOrange

小さな田舎町という風情のOrangeには世界遺産の歴史的建造物がある。ローマ時代に造られた高さ40m近い構造の円形劇場がそれだ。ローマ帝国滅亡後かなり破壊されたようだが、一万人が収容できるというその劇場は、現在でもコンサートや演劇が上演され現役として利用されている。

オーベルジュでの夕食はスーパーで買った惣菜

9月20日(水)今日の宿泊はプロバンスの田舎にあるオーベルジュ。もちろん美味しい食事を期待して選んだのだが、なんとこの日は夕食が出せないというメールが宿から届いた。予約をしたネットサイトをもう一度確認すると、たしかにページの下の方に書いてあった。予約した宿は、ど田舎の一軒宿で、一番近いレストランまで18㎞も車で走らないといけない。安いところを探して返金不可の宿を選んでしまったためキャンセルできず、仕方なくスーパーに立ち寄って惣菜を買って行った。宿の方でも気を使って、電子レンジや食器・ワイングラスなどを部屋に用意してくれていたので助かったが、オーベルジュで出来合いの夕食を摂ることになるとは・・・とんだ失敗をしてしまった。

プロバンスの田舎道のドライブを楽しんで、巡礼の町へ

ヨーロッパは大都市を除いて渋滞も少なく車の運転がまことに楽しい。フランスは普通の道路でも速度制限は90㎞か70㎞、高速道路は130㎞だ。何よりもうれしいのは信号が少ないこと。交通量の多い町に入らない限り信号は無く、ほとんどの交差点はRound About(ロータリー)になっている。Round Aboutは頻繁にあるが、慣れてしまえば停車することなく通過できるので信号待ちのイライラが無い。起伏に富んだプロバンスの田舎道を、旧いたたずまいの小さな村を通りながらのドライブは快適だ。

断崖絶壁の上に建つ城塞跡

途中、「フランスの最も美しい村」の1つ、ARLEMPDESを訪ねた。この村のシンボルはそそり立つ絶壁の上にあるシャトー。15世紀に建てられたというシャトーは天然の要塞として17世紀までその地の領主によって活用されていたという。このような断崖の上に構築された城塞はプロバンスだけでもいくつも見ることができる。

9月21日(木)今日の宿泊地は、プロバンス北部にあるLes Puy-en Velay。中世の頃は、スペインのガルシア地方にあるキリスト教3大聖地の1つ、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼の出発地として栄えた町で、今でもこの町の大聖堂からピレネー山脈を越える過酷な巡礼の旅をする人たちが数多くいるという。同じレンガ屋根で統一された旧い家並みが美しい、巡礼者を迎えるにふさわしい落ち着いたたたずまいの町だ。この町にも切り立った山のてっぺんに造られた城塞が残っていた。

ローヌアルプスの中心都市LYON

9月22日(金)巡礼の町Les Puy-en-Velayを後にLYONに午後3時過ぎに到着。レンタカーを返し、フランス滞在最後の3日間を過ごすアパートメントホテルにチェックインした。

LYONはフランス第二の都市だが、町の大きさは銀座を中心に東京駅から新橋あたりまでの感じ。ソーヌ川とローヌ川にはさまれた新市街と、ソーヌ川西岸にある旧市街は十分に歩いて回れる大きさだ。ローマ時代から繁栄したというLyonはDijon同様美食の町と言われ、市が認定したローカル料理を安く提供するレストラン、Bouchons Lyonnaisをはじめとして数千件ものレストランがあるという。世界文化遺産に指定され、レストランやカフェが立ち並ぶ旧市街はいつも観光客でごった返している。

リヨンの人たちのお腹を満足させるため、ほぼ毎日オープンするマーケットが町のあちこちに開かれる。その一つをのぞいてみたが、やはり美食の町と言われるだけあって、惣菜から肉・魚貝類・チーズなどバラエティー豊かな食材が並んでいる。マーケットを見るとその町のグルメ度がわかる。

丘の上に建つノートルダム寺院の庭からはLyon市内が一望できる。フランス第二の都市なのに、高層ビルは2棟しか見当たらず美しい街並みが広がっている。Lyonに3日間滞在したがとても魅力的な町だった。

いよいよ明日夜の飛行機で4か月ぶりに帰国する。アクシデントもあって、すべてが順調だったわけではないが、7年目のてまりクルーズの旅が終わろうとしている。

その他の写真は、こちらからごらんいただけます。

てまりブログも今年はこれで終了となります。ご愛読ありがとうございました。

 

 

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8月31日~9月14日 ヨットてまり陸上を地中海へ 31/08 - 14/09 TEMARI run down on land to Mediterranean sea

2017-09-14 | 旅行

8月31日(金)、早いものでDeluzに来て2週間近くが過ぎた。お店が一軒もない過疎集落で時間を持て余していたため、陸送会社に再三電話やメールで催促した結果、ようやくトラックが来る日が9月9日(土)と決まった。これで今後の予定を組むことができる。

9月に入ると突然夏が終わり秋に変わった

9月2日(日) 一昨日夕方、雷とともに猛烈な雨が降り、その雨を境に突然夏が終わり秋になった。8月末まで最高気温が30℃を越える日が続き、午後はその暑さに参っていたが、今日は最高気温20℃、最低気温8度前後で朝晩は寒さに震えるぐらいだ。周囲の山は紅葉が始まっており、天気予報でもこれからは30℃越えの暑さはなさそう。あまりに急激な気温の変化に体がついて行けない。

美食の町Dijon

9月6日(水)昨日Deluzから1時間半ほど電車を乗り継いでDijonにきた。中世の頃、ブルゴーニュ公国の首都として繁栄したDijon、。現在は美食とワイン、そしてMailleに代表されるマスタードの町として人気の観光スポットとなっている美しい町だ。

マスタードやワインの専門店が多く並び、随所に中世の面影を残す町Dijonは徒歩で散策するのに程よい大きさだ。ブルゴーニュワインはボルドーワインと比較して、絶対的に生産量が少ないこともあり値段が高い。Gevrey-Chambertin, Vosne-Romanee, Pommardなど村の名前が冠される赤ワインは安くても一本数千円から高いものは数万円もするが、レストランではワインショップで買う値段の2割増し程度の破格の値段で提供されていてうれしくなる。

500年以上前の家が今でも使われているのに驚く

町を歩いていて、土産物とカフェを営業しているかなり旧い家を見つけた。店の主人に、この家はいつごろ建てられたのかと聞くと、良く聞いてくれたとばかりに、にやりと笑いながら、「コロンブスがアメリカ大陸を発見する9年前だよ」と言う返事が返ってきた。ということは、今から530年程前の1483年ということになる。当然何度も改修されているだろうが、中に入ってみると、柱や天井の梁などは初期の設計どおりのようだ。肉屋だったらしい中世当時の家が描かれた絵が飾られたカフェでコーヒーを飲みながら過ごしたひと時は、中世にタイムスリップしたようで心が癒された。

レンタカーでDeluzに戻る

9月7日(木)Dijonに2泊し美味しいワインと食事を堪能した後電車に2時間ほど揺られてレンタカーを借りるためLyonに行く。てまりを置く予定のPort Napoleonとパリ・シャルルドゴール空港のほぼ中間に位置するLyonは帰国の事を考えると丁度良い場所なのだ。

てまりトラックで地中海に向かう

9月9日(土)昨日になって、てまりをトラックに積み込む予定の場所が村のイベントで使えないことがわかり、日程を変えるか場所を変えるかですったもんだのやり取りがあったが、最終的に3㎞ほど先の川沿いの駐車場でクレーン車から直接トラックに積み込むことで決着がついた。そこに行くにはロックを通らなければならない。ロックを操作するリモコンは既に返却してしまったため、Fannyに連絡して持ってきてもらった。

最後までロックの故障に悩まされる

朝8時のロックオープンに合わせて、3週間滞在したDeluzを出航、ゆっくりと慎重に船を進めた。

ダブルになっているロックはすぐに開き、すんなりと通過できると思ったら、二つ目のロックの扉が開かない。すぐに緊急電話でVNFを呼ぶが、今日は土曜日のためスタッフの数が少ないらしく中々人が来てくれない。またまたFannyにも電話をして待つこと1時間。彼女が来てロックの扉を開けてくれた。結局最後までFannyの世話になってしまったが、フランス行政機関の対応の悪さにはあきれてしまう。

