Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

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9月3日~9月9日 船の片づけとデンマークの首都コペンハーゲン観光

2016-09-11 | 旅行

はじめてのマストはずしと船の屋内保管

今年てまりが冬を越すのは、ヨット専用の保管倉庫。ちょっと贅沢だが、厳冬期は厳しい寒さと激しいブリザードが吹き荒れることもある北欧では一般的のようだ。そのためにはマストをはずさなければならない。9月6日(火)マストを外す作業が終わり、てまりは無事倉庫に収まった。屋内とは言え、冬は-10℃を超える寒さのため、エンジンやジェネレーター、トイレの凍結防止対策をしっかりと行う。

9月7日(水)船を保管したドイツFlensburgから電車でデンマークCopenhagenへ向かう。ヨーロッパは鉄道網が国境を越えて縦横に走っており、列車の旅は早く快適だ。FlensburgからCopenhagenまでは一度の乗り換えで3時間ちょっと。昼にはCopenhagen中央駅に到着した。駅ではこちらに住むNonneとJorgan夫妻が出迎えてくれた。二人は3年前にシチリアのマリーナで知り合い、今年偶然Guernsey島で再会したデンマーク人ヨッティー。我々がCopenhagenから日本に戻ると知り、日本に戻る前に必ず連絡をくれと言われていたのだ。コペン滞在中の2日間、彼らにはすっかりお世話になってしまった。

昔小さな漁村から発展し人口100万人を超える大都市となった、デンマークの首都Copenhagenは緑が多く清潔で素敵な町だ。

19世紀に開園した、セントラルステーションの隣にあるTiboli遊園地は、当時としては画期的なアトラクションや乗り物があり、ウォルトディズニーがディズニーランドを造るヒントを得たと言われている。確かにディズニーランドのミニチュア版というところもあり、更に昔ながらのメリーゴーラウンドや射的、ジェットコースターや様々なゲーム機などが緑の多い遊園地に配置されていて、大人も子供も楽しめる場所だ。

世界で初めて歩行者専用道路が作られたのがCopenhagenと言われ、町の中心部の主要道路は歩行者天国になっている。そこを北に歩くと、Christianshavnと呼ばれる一角がある。

17世紀にオランダを模して造られた街は、運河沿いにかつて倉庫だったカラフルな建物が軒を連ね、レストランが立ち並び運河クルーズの遊覧船が行き来する、人気の観光スポットだ。アンデルセンの童話に登場し、日本でも良く知られる「人魚姫」の銅像は町の中心から歩いて15分ほどの公園の水際にあった。

 

皇室を大切にするデンマーク

デンマークは皇室を大切にする国だ。皇位継承権は第一子にあるため、女性が生まれた場合は自動的に女王が誕生し、現在も女王陛下だ。とても庶民的で気さくな暮らしをされているそうで、住まいである宮殿は町中にあり周囲には柵もゲートも無く、玄関前を衛兵が整然と行ったり来たりするだけだ。

Copenhagenから30kmほど離れたHillerodにある、17世紀に建てられた北欧最大のお城Frederiksborg城や、我々がスエーデンからフェリーで訪問した、歌劇ハムレットの舞台となったKronborg城も現在は博物館や資料館として一般に開放されている。

Copenhagen最後の夕食はNonneとJorgan夫妻の自宅に招かれてごちそうになった。「小さなアパート」と聞いていたが、日本の基準からすれば十分に広く、旧い素敵な家具やインテリアで飾られた使い勝手の良さそうな家だった。

 

今年のてまりクルージングは1,800マイル(約3,300㎞)、8か国を訪問

   

今年のクルージングは、事情があって3ヶ月ほどの短日程となった。それでも、フランス北部を出航して、チャネルアイランド・イギリス・ベルギー・オランダ・ドイツ・デンマーク・スエーデンと8か国を訪問した。