ロックから1㎞ほど下るとそこに巨大なクレーン車とトラックが待機していた。心配していたトラブルも無く、2時間ほどで無事てまりをトラックに積み込むことができた。これでようやく終わった。我々はレンタカーでフランスの旅を楽しみながらPort Napoleonに向かう。

絵本から抜け出したような町Annecy

てまりを無事トラックに積み込むのを見届けた後、レンタカーで午前11時半過ぎDeluzを出発、Annecyへ向かう。途中国境を越えてスイスの町Lausanne, Geneveを通り、Annecyには午後3時過ぎに到着した。周囲を山に囲まれたAnnecyはパラグライダー発祥の地と言われている。有数の透明度を誇るアヌシー湖から流れ出た川が町の中を流れる、絵のように美しい町だ。

9月10日(土)アヌシー湖の遊覧船に乗った。芦ノ湖を少し大きくした程度の湖だが周囲の景色はヨーロッパアルプスそのもの。空を見上げると、雲の間に何機ものパラグライダーが見えた。

てまりの待つPort Napoleonに到着

9月12日(月)、昨日はRhone川沿いにある美食の町Valenceに一泊し午前10時過ぎに出発したが、途中高速道路の渋滞に巻き込まれ2時間近くをロス、午後3時過ぎPort Saint LouisにあるPort Napoleonに到着した。このあたりはローヌデルタと呼ばれる広大なエリアで、Rhone川西岸はカマログ湿原と呼ばれる大湿原が広がる。東岸は大小様々な湖沼があるが乾燥したフラットな土地で、工場や倉庫、海と陸の貨物輸送の巨大なターミナルなどが殺伐とした中に設置されている。

てまりの係留契約をしたPort Napoleonはそのはずれにあるマリーナで、巨大な陸置き場は500艇近い大型ヨットが置けるが、周辺はまったく何もない場所だ。広大なマリーナの一角にてまりは無事到着していた。

 

9月14日(水)我々が借りたアパートメントホテルはSaint Mitre Les Rempartsという町の高台にあり、部屋からはベール湖が眺められる素敵なところだが、マリーナからは35㎞も離れているため、毎日片道40分のドライブを強いられる。3日目の今日は午前中、保険会社の調査員と、マリーナにあるリペアショップのスタッフを交えて事故の詳細報告と、別便で届くマストのセッティングや今後の修理に関する打ち合わせを行った。9月25日の帰国便まで、残る日々は船の後片付けなどをしてLYONまで南仏の旅を楽しむ予定だ。その他の写真はこちらからご覧いただけます。

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8月20日~8月30日 ヨーロッパ運河の旅 フランス北部Franche-Comteを行く

2017-08-30 | 旅行

今年のクルージングは、フランス中部Deluzで終了

前回のブログでお伝えした通り、座礁によるラダーの破損事故のあとBaume-les-Damesに戻り、ステアリングが使えるように応急補修をして、8月18日修理工場のあるDeluzになんとかたどり着き、それ以降今後どうするかという方針を検討してきた。ここでラダーが修理可能であればそれが一番良いのだが、時間がかかることと、きちんと直せるかどうかという不安もある。最終手段として船をトラックで目的地、Port Napoleonまで陸路輸送するという方向で業者を探し、見積もりや日程を確認する日々が続いた。結論が出たのは8月22日(火)。地元の修理業者からは、8月は忙しいが9月になれば修理ができると言われた。それでは遅すぎる。仮に修理しても再度Port Napoleonで完全に修理する必要がある。一方トラックは、ドイツ・Flensburgに置いてきたマストの運送契約をした会社から、値段もスケジュールも満足できるものが提示されたため、その会社に依頼して船はマストと共に地中海まで運んでもらうことに決めた。

271ロックを通過し2,000㎞を超えた運河の旅が終わった

6月12日にバルト海のドイツ・Lubeckから運河に入り、ドイツを横断しオランダ・ベルギー・フランスの川と運河を上ったり下ったりしながらスイスBaselまで行き、ここフランス中部のDeluzまで271ものロックを超え2,010kmを走ってきた。ローヌ川を下り地中海に出るまで残すところ650㎞。残念ながら目的地までもう少しのところで運河の旅は終わることになってしまったが、それなりの達成感は持つことができた。

自転車で隣村まで買い出し

船を係留しているDeluzは船の整備工場以外まったく何もない過疎集落だ。マリーナの前にある大きな廃屋は1977年に発生した経済危機のためつぶれた製紙工場跡。稼働中は500人以上が働いていたそうで、そのためかこんな過疎の村にも国鉄の駅がある。しかし、フランス人にとって欠かせないパン屋も今は営業しておらず、お店が一軒もない。我々は船を陸送すると決めて以降、できるだけ残っている食料品を使い切るようにしているが、どうしてもパンや生鮮食料品の補充が必要になる。

8月23日、自転車で6kmほど先の隣村Novillarsまで行き、小さなお店でパンとヨーグルトを調達した。運河沿いの道を自転車で走りながら、本来はここをとっくに船で通過したはずなのに・・・という思いが湧きあがってくるが、仕方がない。すべて自分たちの責任なのだから。それにしてもフランスの運河や河川の整備の悪さは他国に比べてひどい。せめて浅瀬注意の標識が立っていたら、と思うと悔しさと共に怒りが込み上げてくる。

Doubs川に囲まれた要塞都市Besancon

8月24日(木)、気晴らしに電車で15分ほどのBesanconに遊びに行く。新市街にある駅から、大きく蛇行するDoubs川の内側、蛇の鎌首の部分に造られたBesanconの旧市街を抜け、階段と坂道を登るとそこは市街地とDoubs川をすべて見渡せる堅牢な城塞だった。人口12万人ほどという小さな町だが、しばらく何もない田舎で過ごしてきた我々の目から見ると大都会に見えた。

自転車も一緒に乗れる国鉄

Besanconまで電車で行ったとき、自転車も一緒に載せる人たちがいるのに驚いた。

8月26日(土)そろそろ買い出しが必要となったため、自転車で大きなスーパーのあるBaume-les-Dames まで13kmほどDoubs川沿いに戻り、買い物に出かけた。往路は1時間10分の道のりだが、帰りは電車で10分ちょっと。まことに便利なシステムだ。

Doubs川で獲れた魚をもらう

8月28日(月)、てまりのすぐそばに停泊し、犬と共に船で生活している男性から、川に仕掛けた網で獲れたばかりの魚をプレゼントされた。フナのような魚で、唐揚げにして食べてみると、身は柔らかいが泥臭さはなく結構いけた。

ブルゴーニュ地方の入口の町Dole

8月29日(火)、電車でDoleに遊びに行く。Besanconで電車を乗り換えて30分ほどだが、そこは既にワインで有名なBourgogne地方の入口だ。Doubs川沿いに広がる小さな町だが、こんなところにも日本料理店があるのにびっくりする。

船を運ぶトラックのスケジュールがまだ来ないため、何もないDeluzから身動きができずイライラする日々が続く。今日明日には連絡が来る予定なのだが・・・・。

その他の写真はこちらからご覧いただけます。

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8月9日~8月19日 ヨーロッパ運河の旅 フランス・AlsaceからFranche-Comteへ・・・・これが運河クルーズ最後の旅となるかも

2017-08-20 | 旅行

8月9日(水)、夕方Montreux-ChateauからMontbeliardまで一緒に走ってきたCalistaに招かれてワインをごちそうになる。ご主人のFelixは世界各国で自身の考案した緑化技術の特許を持つエンジニアで、奥さんLadinaはFelixの仕事のマネージメントをしながら小説も書くという多彩な二人。日本と仕事の上でかなり深いつながりがあったようで大の日本びいき。80歳になるFelixとそれに近いLadinaはいまだに仕事を続けるかたわら夏は船に乗り、春秋はシャモニーの別荘で過ごす多忙な毎日を過ごしているという。二人とも元気いっぱいで、そうしたアグレッシブな生き方が若さを保つ秘訣なのだろう。

プジョーミュージアムを見学

日本では車よりペッパーミルやコーヒーグラインダーの方が有名かもしれないPeugeot(プジョー)はフランスの三大自動車メーカーのひとつで、ヨーロッパでは人気のある車だ。そのプジョーという会社が誕生したのが、現在でも工場があるここMontbeliardで、その一部が博物館となっている。19世紀前半、工具やミシン、コーヒーグラインダーなどを製造する会社として誕生したPeugeotはその後オートバイや自転車などを経てフランスの三大自動車メーカーのひとつとなる大企業に発展した。その初期から今日まで造られた製品の数々が展示された博物館はとても興味深く見学できた。

Montbeliardを出航後L'Isle Sur le Doubsで1泊したのち昨日Baume-les-Damesに到着。

フランスでもプレミアムのコンテチーズ生産地を行く

このあたりはFranche-Comteというエリア。ここで一切合成飼料を使わずに飼育されたモンベリアード牛の乳のみによって作られるコンテチーズは特に美味しいという評判だ。山に囲まれた牧草地帯の中を走っていると、牛のカウベルが聞こえてくる、まことにのんびりとした雰囲気だ。しかし、そこに思わぬ落とし穴が待っていた。

てまり座礁、まさかの大きなダメージ

8月13日(日) Besanconを目指して午前8時に出発した。Donnemarierを起点にCanal Rhone au RhinはDoubs川を利用して作られており、川本流と狭い運河を出たり入ったりしながら下っていく。

事故が発生したのは午前9時過ぎ、最初のロックを通過後Doubs川本流に入って2㎞ほど行ったところだった。標識に右岸から15m以上離れて通過するように指定されていたため、川のやや左岸よりを通っていたところ、突然ガツンと舵が何かに当たり船が止まった。水深計は2mほどの深さを示していたため、周囲をチェックせずそのままエンジンの回転を上げて乗り切ろうとしたがダメ。船の周囲をよく見ると砂利の川底がすぐそこに見えた。慌ててバックで出ようとフルスロットでエンジンを回す。徐々に下がり始めた途端、大きな音がしてステアリングが効かなくなった。

調べてみると、ステアリングとラダーを繋ぐジョイント金具がボルトの部分で破断し二つに割れていた。船は完全に浅瀬に乗り上げてしまっており、バックしようとして舵に大きな負担がかかった結果だった。近くで見ていた釣り人がVNF(フランスの運河やロックを管理する行政機構)に電話をかけて救援の要請をしてくれた。

10分ほどすると、VNFのスタッフ、警察官、そしてダイバーと総勢15名ほどが車で駆けつけてきた。結局船は川沿いに停めたレッカー車からロープで引き出すことになった。前方は完全な浅瀬のため船は後ろに引っ張るしかない。しかし、舵はジョイント金具が壊れたように、既に砂利の中に埋まっている。船が傷ついても良いから後ろではなく船の横から引っ張ってくれと頼んだが、そこは浅すぎて無理だという。昼近くになってレッカーで引き始める。案の定、舵は砂利を噛むガリガリという音を立てる。20分ほどかけてようやく脱出。

なんとか舵は動くが、ステアリングが使えないため、応急のティラー(梶棒)をセットして1㎞ほど下流のポンツーンまで移動、舵が異常に重たい。上からのぞくと予想通り舵は接合部分から大きく曲がってしまっていた。

今日の目的地まではまだ5つのロックがあるため、そこに行くのは危険と判断、出発地Baume-les-DamesにUターン、応急の舵を必死に操作しながら午後3時半、なんとかたどり着くことができた。

運河化されているところは狭いが危険なところはほとんどない。一方自然の川は何処に危険が潜んでいるのかわからない恐ろしさを改めて認識した。

ジョイント金具は修理したものの、舵の曲りは直せるかどうか・・・・・

てまりを引き出してくれたレッカー車を運用しているNicorasは親切で顔が広く、てまりのトラブルをなんとかしようと色々なところに電話をしてくれた。その結果18㎞ほど先のDeluzまで行けば船を上架して舵の修理ができるかもしれないと言われ、なんとかそこまでたどり着くために、ステアリングのジョイント金具の応急修理を彼に依頼した。

8月18日(金)、週前半がフランスの祭日を挟んだ飛び石連休だったため、ジョイント金具ができあがるまで4日も待たされたが、今朝Baume-les-Damesをようやく出航、18㎞先のDeluzに向かう。大きく曲がったラダー(舵)の抵抗のため船は右へ右へ行こうとし、それをコントロールするステアリングはめちゃくちゃに重たい。3時間ほどでなんとか6つのロックを超えて午前中無事Deluzに到着。あらかじめ連絡してあったため、リペアアショップのClaudeが待っていてくれた。午後スロープを利用して舵の部分だけを水面に出してチェックすると、可動式舵のジョイント部分から予想以上に大きく曲がっている。 

Claudeはそれを見て、修理をやってみても良いがアルミニウムでこれだけ曲がってしまうと、元に戻すと恐らく割れてしまうよ。なんとかそのまま走れないか?と言われた。しかし、今日わずか20㎞弱を走るのにどれだけ大変だったかを考えると、地中海まで残り650㎞を走るのは危険が大きすぎる。壊れるリスクを覚悟して修理をしてもらうか、そのまま何もせずにトラックで船を運ぶか・・・・。今日は金曜日のため、いずれにしろ結論は月曜日まで待つしかない。

VNFのスタッフFannyの家に招かれる

船が座礁する前にロックで知り合ったVNFの女性スタッフFannyが座礁の時も応援に駆け付けてくれた。その後も何度か船に立ち寄って、何か困ったことがあったらいつでも連絡をくれと言ってくれた。そして今日彼女にSMSで、航海はここDeluzで中止しトラックで運ぶかもしれないと伝えるとすぐに電話が来て、今日迎えに行くから家に遊びに来いと誘ってくれた。

夜8時過ぎ、残業で遅くなった帰り道Deluzまで来て我々をピックアップし家に向かう。

Verneという小さな村にあるFannyの家にはボーイフレンドのCyrilが待っていて、4人で遅い夕食を食べながら色々な話に花が咲いた。地獄で仏に出会ったとは、まさにこのことだ。

久しぶりに普通のベッドで寝て、翌日はFannyとCyrilの案内でDoubs川を見下ろす景色の良い場所やきれいな湧水のある場所などを案内してくれた。山の上から見下ろす景色はまさに渓谷そのもの。先日てまりが座礁した場所も上から眺めている限り、ゆったりと流れる美しい川でしかない。我々ははるばる海からこんな山奥まで,良くヨットで走ってきたものだと感慨に耽る。それも、Fanny達が管理する無数のロックのお蔭だ。この後地中海まで行けるかどうかは舵の修理次第だが、仮にここで運河の旅が終わってしまっても良いような気がした。

その他の写真はこちらからご覧いただけます。

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7月30日~8月9日 ヨーロッパ運河クルーズ ライン川からスイスの町Baselへ

2017-08-10 | 旅行

狭く浅い運河を抜け、再びライン川に

7月30日(日)ドイツとフランスが程よくカルチャーミックスされた素敵な町Strasbourgを出航、Canal du Rhone au Rhine(Nord) を上る。この運河はライン川と平行して走っておりどちらを通るか迷ったが、交通量も多く流れもあるライン川を避けてこちらのルートを選択した。運河の幅は狭く浅い。水深は1.5mほどしかない場所もあったが、交通量が少ないため問題なく通行できた。

7月31日(月)、Boofzheimの小さなマリーナに一泊したあと再びRhine川に出た。6月28日Rhine川の下流域を下りオランダでMAAS川へ入ったあとベルギー・フランスの川や運河を経て一ヶ月ぶりにライン川上流域に戻ってきた。この辺りは運河化されてはいるが、時速3-4㎞ぐらいの流れがある。ロックは大きな貨物船や観光船が通るため巨大だ。フランスの狭くて小さなロックになじんでしまったため、あまりの違いに戸惑ってしまう。

ライン川はドイツとフランスの国境線

ライン川を挟んで東側がドイツ、西側がフランスとなっており、今日の停泊地Breisachのマリーナは東岸ドイツにある。マリーナと言っても川沿いに簡単に作られた桟橋のため、川の流れをもろに受ける。地元の船から、舫いは長めにとった方が良いよとアドバイスされた。近くを大きな船が通るたびに海に居るように大きく船が揺れるため、ショックアブソーバーとして舫いを長めにしておかないと危険なのだ。

13時間近くかかり、スイス・バーゼルに到着

8月2日(水) Baselまで約60㎞、4つのロックを通過し流れのあるライン川を遡上せねばならないため、Breisachを午前6時半過ぎに出航する。24時間運用されているライン川のロックは大型船優先なので、てまりのような小さなプレジャーボートは大型船が来るまでロック手前で待たされる。これが想定外に時間がかかった。スイスに近いというのに異常に暑い中、最長1時間半待たされ、たった4つのロックを超えるのに要した時間は5時間40分。流れに逆らって遡上する船のスピードは時速8キロ程度しか出ないため時間は容赦なく過ぎていく。