北欧は初めての訪問だったが、スペインやイタリアなど南欧諸国との違いが面白かった。民族の相違はもちろんあるが、根底には一年を通して温暖で過ごしやすい南欧と比べて、北欧は暗くて寒い冬と短い夏という厳しい気象条件の違いがあると思う。長い時間を過ごす自宅に対するこだわりと思い入れはすごく、北欧に優れた家具やインテリア製品が多いのもうなずける。スーパーに並ぶ食料品は豊富で、日本と比較しても決して高くはない。一方レストランの値段は料理の質やバラエティーの少なさを考えると高く、レストランで飲むワインやビールは日本並みの値段だ。

驚いたのは、鮨レストランの多さ。ちょっとした町には必ずあり、Goteborgのような大都市を歩いていると何軒もの店を見かけた。ほとんどの店は中国系の経営と思われ、メニューを見てもカリフォルニアロールやその類の巻物ばかりで、日本の鮨とは似て非なるものだ。日本食の普及はうれしいが、まがいものが横行してそれが本物の鮨だと思われるのは、日本人として納得できないものがある。

町はどこもきれいで、スラム化したエリアは見かけなかったし、物乞いも少ない。高い税金による高福祉政策の賜物なのだろうか。

9月9日(金)コペンハーゲン空港からルフトハンザ航空に乗り、フランクフルト経由で帰国の途に就いた。

 

今年のてまりブログはこれで終了します。来年はヨーロッパを縦横に走る運河クルーズを楽しみ、地中海へ向かう予定です。

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8月22日~9月2日 デンマークからドイツへ、今年のラストラン

2016-09-01 | 旅行

観光客であふれる町Aarhus

8月22日(月)Grenaaを出航しデンマーク第二の都市Aarhusに向かう。町に近いマリーナに入ったところ、まったく係留場所がない。仕方なく町の南にある別のマリーナに向かったが、そこも満杯で、なんとか入口近くのヨットにサイドバイさせてもらった。スエーデン・デンマークに来てからはどのマリーナも閑散としていて、停泊場所に苦労するところなどなかったので驚いたが、翌日町を歩いてみて観光客が多くこの町の人気の高さを知り、マリーナの混雑も納得した。

人気のテーマパークと乗り捨て自転車

マリーナから町までは3㎞ほど離れているが、乗り捨て自転車があるのでとても便利だ。スーパーマーケットのカートと同様、決められたパーキングにロックされている自転車を、コインを入れて引き出す。町のあちこちに同様のパーキングがあるので、そこに自転車を置いてロックしコインを回収するという仕組み。面倒な事前登録やカードによる保証金も不要。自転車の当たり外れは多少あるが、観光客には便利なシステムだ。

到着した翌日、Den Gamle Byというテーマパークに行ってみた。ここはデンマークの年代の違う様々な家を各地から70軒ほど移築し、その当時の様子を再現した野外博物館だ。家の中には、その時代に使っていた道具や家具などが実際に生活しているかのように並べられており、アンデルセンの童話に出てくるような室内の様子が再現されている。また、学生のアルバイト君たちが当時の格好をして、井戸から水を汲み洗濯する様子を演じていた。テーマパークの中を歩いていると各国語が飛び交い、様々な国から観光客がやってくる人気スポットのようだ。

白い建物がAarhusの市庁舎

学生とアートの町と言われるAarhusにはユニークな建造物が多く、市庁舎もそのひとつ。15世紀に建築されたデンマーク最大の長さを誇るという大聖堂もゴシック後期の代表的な建築物という。行き交う人の数は多く、Aarhusは活気にあふれた町だ。

キャッシュレスによる合理化の進んだ北欧諸国の良いところと悪いところ

スエーデンやデンマークに来て気が付いたことは、キャッシュレス・システムの普及率の高さだ。バスの運賃は、車内ではプリペイドカードかクレジットカードでしか支払えない。我々もスエーデンでは、バスや電車共通のSUICAのようなプリペイドカードを購入して使っていた。マリーナフィーの支払いも自動販売機。