Baselに到着したのは午後7時を回っていた。あらかじめ最後のロック通過時に、到着予定時間をマリーナに電話しておいたため、桟橋ではマリーナを管理するマダムが待っていてくれた。熱いシャワーを浴びた後飲んだビールの味は格別だった。

国境の町バーゼル

まさかヨットでスイスまで来るとは思ってもみなかったが、我々はどうしてもここに来る必要があった。てまりのようなEU圏外の登録艇はEU内に原則18か月しか滞在できない。それを超えると、船の価値に対して約20%のVAT(消費税)を掛けられてしまう。来年もEU圏外への航行は予定していないため、今年中に一旦EU外の国に出る必要があった。昨年航海計画を作成時、EUに加盟していないスイスに行けばよいことに気が付き、ここBaselに立ち寄ることにしたのだ。

8月3日(木)早速スイス税関に行き、てまりがスイスに入国した何らかの証明書が欲しいと伝えた。スイスはEUに加盟していないがシェンゲン協定加盟国であるため、EUから入ってもパスポートのチェックや税関検査は通常必要ない。スイスでは2か月間まで他国籍船の係留を手続きなしで認めているため、それを超えない限り税関はノーチェック。従って数日しか滞在しないてまりに書類は出せないと言われた。しかし親切な係官は我々の事情を理解し、マリーナの係留料支払い領収書を見せるとそれに税関のスタンプを押してくれた。これさえあれば、今日から18か月間堂々とEU圏内に滞在できる。苦労してスイス・Baselまで来た甲斐はあった。

バーゼルっ子にとってライン川が水遊びの場所

スイスに来たというのに連日30度を超える暑さが続くここBaselではちょっと変わった水遊びがさかんだ。ゆったりと流れるライン川に入り、川の流れに任せて500mほど下る。その際の浮き袋は、洋服や靴を入れておける防水バッグで、町中で売られている。水もきれいなライン川をのんびり浮かんでいる姿を見ているとこちらもやりたくなってしまう。

1時間でフランス・ドイツを回ってスイスに帰る

マリーナから200mほどのところに、スイス・フランス・ドイツの国旗をあしらったモニュメントがあり、それぞれの方角をしめしている。つまりここが3か国の国境線ということだ。

8月4日(金)自転車で5分ほど走るとそこにドイツとの国境検問所があった。とはいえ実質フリーパス、何のチェックもない。その先の交差点を左折してライン川に架かる橋を渡るとそこはフランス。こちらは検問所も何もない。我々はフランスのマーケットで惣菜を買い、ドイツのスーパーで食料品を購入してスイスに戻った。地元の人たちはそれを当たり前にやっているが、国境のない島国に住む日本人にとっては、なんとも不思議な体験だった。

長年の友人Taggiを乗せてスイスから再びフランス・アルザスへ

夕方チューリッヒに住むスイス人の友人TaggiとBaselの駅で待ち合わせ、地元のレストランで夕食を摂ったあと船に戻る。クロアチアで、てまりに乗艇して以来5年ぶりの再会だ。

8月5日(土)朝8時過ぎに出航、ライン川を下り昨日待たされたロックに到着。無線でTaggiにドイツ語でコンタクトしてもらうとすぐに返事があり、しばらくして信号が青に変わった?!

次のCanal du Rhone au Rineに入るジャンクションのロックでも同じ、まったく待つことなくロックを通過することができた。Taggiのロックキーパーとのやりとりを聞いていると、途中からフランス語に変わった。後で聞くと、相手のドイツ語にフランス語なまりがあったので切り替えたという。やはりヨーロッパを旅していると英語だけではダメだと痛感してしまう。おかげで33㎞先の目的地Mulhouseに昼過ぎに到着することができた。

再びフランス運河でのロックとの戦いがスタート

8月7日(月)Mulhauseを出航して、Canal du Rhone au Rineを西に向かう。今日は24㎞の航程で23ものロックがある。前日に最初のロックの通過時間を電話で予約、朝8時半にMulhouseのマリーナから1㎞ほどのロックに到着。既にゲートは開いておりロックキーパーが待っていた。同行する船はなく、てまりだけ。そこから連続する15のロックと2つの跳ね橋はすべてそのロックキーパーが車で先回りして操作をしてくれた。ランチタイムの一時間の休憩をはさんで、その後は女性のロックキーパーが同様に対応してくれ、目的地Donnemarierに予想より早く午後4時前に到着。

翌8月8日も同様で、午前8時半に最初のロックを予約、Donnemarierから10㎞先のMontreux Chateauまでの14ロックすべての操作をキーパーがやってくれ、目的地には昼前に到着。ここまでRhine川からずーっと上ってきたが、ここが分水嶺でこれからは地中海に注ぐソーヌ・ローヌ川に至る下りの運河となる。

8月9日(木)午前9時隣に舫いを取っていたスイス艇Calistaと共に出航。次の目的地Montbeliardまで12ロックをスムースに通過し、午後1時過ぎにマリーナに舫いを取ることができた。

ここでTaggiが降りて、明日から再び二人だけのクルージングに戻る。ドイツ語・フランス語・英語・イタリア語を普通にしゃべれるTaggiがいてくれたお蔭でロックの通過も問題なく、美味しい食事も楽しむことができた。これからはフランス人とのコミュニケーションに苦労しそうだ。

その他の写真はこちらからご覧いただけます。

Taggiの撮った素敵な写真集はこちらからどうぞ。

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7月19日~7月29日 ヨーロッパ運河の旅 フランス北部アルザス地方を行く 19/07-29/07 European canal cruise Alsace in France

2017-07-30 | 旅行

Mesue川からCanal Marne au Rhineへ

7月19日(水)Pegny Sur Mueseを出航。オランダ・ベルギーそしてフランスに入ってしばらくのあいだひたすら遡行してきたMeuse川(オランダではMAAS川)に別れを告げてRhine川へと繋がる運河Marne au Rhineに入った。ここからしばらくは下っていくことになる。今日はいきなり800mを超える長いトンネルに始まり、次の町Toulまでわずか15㎞で12のロックを越えなければならない。

朝8時半に出航、すぐ先のトンネルに入る。前のトンネルと違い照明があったが水路の幅はほぼ変わらず左右の余裕は1mほどしかない。前回の苦い経験から超スロー運転で一度も船体を擦ることなく無事通過。

そのあとはほぼ600mごとにロックがある。幸い対向してくる船がなく、すべて待ち時間なしにロックを通過することができたため、忙しかったが昼過ぎには目的地Toulのマリーナに舫いを取ることができた。ここしばらくシャワーもトイレもないところに係留することが続いたが、こちらは施設の整ったゆったりしたマリーナで、一息つくことができそうだ。

水不足でMeuse川の通行が禁止となる

複数の船から、今通ってきたMeuse川が水位低下のため通行できなくなったと聞いた。マリーナオフィスで確認したところ、今朝からVerdun付近でロックがクローズされたという。運河化されているとはいえ、もともとは川だから渇水期にはそういうこともあるようだ。我々はつい数日前にそこを通過してきたばかり。滑り込みセーフだった。隣に係留していたオランダ艇はホームポートに戻るため、Mosel川・Rhine川を通るルートに変更せざるを得ず、かなり大回りになるとぼやいていた。

Toulは運河沿いにある、城壁に囲まれた小さいが素敵な町だ。町の大きさの割にゴシック様式の大聖堂は外観も中も素晴らしいものだった。

7月21日(金)Toulを出航、途中からMosel川に入り下る。この川も運河化されているため流れはほとんどない。久しぶりにロックも川も、幅広くゆったりとしたクルーズを楽しんだが、それもつかの間、再びMarne au Rhine運河に入り、ここからはまた昇りのロックになる。3つのロックを通過し午後4時前Nancyのマリーナに舫いを取る。

アートの町Nancy

Nancyは19世紀に花開いたアールヌーヴォーが生まれた町と言われる。金メッキされた繊細なデコレーションのゲートや街灯に囲まれたStanislas広場はその代表的なもので、世界遺産に登録されている。うれしいことに、この町には常設の大きなマーケットと巨大なスーパーマーケットがすぐ近くにあり、大量の食料品や酒類を買い込んだ。今年初めて刺身で食べられるマグロも仕入れることができた。