マリーナオフィスに人が居ないことが多く、船の長さや滞在日数を自分で入れてクレジットカードで支払うと、ICチップカードと日にちが明記されたステッカーが出てくる。そのカードがないと電気もシャワーも使えない仕組みだ。停泊料は地中海に比べて半分以下と安い。一方問題点もある。マリーナスタッフが居ないため、空いてるバースは自分で探さなければならず、風が強いときは船を着けるのも結構大変だ。しかし、たいていの場合は近くのヨッティーが係留の手助けをしてくれるのでなんとかなるが。シャワーもプリペイドカードで利用するのだが、カードを入れた途端にお湯がでて、突然止まる。止まるまでの時間がマリーナによってまちまちで、残り時間が表示されないのだ。通常は3分程度だが、一番ひどかったマリーナは1回40秒。またカードを入れ直せばお湯は出るが、泡だらけの手でカードを扱うのは面倒だ。仕方なくペットボトルに洗面所で(こちらはいつでも熱いお湯が出る)お湯を入れて備えたりして、ゆったりとシャワーが浴びられないのがつらい。

最後の夏を楽しむ

8月25日(木)Aarhusを出航して、Juelsmindeという小さな町に2泊した後、Koldingのマリーナに入港する。Koldingはデンマークのユトランド半島とFyn島の間の狭い水路を抜けた南側にある町。この水路は北海とバルト海を結ぶ海峡のひとつのため、潮の流れが強く、鳴門海峡のように渦をまいているところもあった。一昨日から真夏の陽気が戻り今日も快晴。町を歩くとオープンカフェでライブコンサートが始まるところ。デンマークのコクのあるビールを飲みながら、オジサンバンドの演奏するディキシーランドジャズを楽しんだ。お客さんはほとんどがシニア。どこの国も高齢化は確実に進んでいる。

8月29日(月)Koldingから、川を8マイルほど遡ったところにあるHaderslevに移動する。その先には小さな湖があり、旧い街並みが残る静かなたたずまいの町だ。

朝靄に視界を奪われ緊張の川下り

8月31日(水)、Haderslevを午前7時過ぎに出航する。快晴のもと、そよともしない朝凪のため水面には靄が垂れ込めており、のぼったばかりの太陽がその靄に反射して幻想的な風景を造りだしている。しかし、少し走るとその靄が一段と濃くなり、視界が効かない。浅瀬を避けるための標識ブイを必死に探しながら、それを頼りにゆっくりとしたスピードで川を下った。1時間半後、ようやく河口近くまで来ると朝靄も消えて青空が広がり一安心。最後の寄港地Aabenraaには昼過ぎに到着。

ゴール地点・Flensburgに無事到着、今年のクルージングを終了する

9月2日(金)Aabenraaを午前7時に出航、デンマークの島と本土の間の静かな水道を南下し、午後2時最終目的地であるドイツ・FlensburgのYacht Serviceに舫いを取る。これでてまり6年目の北欧クルージングは無事終了となった。このあと船を片づけて、デンマーク・コペンハーゲンに立ち寄り9月10日に帰国予定。次回のブログで、今年のクルージングの総括とコペンハーゲン滞在の様子をお届けして、今年の「てまりブログ」の筆仕舞いとします。

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8月12日~8月21日 スエーデン西岸を折り返して再びデンマークへ

2016-08-21 | 旅行

夏祭りが開催されていたHalmstad

Halmstadは川沿いにある素敵な町だ。我々が到着した8月11日は町の夏祭り初日で、町の各所で様々なイベントが開催されていた。2日目は生憎の雨だったが、それでも子供たちは元気に遊んでいる。

川沿いの会場ではオジサンバンドが良い感じの演奏していた。こうしたローカルイベントでシニアが活躍するのは世界中どこも同じようだ。

8月13日(土)Halmstadを出航してVarbergに向かう。30ノットを超える西の強風の中、平均6ノット以上で快走し午後2時前に到着。翌日にはGoteborgに向かう予定だったが、夜から強まった北西の風が収まらず一日滞在を延ばすことにした。てまりが停泊したマリーナは町の対岸にあるため、翌日小さな渡し船に乗ってVarbergの町に買い出しにでかけた。日曜日でほとんどの店がお休みだがスーパーは開いている。焼き立てのパンもあり品ぞろえは豊富だった。

久しぶりの上天気の中、スエーデン第2の都市Goteborg

スエーデンの夏は晴れて過ごしやすいと聞いていたが、今夏の北欧は天候不順らしく、夏日だったのはアムステルダムの3日間だけ。朝晩13℃昼間でも18℃ぐらいと日本の4月頃の陽気が続く。地元の人に聞いてもここまで寒いのは異常で、10月頃の気温だそうだ。曇りがちで雨も良く降り風が強く、我々もかなりハードな航海を強いられている。

洗練されたおしゃれな町Goteborg

8月15日(月)一日延ばした甲斐があって、今日は久しぶりに晴れた空と穏やかな風に恵まれた。気温も上がって、のんびりとした航海を楽しみ午後3時Goteborgのマリーナに舫いを取る。Goteborgのマリーナは町の中心街に近くオペラ座の隣にあるきわめて便利なところだが、マリーナフィーがスエーデンの平均的値段の倍以上する。人口52万人を擁するGoteborgは、首都ストックホルムに次ぐスエーデン2番目の大都市。大航海時代、東インド会社が設立され東西貿易の拠点として栄えた町らしく、メインストリートには当時をしのばせる建物が並ぶ。

マリーナの前には巨大なショッピングモールがあり、周辺はショップ・レストランが軒を連ねる通りが縦横に走る、活気があり洗練された大都会だ。HAGA地区と呼ばれる一帯は16世紀ごろの木造ビルが連なり、ビルの一階はアンティークショップやセカンドハンドショップが入る趣のあるエリアだ。

今週が夏のイベントウィークで、町の50か所以上の場所で様々なイベントが開催されている。

丁度ランチタイム、ヨーロッパを中心に各国の料理や食材を販売するテントが並ぶイベント会場を通りかかり、ポーランド料理のシュニツェル(ドイツ風とんかつ)とスペインのパエリアを食べ、夜はマリーナ近くの会場で開催されたライブコンサートを楽しんだ。Goteborg滞在の3日間は天気に恵まれ、イベントウィークをたっぷりと楽しむことができた。

8月18日(木)折り返し地点のGoteborgを出航し再び南に進路を取り、デンマークの島LaesoAnholtに立ち寄ったあと8月20日(土)デンマーク本土のGrenaaに入港する。立ち寄った二つの小さな島はリゾートアイランドで、7月~8月上旬には大変なにぎわいを見せるそうだが、8月後半に入った今頃は閑散としており、閉まっている店も多かった。地中海ならまだ夏真っ盛りの時期だが、北欧の夏は本当に短いということを実感させられる。

8月21日(日)久しぶりに気持ちよく晴れ、マリーナで自転車を借りて3kmほど離れたGrenaaの町に出かけた。日曜日の午前中とあってスーパーを除いてすべての店は閉まっており、町は静まり返っていた。

今年の航海も残すところ2週間を切った。明日はデンマーク第二の都市Aarhusに向かう。

 

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7月31日~8月11日 ドイツからデンマークを経てスエーデンへ

2016-08-11 | 旅行

静かな内海、バルト海を行く

7月31日(日)ドイツKielを出航して、デンマークとの国境に近いFlensburgに向かう。バルト海はスカンジナビア半島と、デンマークのユトランド半島、及びデンマーク領の島に挟まれた二つの海峡だけが外海とつながる、巨大な内海だ。従って地中海同様潮位差がほとんど無く潮の流れもない。我々が向かったFlensburgは更に狭いドッグレッグした湾の奥にあるため、穏やかな水面は湖を走っているような感覚だ。湾の北側はデンマークなので、走っている船はドイツとデンマークが半々という感じ。夏休みとあって大小さまざまなヨットが走り、狭い水道で子供たちが乗るディンギーが練習していて気が抜けないが、しばらく運河クルーズが続き帆走のチャンスがなかったため、我々も久しぶりにエンジンを切ってセーリングを楽しんだ。