日本から友人が合流

7月22日(土)Nancyで友人のよしみちゃんが乗艇する。山ガールの彼女はイタリア・フランスで山のトレッキングを楽しんだあと、シャモニーからNancyまで電車を6回乗り継ぎ11時間かけて来てくれた。ここからStrasbourgまで乗る予定。

2.3㎞の長いトンネルとケーブルカー式ロックを通過

7月25日(火)一昨日Nancyを出航し、Xures, Nidervillerという小さな村に停泊したあと、恐らく今年の運河クルーズ最大のハイライトとなる場所を通過する。

まずは二連続のトンネル。一つ目は500m弱だが、二つ目のトンネルは2.3㎞もある。照明はあるが水路の幅は前に通ったところと大差ない。左右に懐中電灯を持った女性軍二人が壁との間隔を見張り「少し右に寄りすぎ」「左十分です」などと声をかけてくれる中、こちらはひたすらはるか前に白い点のようにぽつんと見えるトンネル出口を真正面にとらえることだけに神経を集中して舵を取る。長いトンネルを時速1㎞以下の超低速で走行、21分かかったが一度も船体を擦ること無く無事通過することができた。

その次はケーブルカー方式のロック。船の入った水槽ごと40mの高低差のある急斜面を下る。以前ドイツで経験したエレベーター方式と似ているやり方だ。ロックの通過に要した時間はわずか15分。この最新鋭ロックができるまでは20か所近いロックを越えなければならなかったようなので、大幅な時間短縮だ。今日はその後も連続12か所のロックを通過して、午後3時過ぎSaverneに到着することができた。

レンタルボートの基地Saverneで美味しいローカル料理を楽しむ

Saverneを中心にこの運河沿いのいくつかの町は運河クルーズ用のレンタルボートの基地となっている。夏休みの現在、家族連れなどで大賑わいだ。小高い丘に囲まれ、緩やかな傾斜地に広がるSaverneはフランスのAlsace地方らしい素敵な町。

町の中心部に趣のある旧い建物のレストランを見つけて入る。店のインテリアも凝ったつくりのこのレストランは今年ミシュランの星を獲得したお店だった。美味しいワインとこの地方の名物料理を堪能。ドイツに近いアルザスはワインだけでなく、料理もザワークラウトやソーセージなどドイツで一般的なものが多かった。

オートロックのシステムが変わる

7月27日(金)Saverneを出航、すぐ先のロックの信号が赤だったため手前の岸辺でスタンバイするが、待っていても信号が変わらない。後から来た小さなシングルハンドのボートから、手前にある紐を引っ張ったか?と聞かれてノーと返事をすると、それをやらないとロックゲートは開かないと言われた。そのボートに乗せてもらい数百メートル引き返して、運河の中ほどにぶら下がっている紐を引くとロックの信号が赤青に変わった。貸与されていたリモコンはかなり手前のロックで回収されてしまい、そのあとどうするのかと思っていたのだが、ようやくこれでわかった。

その後は、昨日息子が帰ってしまったというシングルハンドのボートと共に、ロックでの舫い取りをサポートしながら12か所のロックを超えて22㎞先のWaltenheimに一泊、7月28日Strasbourgのマリーナに舫いを取った。

アルザス地方の中心都市Strasbourg

 

人口22万人のStrasbourgはフランス・Alsace地方の中心都市だ。周囲を運河で囲まれた旧市街は木組みの旧い建物が多く北欧の雰囲気を感じさせるとても素敵な町。圧巻は中心にそびえる尖塔をもつゴシック様式の大聖堂。その周辺には観光地らしく土産物店やカフェ・レストランが並び大勢の観光客で賑わっていた。

8日間一緒に過ごしたよしみちゃんが明日朝船を下り、またしばらくは二人旅となる。これからスイスのBaselに立ち寄ったあとまたフランスAlsace地方を南下していく予定。

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7月9日~7月18日 ヨーロッパ運河の旅 ベルギーからフランスへ  Canal cruise from Belgium to France 09/07-18/07

2017-07-19 | 旅行

ロックの運用時間を知らずに1時間半待ちぼうけ

7月9日(日)ベルギー、Namurのマリーナをいつもの通り午前7時半前に出航、5分ほどで次のロックに到着、無線で呼びかけるが全く応答がない。30分待っても返事が無いのでロックのコントロールまで歩いて行ってみたが人影が無い。午前9時10分ぐらい前にようやくコントロールタワーに人が入っていくのが見えた。後ろを振り返ると今出てきたマリーナから一斉に船が出航してきた。9時になるとロックの信号が青に変わりオープン。ロックの中で後から来た船に聞いて、今日は日曜日だからロックの運用開始は9時だと知った。事前チェックを怠り失敗。

午後1時半過ぎ、6つのロックを通過してDinantの桟橋に舫いを取った。

DinantはMeuse川沿いの本当に小さい町だが、上に城塞がある絶壁とその前にある大聖堂の景観が素晴らしい。ここがベルギー最後の町なので、夕方こちらの名物料理エスカルゴとベルギーのダークビールを楽しむ。

ロックのトラブルで2時間待ち

7月10日(月)Dinantを朝8時前に出航、すぐ先のロックに着くと信号が点灯していない。しばらく待つとロックコントロールに人が入っていったため昨日同様コントロールまで歩いていく。ロックのスタッフはほとんど英語がしゃべれないが、どうやらロックが故障していることが分かった。待つこと2時間、ようやく修理が完了してあとから来たプレジャーボート4隻と共にロックを超えた。やれやれ、二日続けて最初のロックで引っかかってしまった。

このあたりはオランダやドイツのまったく平坦な景色から一転して周囲は山に囲まれた渓谷の雰囲気だ。その後2つのロックを通過し4番目のロックがフランスとの国境にある。ここでフランスの運河通行の手続きをする。フランスはプレジャーボートから運河航行の手数料を徴収するため、Vignetteと呼ばれる証書を購入する必要がある。期間と船の大きさによって値段が異なり、てまりの場合1か月間で約150€だった。我々は事前にオンラインで証書を購入していたため、そこでの手続きは数分で済み、オートマチックロックのコントロール用Telecomand(リモコン)を貸与された。

フランス運河のロックとトンネルの狭さに仰天する

 

ロックを出るとそこはフランス。その後の二つのロックは人が居てリモコンは不要だった。最初のロックでロックキーパーから何処の国から来た?と聞かれ日本人だと答えると、このロックを通過する初めての日本艇だと言われた。今回の運河クルーズでも日本人は珍しいらしく、マリーナで声を掛けられることもたびたび有った。

ロックを出ると運河の幅が急に狭まり、前を見ると長いトンネルがある。

十分に幅があると思い多少スピードを落としただけでトンネルに入ると幅がものすごく狭く、慌てて減速するが間に合わず船の側面をガリガリとトンネル壁面にこすってしまった。左右の幅の余裕は1mもない。その真っ暗な565mもの長いトンネルを2度3度と船の横腹を擦りながら低速で進み、ようやく抜けだしてホッと一安心。その間の緊張感は口では言い難いものだった。

 

 

そのあとはオートマチックのロックだ。ロックの手前300m付近にセンサーパネルがあり、そこに近づいてリモコンのボタンを押すとフラッシュが点灯しこの船を認識してくれる。そしてロック手前の信号が青になったら進入するのだが、ロックの幅がやたらと狭い。てまりでも左右合わせた余裕が1mほどしかないため、慎重に出入りしないとすぐに横っ腹を擦ってしまう。

 

ロックに入り舫いを取ったら陸に上がり、ロックサイドにある青いバーを引き上げると入ってきたゲートが締まるという仕組みだ。フランスの運河はロック数も多いため、かなりのロックが無人化されているようだ。10年ほど前に見たフランスの運河クルーズのビデオでは、ロックに入った船が自分達ですべての操作をしていたので、リモコンで操作できるオートマチックロックは画期的だと言ってよい。

フランス運河の旅はロックとの戦い

7月11日、フランスの小規模運河のロックは運用時間が午前9時~午後6時と教えられたため、最初の停泊地Haybesを午前9時少し前に出航する。今日の目的地Charleville Megieresまでの53㎞にロックは11個ある。ロックはプレジャーボート2隻が入るといっぱいだ。途中までは昨日も一緒だったオランダ艇が先行したためリモコン操作は人頼みだったが、その船が先に行ってしまったため後半はこちらが先導艇としてリモコン操作をすることになった。途中一つのロックのオートコントロールが故障中でロックキーパーが開閉してくれた以外はすべて無人のオートマチックロックだった。