Flensburgの街並み

てまりが今年の冬を越すマリーナは当初デンマークを想定していたが、色々情報を集めると係留料金はデンマークが一番高く、スエーデン・ドイツの順で安くなるとわかった。帰国便はデンマークのコペンハーゲンから予約してあるため、ドイツ国内でデンマークとの国境に近いFlensburgは有力候補となる。ここでマリーナの料金や設備をチェックし、スエーデンの候補マリーナにも立ち寄って、最終的に船を置いて帰る場所を決めるつもりだ。

Sonderborgの岸壁

8月1日(月)Flensburgから19マイルほど走って、湾の北側にある、6か国目の訪問国デンマークの町Sonderborgに移動する。今回はフランスを発ってからGuernsey島を除いてすべてEU加盟国なので、出入国検査が不要で助かるが、デンマークとスエーデンはユーロではなく独自通貨のため両替をしなければならず、現地通貨の料金感覚になれるまで大変だ。

久しぶりにハードコンディションのセーリング

Bagenkopのマリーナ

緊急避難したRodby Havenの係留所

8月3日(木)、昨日SonderborgからLangeland島のBagenkopに移動する。今日はFalster島のGedserまで50マイルほど走る予定だったが、想定外の平均30ノット(15m)を超す逆風のため午後1時前、20マイルほど手前にあるRodby Havnに急遽避難する。この港は頻繁にフェリーが発着するしっかりした港だが、その一角にプレジャーボート用の係留場所が確保されており、電気・水道・Wifiも使えて、シャワー・トイレがあるのはありがたかった。

海中に林立する風力発電機群にびっくり

8月4日(木)依然として風は強いが、やや西よりにシフトしたため午前7時前に出航、次の目的地54マイル先のKlintholmを目指す。

出航して1時間ほどすると、前方の海面に風力発電機の林立が見えてきた。あわててチャートを確認すると確かにそれらしき標識がある。発電機群と陸地側の浅瀬の間に航路は確保されているようだが、念のため遠回りして風力発電機群の外側を行く。近づいて見るとその数数百機。それが整然と海中に設置されているのは初めて見る光景だった。

デンマークから対岸のスエーデンへ

8月5日(金)Klintholmを出航してスエーデンの町Limhamnのマリーナに向かう。行く手に長い橋が見えてきた。2000年に完成した全長15㎞を超えるオーレスン大橋は、デンマークとスエーデンを結ぶ大動脈。

その橋をくぐってすぐのところにあるLimhamnのマリーナに舫いを取る。

ここからスエーデン第3の都市Malmoまではバスで15分ほど。Malmoの旧市街を歩くと、木組みの壁と苔むした屋根の旧い家が目に付く。スエーデンは第二次大戦の戦火を免れたため、旧い家並みがそのまま残されているところが多いそうだ。

1850年頃建てられた穀物倉庫を利用しているという、スエーデンのデザイン製品が展示されたデザインセンターは、部屋に等間隔で立つ太い木の柱が建物の旧さを象徴する。

クルーズプランを大幅変更して、そのまま北に向かう

デンマーク・コペンハーゲン空港に近いここLimhamnのマリーナが船の越冬地有力候補だったが、マリーナオフィスで聞くと、既に地元の船で陸置き場はいっぱいだという。周辺に越冬できそうなドッグヤードは無いかと聞いたが、ヒーターの入った屋内設備しかないと言われた。それではコストがかかりすぎて無理だ。どうやら今年はドイツのFlensburgまで戻るしか無さそうだ。今の時期は大半が強めの西風のため、当初予定していたスエーデン東岸まで行くと、Flensburgまで逆風の中を300マイル近く戻らなければならない。急遽プランを変更して、スエーデン西岸を北上しGoteborgへ行くことにした。そこからFlensburgまでの帰路はデンマーク東岸を南下すれば強い西風でも問題なさそうだ。

世界遺産のお城を見学にデンマークに渡る

8月7日(日)にLimhamnからRAAに移動して以来3日間、強風のため出航することができないでいる。RAAは何もない田舎町なので20分ほどバスに乗ってHelsingborgに遊びに行き、更に今日はその対岸にあるデンマークのHelsingorまでフェリーに乗って出かけた。わずか20分の乗船時間にもかかわらず、フェリーの豪華さにビックリ。船内には空港のような酒や香水などを売る売店があり、おしゃれなラウンジがある。スエーデンはデンマークに比べて酒類が高いので、スエーデンから大挙してこのフェリーで買い物ツアーに行く人が多いらしく、そこに目を付けて、船内でも買い物ができ一杯飲める豪華船に仕立て上げたらしい。Helsingorにはハムレットの舞台となった、世界遺産のクロンボー城(通称ハムレット城)と呼ばれる城塞がある。今年はシェイクスピア生誕400年ということで、連日ハムレットの一部が城内で演じられていた。

デンマークからスエーデンに危うく戻れない事態に・・・・

町を散策しランチを食べた後スエーデンに戻ろうとフェリーのチケット売り場に行くと、パスポートが必要と言われた。今年の1月から不法入国を取り締まる規制が強化されて、スエーデン入国の際はパスポートかIDが必要になったそうだ。EU内を国から国へヨットで移動する際は出入国に関してノーチェックだったため、ついうっかりパスポートは船に置いてきてコピーしか持っていない。それを見せると実物でないとダメだと言われた。事情を説明してなんとかフェリーに乗れるように頼んだが、らちが明かない。最後は日本の領事館に電話して相談しろと言われ、電話を借りて話をしてみたが、海外を旅行する場合はパスポートを持ち歩くのが大原則。手元にないなら再発行するしかないと言われてしまった。何か方法は無いかとフェリーチケット売り場の女性に相談したところ、コペンハーゲンまで行ってタクシーでオーレスン大橋を渡る方法があるが、もしタクシーが停められたら不法入国で捕まるわよ、と冷たい返事。いよいよ困った顔をしていると、保証はできないけど、もう一つのフェリー会社に聞いてみたら?と言われた。藁にもすがる思いで、隣のフェリー乗り場に行くと、こちらはごく普通のフェリー船でチェックも甘そうだ。腹を括ってチケットを買い乗り場に行きチケットと共にパスポートのコピーを見せる。案の定コピーじゃだめだと言われたが、オリジナルはスエーデンに置いてきたと言うと、むにゃむにゃ言いながらチケットにはさみを入れて乗せてくれた。最悪デンマーク側で一泊して、パスポートなしでスエーデンに戻る方策を考えるしかないかと思っていたところだったので、本当にホッとした。領事館に言われた通り、国をまたいで旅をするのにパスポート不所持は問題外ということを改めて認識、大いに反省する。

8月11日(木)ようやく少し風が収まったので、4日間ぶりにRAAを出航し北に向かう。昨日フェリーでデンマークに渡った狭い海峡を過ぎるころから再び風が強まり、マックス40ノット+、平均30ノットを超える北西の風にしごかれ、47マイル先のHalmstadにたどり着いた。素敵な町では今日から夏祭りのようだ。

あと2日の航程で今年の折り返し地点Gorteborgに到着する。

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7月20日~7月30日 オランダからドイツへ

2016-07-30 | 旅行

アムステルダムにも夏がやってきた

7月20日(水)今週に入っていきなり暑くなってきた。それまでは最高気温20℃、朝晩は13℃ぐらいで日中もフリースが離せない温度だったのがいきなり夏日になり、はじめて半袖・短パンで街を歩くことができた。