午後6時ようやく目的地に到着。一つのロック通過の所要時間は平均すると待ち時間を入れて20分弱だった。

居心地の良いマリーナなのに何故かガラガラ

7月12日(水)今日は夜中から降り出した雨が午前中も続き、昨日の疲れを癒しながら洗濯や今後のルートチェックなどをして過ごす。Charleville Mezieresのマリーナはキャンピングカーサイトも一緒に管理している。何故かキャンピングカーサイトは満杯なのにマリーナはガラガラで一けたしか船が停泊していない。

7月13日(木)Charleville Mezieresを朝9時少し前に出航する。今日は快晴で朝の気温は12℃ほどと冷え込んだ。Meuse川周辺の景色は渓谷から再びのどかな牧場地帯へと変わった。川の幅はますます狭まってきた。今日は8つのロックを順調に超えて午後3時半、Mouzonの桟橋に舫いを取る。

午後9時過ぎ、夕食後の散歩をしていたら景気の良いブラスバンドの音色が聞こえてきてこちらに向かってくる。バンドの後ろには提灯を持った町の人たちが続く。今日7月13日はフランス革命記念日の前日。どうやらこのパレードはそのイベントのようだ。

オートロックの故障でまたまた2時間以上待たされる

7月14日(金)ロック運用開始の9時に最初のロックに到着するように8時過ぎに出発。9時5分過ぎ、リモコンでロックオープン操作を行いロックに入る。そして青いバーを上に引き上げるがランプが点かないし入ってきたゲートも締まらない。何度やってもダメなので、無人のコントロール室に行き、そこにあった緊急用呼び出しブザーを鳴らす。10回以上鳴らし続けてようやくつながった。ほとんど英語がわからない相手にフランス語の単語を並べてロックの故障を告げると、相手は何か言って一方的に切られてしまった。不安なのでロックを管理するオフィスの電話番号を探しだし電話をかけ状況を説明するが、またまたフランス語で何か言われて電話を切られてしまう。再度呼び出しブザーを何度も鳴らして相手に確認すると、サービスマンが行くとだけ言われた。今日はフランス革命記念日の祭日だ。いったいどれだけ待たされるのか・・・・

ロック到着から2時間後スタッフが到着、ロックのゲートはすぐに稼働した。オランダ艇からフランスのロックは便利だけど良く故障するよ、と言われたのを思い出した。午後3時半、Dun-sur-Meuseに到着。

7月15日(土)また最初のロックの故障で出航が遅れた。今日の通過ロックは9つ。最初のロック以外はすべてマニュアルだった。幸いロックキーパーがいて基本的にはすべての操作をやってくれる。ゲートを開け、船が中に入るとゲートクローズ、バルブを開けて水位の調整、最後は出ていくゲートを開く。結構な重労働だが女性キーパーが多いのに驚いた。だからという訳ではないが、時間節約のため、出ていくときのゲートオープンはこちらも手伝うことにした。

3連休のフランス、観光地は大賑わい

出航が遅れたわりに40km先のVerdunに午後4時半到着。Meuse川沿いのプレジャーボート用ポンツーンに、かろうじててまりが入るスペースを見つけて潜り込む。後ろの船が少し後退してくれたため助かった。しかし、気が付くとすぐ目の前に大きなステージがあり、しばらくすると大音量でリハーサルが始まった。ヘビメタのロックだ。ステージは午後7時過ぎに始まり終わったのは午後12時近 く。フランスは昨日の独立記念日から3連休とあって、ステージは若者を中心に大いに盛り上がっていたが年寄りには騒音でしかない、つらい時間だった。

7月19日(水)

Verdun出航後Saint Mihiel,Pagny-Sur-Meuseと二つの小さな村の桟橋で一泊してToulに向かう。この2日間で超えたロックは19ロック。ランチは走りながら、カップ麺か簡単なサンドイッチで我慢するしかない。運河はより狭く浅くなり水草がすごい。途中ロック手前で待っている間に流されて水草の中に入ってしまい、その後船の動きがおかしくなった。桟橋に着いてから潜ってみるとスクリューに大量の水草が巻き付き、エンジンの冷却水フィルターも水草で詰まっていた。今年は例年になく降水量が少ないらしく、これからの水路はかなり浅いというので十分な注意が必要だ。これから再びRhine川との合流地点Strasbourgに向かう。

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6月28日~7月8日 ヨーロッパ運河の旅 ライン川を下りドイツからオランダ・ベルギーへ

2017-07-09 | 旅行

ドイツの大河Rheinを下る

6月28日(水)Rhein-Herne canalからライン川に入ってすぐのRuhrorterマリーナを出航、そのまま川を下る。この辺りの川幅は300mほどあり、ゆったりと蛇行する水流は時速5-6kmぐらい。エンジンの回転数を今までより少し抑え目にしても、船は時速15㎞ほどで川を下っていく。

川の周辺は北ドイツの工業地帯となっているため、周りの景色も工場が多い。当初はライン川を遡上するルートを設定していたのだが、上流の流れはかなり早いため、セーリングヨットのように小さなエンジンで足の遅い船にとってはかなり危険がありそうで悩んでいた。途中で出会ったオランダのヨッティーからの情報で、大きく迂回してオランダ・ベルギーの運河を通るより安全なルートがあることを知った。残念ながら観光船が行き交う最も美しいライン川上流域の通過は諦め、オランダへ出る下流の工業地帯を走ることになったという訳だ。

今日の目的地Emmerich am Rheinまでは70㎞以上あるが5時間ほどで町が見えてきた。川を下る場合は想定以上に距離を稼ぐことができる。これより更に速く流れる上流域をてまりのような船で遡上するのはかなり危険だということが実感できた。

ライン川とともに生きる町Emmerich am Rhein

ライン川に面するEmmerich am Rheinはその名の通りライン川のお蔭で発展を遂げた町。その地理的利便性を生かして、今も川を往来する運搬船と鉄道やトラックなどの陸上輸送を結ぶハブとして重要な役割を果たしている。また周辺には日本のブラザーや花王を含む大手企業の工場が数多く稼働する。

Emmerichのマリーナはライン川から少し引っ込んだ入り江にあるため、川の流れの影響は全く受けないが、フローティングポンツーンを繋いである柱の高さに驚いた。水面から15m近くあり、どの柱もその真ん中あたりから下が黒ずんでいる。現在は渇水期なので水位は一番低いが、春先などの増水期にはそこまで水位が上がるという証拠だ。よく見るとマリーナにあるレストランも浮桟橋に建てられている。町の博物館には、過去に何度か町中が水浸しになっている写真があった。今まで水位差の全くない運河をクルーズしてきたため、改めて大河の怖さを思い知らされた。

ドイツからオランダへ入る

6月30日(金)Emmerichのマリーナを出航してライン川をさらに34kmほど下りオランダに入る。

そこで左に折れて合流するMaas川へ入る。6月12日Elbe Lubeck Canalに入って以降いくつもの運河を通り、最後はライン川を下ってドイツでのクルーズを終えた。午後3時過ぎ、ロックを二つ通過し途中にあるWellというリゾート地にあるマリーナに舫いを取る。

7月1日(土)朝から小雨が降る中Wellを出航、66㎞先のRoermondへ向かう。ドイツとの国境沿いに流れるMaas川はロックによって運河化されているため、渇水期の今はほとんど流れがない。ライン川と比べるとトラフィックも圧倒的に少なく、様々な種類の水鳥達が遊ぶ川をのんびり遡上する。午後2時半、二つのロックを通過しRoermondのマリーナに舫いを取った。

二つの顔を持つ町Roermond

Roermondは支流の運河沿いにある旧い街並みと、その外側にあるデザイナーアウトレットが売りの町だ。広大な敷地に200以上の有名ブランドのアウトレットショップを集めた場所が市の中心部から徒歩数分のところに作られ、ブランドの数は今も増え続けているという。我々が行ったのが日曜日ということもあって大混雑。人気のショップは入場制限されて大勢の人が並んで待っていた。こちらも丁度探していた靴やジャケットが予想外の安さで入手できて大満足。

ヨーロッパの歴史の重みを感じさせる町 Maastricht

7月3日(月)、Roermondから50㎞ほどMAAS川を遡上しEU設立の礎となったマーストリヒト条約で有名な町Maastrichtのマリーナに舫いを取った。

ここでの最優先課題は冷蔵庫の修理。4-5日前から完全にダウンしたので、なんとかここで直したいと思い、真っ先に色々当たって修理業者を見つけることができたが、メーカーに問い合わせるのに一日、その後修理に来てもらうのに一日待つことになった。

Maastrichtはオランダ領とはいえドイツとベルギーに挟まれたその地理的な条件から、過去に20回以上も他国に領有された歴史を持つという。MAAS川沿いにあるこの町を歩いてみるとヨーロッパの様々な国をミックスした、オランダとも違う雰囲気を感じさせる素敵な町だ。冷蔵庫の修理のお蔭でゆったりと2日間この町を楽しむことになった。緑に囲まれた町の周辺はオランダでは珍しく起伏に富んだ地形だ。

オランダではプリペイドSIMが簡単に購入できてビックリ

ドイツで購入したパケット通信SIMが使えなくなったためVodafonのショップに行った。ヨーロッパ各国で使えるパケット用と通話用の二つのプリペイドSIMを購入したが、パスポートを見せろとも言われず、スーパーで普通の商品を購入する感じで買うことができた。ドイツではドイツ国内に住所が無いと購入できないと言われただけに、その違いに驚いた。EU内でも国によってテロに対する問題意識や基準がバラバラなのだから、テロのリスクが減ることは無いだろう。

オランダからベルギーへ

7月6日(木)冷蔵庫は応急処置で動くようになったためMaastrichtを出航、数キロ先のロックは既にベルギーだ。ここからMaas川はMeuse川に名前が変わる。ロックで簡単な手続きを済ませベルギーに入国、Liegeの町のマリーナに舫いを取る。オランダはドイツと色々な意味で近い感じがしたが、ベルギーに入った途端にここはフランスだと感じた。公用語がフランス語ということもあるが、町の雰囲気や店頭に並ぶ食材もフランスだ。

Liegeの町は背後に小高い丘があるため坂が多い。374段の階段を上り町が見渡せる丘の上に立つと眼下にMeuse川とLiegeの町が見渡せた。

4つのロック通過に合計3時間40分

7月7日(金)朝7時半LiegeからMeuse川を遡行しNamurに向かった。距離は68㎞、その間にロックが4つある。今回はロックでかなり待たされNamurまで10時間近くかかってしまった。

Namurは小さな町だが丘の上に巨大な城塞跡がある。そこからはMeuse川が良く見渡せる。城塞のあった広場ではビールフェスティバルが開催されていた。

このあと更にMeuse川を遡行し、あと一か所ベルギーの町に立ち寄ったあとフランスに入る。

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6月18日~6月27日 ドイツ運河の旅 Part2

2017-06-28 | 旅行

Elbe-Stein canalからMittelland canalへ

6月18日(日)  Elbe-Seiten Canalの中間地点にあるUelzenのマリーナを朝7時半に出航する。すぐ先にこの運河2か所目、最後のロックがある。30分ほどでロックに到着し、今度は正しい無線チャンネルでロックキーパーに英語で呼びかける。ドイツ語の会話が聞こえてくるので相手に通じていることは間違いないのだが。何度呼んでも応答がない。しばらくすると、昨日同じマリーナに停泊していたオランダ船籍のプレジャーボートが我々の後ろの待機場所に舫いを取ったので状況を話に行く。昨日同様彼らが我々の代わりにロックコントロールにコンタクトしてくれた。ロックキーパーは英語が話せないようだ。待つこと1時間、その船と一緒にロックに入ることができた。このロックの高低差は30m弱。昨日と合わせて二つのロックで60mちょっとの高度を獲得したことになる。

ヨーロッパ運河通行に欠かせないライセンス

ヨーロッパの運河や川は国境を越えて縦横に結ばれており、今日でも重要な輸送ルートとなっているため、CEVNI(Code Europeen des Voies de la Navigation Interieure)という共通の交通ルールが定められている。運河には様々な標識が設置されており、警笛による信号も色々あるため、それらをしっかりと覚えなければならない。

RYA(伝統あるイギリスのヨット協会)が発行するCEVNIルールブックを購入し必死になって勉強、オンラインテストを受けRYAが発行するCEVNIライセンスを取得した。ドイツの河川はルール違反などに厳しいと聞いているため、これはヨーロッパ運河クルーズには最低必要条件だ。

遅い運搬船の追い越しに冷や汗

ロック通過後、サポートしてくれたオランダ艇は前をゆっくりと進む運搬船をさっさと追い越して行ってしまった。我々はその運搬船の後に付いて行ったがペースが遅すぎたため、途中で追い抜くことを決断、船が運河のほぼ真ん中を走っていたため、警笛で右から追い越すと伝えてスピードを上げた。50mほどの長さがある運搬船は中々追い越せない。そのうち対向する船が見えてきた。エンジンの回転数を4000回転近くまであげてじりじりと前に出て、ぎりぎりのところで追い越すことができた。

対向船が見えていなかったこちらが悪かったのだが冷や汗が出た。

午後3時過ぎ、Mittelland canalに入り西に向かう。午後4時、5㎞ほど行ったところにある小さなマリーナに舫いを取る。マリーナにはほとんど船がいない。それも道理で、水・トイレ・シャワーなし。唯一電気だけがとれるが町も遠く何もないところだった。明日はHannoverという大きな町のマリーナに行く予定なので、今日はここで我慢することにした。

Mittelland canalは全長325㎞、ドイツ北部を横断し西はオランダ・ベルギー、東はベルリンを通りチェコやポーランドに行く重要な交通ルートとなっているため、チェコなど東欧の運搬船も多数運行している。この長い運河にロックは3つしかない。いかにドイツ北部が平坦な地形なのかがわかるが、それにしてもロック間の一番長い距離は200㎞近い。その間運河はわずかな高低差も無く完全に水平に作られているのだから、ドイツの技術力の高さに敬服する

緑豊かな大都市Hannover

6月19日(月)何もないマリーナを朝7時過ぎ出航、午後2時今日の目的地Hannoverのマリーナに舫いを取る。自らてまりの舫いを取ってくれたマリーナのマネージャーが、我々が日本から来たと知って、マリーナのフラッグの横に日の丸を掲げてくれた。

王家ゆかりの都市Hannoverは緑の多い街だ。第二次大戦の空襲で旧市街の大半は被災したが、元市庁舎や教会と一部の建物が昔のままの姿を残している。

6月21日(水)Hannoverのマリーナを出航、Mittelland canalを西に進む。今日はロックが無いため90㎞近く走り、午後3時20分Lubbeckeのマリーナに入港。運河沿いのマリーナはみな小さく停泊場所の確保が大変だ。運河を通るヨットに出会うことも多いが、ほとんどが倒したマストを船に載せて走っている。てまりの場合マストは船の長さより3mほど長いので、狭い泊地に入港する際やロックでは前後に出っ張っているマストは接触のリスクが大きい。悩んだ末、金はかかるがマストだけ地中海のマリーナまでトラックで運送してもらうことにしたのだ。

6月22日(木)今日も70㎞以上走りReckeのマリーナに舫いを取る。運よくてまりが入れるスペースが一つだけ空いていたためそこへ潜り込む。

Mittelland canalからDortmund Ems canalへ

6月23日(金)朝7時半過ぎに出航。15㎞ほど走ったところでT字型のジャンクションにぶつかる。Dortmund Ems canalだ。そこを左に折れて50㎞ほど行って4日ぶりにロックに出会う。

かなりロックの通過方法も手慣れてきた。ロック手前のウェイティングゾーンで15分ほど待つとロックの信号が赤から青に変わりロックに入る。今日のロックにはオートマチックのボラード(船を繋ぐための杭)があり、そこに船を舫うと水位に応じて上下してくれるので舫いを掛けかえる手間が無く安心だ。