懸案だったオートパイロットの油圧シリンダーの修理も1日で終わり、今日はのんびりとアムステルダム最後の日を楽しむ。オランダの首都とは言え、中央駅を起点に扇状に広がった町は半径1.5㎞の範囲にほぼ集約されているコンパクトな町だ。トラムとバスと地下鉄が縦横に走り、乗り放題の一日券が7.5€と安いので、観光客にはとても便利。今日は国立美術館でゴッホやレンブラントの絵画を鑑賞し、マーケットでフルーツやシーフードを仕入れた。すでに夏休みシーズンに入っているため、人気スポットは何処も人であふれていた。

広大な湖を渡る

奥に見えるのが、32kmの大堤防

7月21日(木)4日間滞在したAmsterdamを後に、Ijsselmeer(アイセル湖)と呼ばれる広大な湖を北上し、湖の中間点にあるEnkuizenで一泊する。この湖は20世紀半ば、それまで頻繁に起きていた水害から国土を守るために、32㎞もの長さの堤防で湾の入り口を塞ぎ出来上がったものだ。平均の水深は4m前後と浅く、喫水の深い船のために浅いところには浮標が設置されて水路が示されている。翌日はその大堤防の端にあるロックを通り北側の海に出てHarlingenに舫いを取った。

オランダのマリーナや運河を走っていて驚くのは、年代物のヨットが沢山現役で活躍していることだ。鈍重そうな木造船に旧式の艤装がされている船はさぞかし操船が大変だと思うが、きちんと手入れされた美しい船を、若い人から老人までが当たり前に乗りこなしている。大きな船は船長付のチャーターボートとして使用されていて、Harlingenの運河にはそうした船が沢山係留されていた。

オランダ人は一般的に「ケチ」と言われている。美味しいレストランが少ないのは、倹約のために外食をあまりしないからだとか。そのせいか、スーパーマーケットの食料品の充実ぶりはすごく、しかも安い。長年の努力によって海より低い土地の水害を克服し、旧いものを大事に使いながら、水と共生する生活を営むダッチライフは、健全で豊かだと感じた。

オランダ滞在はここが最後、次はドイツに向かう。

今年初めてのオーバーナイト航海でキール運河へ

7月24日(日)、Harlingen入口の水門が開く時間に合わせて、朝9時20分に出航する。

アイセル湖同様浅いWaddenzee(ワッデン湾)を、標識に沿って進み外洋に出る。当初は、145マイル先のドイツ領のHelgolandという島に寄る予定だったが、時間節約のため更に16マイルほど頑張って、エルベ川河口にあるCuxhavenに向かうことにした。今年初めてのオーバーナイト航海だったが、風も穏やかで安定しており、翌日の午後3時前にはCuxhavenのマリーナに舫いを取ることができた。

7月26日(火)、干潮から満ち潮に変わる午後1時半を待って、Cuxhavenのマリーナを出航。16マイル先のキール運河入口、Brunsbuttelを目指してエルベ川を上る。エルベ川は干満の差で最大5ノット近い潮流があるため、ヨットのように小さなエンジンパワーの船は原則、満ち潮に乗って川を上る必要がある。広大なエルベ川は本船の通行も多く、ヨットなどの小さな船は本船航路の外側を走らなければならない。ドイツでは海上交通ルールに違反すると、厳しく罰金を取られるそうで、友人も航路違反で10万円近い罰金を取られたと聞いていたので、当局の無線を常時ワッチしながら、違反をしないように慎重に船の進路を決める。

潮流に乗って予定より早くキール運河入口Brunsbuttelに到着、ロックのオープンを待つ。

結局1時間ほど待たされて、集まってきた10隻ほどのヨットと共に午後5時半過ぎロックを通過する。ロックの中で水位調節を待っている時、前に舫いを取ったデンマークの船から、昨年ポルトガルで会ったことがあると言われた。やはり日本人のヨットは珍しいので良く覚えていたという。Banner Vikingという船のJan & Lotteは、確かに昨年ポルトガルかスペイン北部の漁港で会ったことがある船だ。