Munsterの土曜市で食料品の仕込み

6月24日(土)昨日Munsterヨットクラブのマリーナにかろうじて船を舫うことができた。小さなマリーナは文字通り満杯状態。火曜日のHannover以来大きな町に寄っていないため、ここで買い出しをする必要がある。ある程度の規模の町では週2回町の広場でオープン市場が開かれる。Munsterでは丁度土曜日の今日市場が開いていた。お店はすべて改造された車両だ。そのまま明日は別の町に行って店を開くのだろう。ドイツらしい機能主義に感心する。市場に並んでいる商品を見ると、その地方の特徴が良くでていて面白い。久しぶりにイカやエビなど種類豊富な魚屋を見つけ購入したが高いのにびっくり。レシートを見ると帆立貝柱が100g700円と日本で買う牛肉並みの値段だった。ドイツに居る間は種類豊富で安いソーセージやハムなどの加工肉を食べていた方が良さそうだ。

6月25日(日)Munsterから56㎞走って、Dortmund-Ems canalの終点、サッカー香川選手で有名なDortmundの入口にあるLunenのマリーナに到着。

近くの町で歯の治療

6月26日(月)数日前歯にかぶせてあった金属が取れてしまったため、マリーナのスタッフに頼んで歯医者の予約をしてもらった。5㎞ほど先のDattelnという小さな町に自転車で行く。町に行く途中では閉鎖されたガソリンスタンドや空き店舗が目立つ通りがあった。自転車屋の店頭にはスポーツ自転車ではなく、お年寄りが乗る電動カートがずらりと陳列されている。こちらでも日本と同様、過疎化・高齢化が急速に進んでいるようだ。

6月27日(火)Rhein-Herne canalをオーストリアに戻るというパワーボートと共に西に向かう。途中5つのロックがあるため、マリーナで出会ったその船ににロックの呼び出しなどについて聞くと、我々も同じ方向だから一緒に行かないか?と言われ、同行させてもらう。てまりの分も一緒に呼んでもらうのでこちらはその船について行けば良いだけだ。どのロックもほぼ待ち時間なく順調に通過することができたが、途中舫いを取ってもらったりロックの中でサイドバイさせてもらったり、すっかりお世話になってしまった。午後2時過ぎ最後のロックを通過し、ライン川を遡るその船と別れ、我々はライン川に入ると右に曲がり下るルートを取る。

ライン川のジャンクションには大きなオレンジ色の目印とその下に無線のコールチャンネルが書いてある。今日は10分ほどライン川を下った右側にあるRuhrorterというマリーナに舫いを取る。このままライン川を下ると2行程めにはオランダに入る。ドイツ滞在も残りわずかだ。

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ドイツ北部、バルト海から運河へ入る

2017-06-18 | 旅行

6月10日(土)Langballigauのマリーナを朝9時前に出航、35マイル先のStrandeに向かう。

土曜日とあってヨットが沢山走っているが、パワーボートは少ない。周辺には沢山のマリーナがあり、ドイツもヨットがポピュラーだということがわかる。風も波も穏やかなバルト海を走り、午後3時過ぎ、昨年通ったKiel運河にほど近いStrandeのマリーナに入港した。ビジターはグリーンのプレートがかかっている空きスペースを探し、そこに舫いを取る。

Strandeは小さな村だが、北ドイツのリゾートだ。海岸近くにはこじんまりしたお洒落なホテルと立派な家が立ち並び、路上に止まる車はメルセデスやポルシェ、BMWなど高級車が多い。

マリーナ隣の海岸には、北ドイツ独特のStrandkorbと呼ばれる屋根つきの椅子が並ぶ。夏でも冷たい風が吹くこの地方では必需品らしい。

バルト海の強風でしごかれる

6月11日(日)、今日はバルト海を35マイルほど西に走り、リゾートアイランドFehmarn島の南部Burgtiefeのマリーナに一泊。

6月12日(月)今日が最後のバルト海航海。海はかなり荒れる予報がでていたため、午前7時に出航した。予報通り午前9時頃から南西の風が強くなり始め、南南東に進むてまりはチョッピーな波に翻弄され、まるで洗濯機の中にいるような状態が続いた。

午後1時10分ようやくTravemundeにたどりつき、波のないトラヴェ河に入る。午後3時半、10マイルほど川を遡ったところにある、Lubeckの少し手前のNord Ostという小さなマリーナに舫いを取ることができた。こちらの人たちは皆親切で、何処のマリーナに入っても必ず誰かが舫いを取ってサポートしてくれる。今回もオランダ人のヤンが隣の桟橋からわざわざ来て舫いを取ってくれた。更に彼からLubeckに行きたいなら、まだ未完成だけど新しいマリーナがあると言われた。ここからだとLubeckまで自転車でも30分近くかかるため明日はそちらに移動することにする。

こんなところで日本人!

6月13日(火)午前9時過ぎ、Lubeckの町の中心近くにある、数週間前にオープンしたばかりという真新しいマリーナに移動する。シャワー・トイレは仮設、オフィスも工事中という状態で停泊している船は数艇しかいない。数時間後、そのマリーナに日本人が訪ねてきた。村上さんという30年以上ドイツに住んでいる方で、自分のヨットをTravemundeのマリーナに置いていて我々がトラヴェ川に入ったところを、自分の船から偶然見かけたそうだ。てまりの事はブログなどで知っていたらしく、昨日メールが届き今日Lubeckまで訪ねてきてくれた。ドイツ事情に詳しい村上さんから色々と情報をもらい、更にダメと思っていたデータ通信SIMも買うことができ大いに助かった。

Lubeckの中心街はトラヴェ川と運河に囲まれた場所にある。中世にはドイツ北部都市が北海・バルト海貿易を独占的に守るために築いた、ハンザ同盟の中心都市として繁栄を極めた町。第二次大戦で町は破壊されたが、旧いたたずまいを再現した街並みと、かつての繁栄を示すかのように建立された6つの大きな教会も復元され、その尖塔が町のシンボルとなっている。

いよいよ運河クルーズスタート

6月15日(木)午前7時過ぎ、Lubeckのマリーナを出航、Elbe Lubeck Canalに入る。いきなり狭い水路とアーチ形の低い橋に出くわし戸惑うが、マストのないてまりは難なく通過することができた。畑や牧場地帯を行く50mほどの幅の運河沿いには、昔運搬船を曳く馬車道が設けられており、現在はサイクルロードとなっている。その道を自転車が、時速10㎞(約5.5kts)ほどで走るてまりを追い越していく。白鳥などの水鳥が遊ぶ静かな運河を鳥のさえずりを聞きながらのんびりと走る。広い海での航海とはまったく異次元の世界だ。

運河に入ってからの距離表示はすべてkm。こちらもそれに合わせてSea Mile(海里)からキロメートルに距離計算を変更することにした。今日の行程は33㎞だがその間に5つのロック(水門)を越えなければならないが、ドイツではほとんどのロックが自動化され、ロックキーパーの指示に従っていれば問題ない。

午後2時半、今日の目的地Mollnのマリーナに舫いを取る。一つのロック越えに要した時間は最短で25分、後から来る船を待たされた時は約1時間。これは今後の旅程を組むために大いに参考になる。

6月16日(金)午前8時出航、35㎞先のLauenburgを目指す。今日の通過ロックは二つ。ほとんど待ち時間なく通過できたため、目的地には昼過ぎに到着してしまった。

LauenburgはElbe-Lubeck Canalの終点でElbe川とのジャンクションに位置する小さな町。Elbe川沿いに残る旧市街には趣のあるレンガ造りの旧い建物が並ぶ。

高低差40m、巨大ロックを通過

6月17日(土)今日のルートはElbe-Seiten Canalという、1976年に開通した新しい運河を行く。

Mollnを出てElbe川を5㎞ほど下り左に折れて運河に入る。そこから6kmほど行くと巨大なロックが見えてきた。高低差40mを一気に上がるエレベーター方式のロックで、船を入れたプールがそのまま上下するという仕組みだ。朝8時半にはロックに着いてスタンバイ。しかし無線でコールしても全く返事が無い。4隻ほどスタンバイしていた本船は次々とロックに入っていく。1時間半ほどして、あとからプレジャーボートが2隻来た。よく見ると1隻は2日前に同じマリーナに居た船だったので聞いてみる。なんと我々がコールしていた、ドイツ運河のガイドブックに載っていた無線のチャンネルが違っていたのだ。彼らが代わりにコールしてくれて3隻のボートが一緒にロックに入ることができた。今走ってきた運河がはるか下に見えて、上の運河に到着。ロックを出たのが10時45分だから2時間以上もかかってしまった。

そこから40kmほど走り、午後3時運河の中間にあるUelzenヨットクラブのマリーナに舫いを取る。

これからしばらく、のんびりとしたドイツ運河の旅が続く。

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