今日はロック通過後すぐ隣にあるトランジット・バース(一時停泊所)に停泊する。小さな係留スペースはキール運河を通ってきてこれから南に下る船と、てまりのようにキール運河を北に向かうヨットで超満員。桟橋には三重・四重に船が舫いをとる状態。しかも、ロックが開くとすぐ横の航路を巨大な本船が次々に通過する。キール運河は、北海とバルト海を結ぶ重要な海上輸送ルートと聞いていたが、明日からの運河航行は緊張を強いられそうだ。

7月27日(水)、我々がサイドバイさせてもらったヨットが朝7時半に出航するというので、我々も7時15分に出航、キール運河を北に向かう。途中3か所で赤信号に捕まり、トータルで1時間ほど大型船のすれ違いで待たされたが、それ以外は思ったより本船の数も少なく、沢山の白鳥が遊ぶ運河の旅をのんびり楽しみ、午後2時半運河の中間地点にある、Rendsburgのマリーナに舫いを取った。

海とは異なる風景のRendsburg

Rendsburgは海から30kmほど離れた内陸にある町。やはり海辺の町とは雰囲気が違う。そんなところにヨットで来て滞在しているのが不思議な感じがする。しかし、キール運河を通るプレジャーボートにとって、中間点にあるこの町は貴重な存在だ。夏休み最盛期の今は、頻繁にプレジャーボートがここのマリーナに出入りする。

バルト海の港町Kiel

7月29日(金)Rendesburgを出航して、キール運河の後半を航行しKielに向かう。運河出口のロックで1時間ほど待たされたが、午後3時過ぎKielの町のマリーナに入港する。これで、北海からバルト海に出たことになる。Kielはドイツの軍港として、バルト海の重要な港として知られる町だが、ヨットのメッカとしても有名な町。毎年6月に開催されるヨットの祭典Kiel Weekはカテゴリー別に世界中のヨットレーサーが集まるビッグイベントだ。そうした町にふさわしく、マリーナには往年の美しいヨットが静かに浮かんでいた。

ここKielでドイツに来て初めて、ドイツらしい料理とローカルビールを楽しんだ。

写真は、焼いたソーセージとザワークラウトにライムギパン。ビールはローカルの黒ビールとピルスナー

明日はドイツ最後の寄港地、デンマークとの国境に近いFlensburgに向かう。

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7月10日~7月19日 オランダの運河クルーズ

2016-07-18 | 旅行

ベルギーから運河の国オランダへ

7月10日(日)ベルギーのZeebruggeを出航し、約50マイル先のオランダ・Stellendamに向かう。この辺りから水深10m以下の浅い海が続いている。海の色は濁った黄緑色。東京湾のような色だ。ところどころにある浅瀬を避けて水深が確保された航路を、浮標を頼りに進む。

夕方5時ごろ、跳ね橋とロックを通過してStellendamのマリーナに入港。マリーナの中には子育て中の白鳥が泳いでいて、ここが汽水域だということがわかる。周囲を見渡しても、まったく山がない平地が広がっている。ここからしばらくはオランダ運河の旅が始まる。

国中に運河が張り巡らされているオランダやドイツには、Mast stand routeと言われる、マストがあるヨットでも通行可能な運河がある。それらの運河にかけられた橋はすべて跳ね橋で、ヨット通行時には橋を開けてくれることになっている。

最初の運河クルーズはRotterdamまで

7月12日(火)、昨日は終日強風が吹き荒れたため、一日延期して朝8時過ぎにStellendamのマリーナを出港。30分ほど湖のような場所を走ったあと運河に入る。運河から眺める景色は、羊がのんびりと草を食べる牧歌的な風景に始まり、家並みが続き高層マンションが建つ都会の風景に変わった。

その先は連続して2つの大きな橋を通過するため、無線でブリッジコントロールを呼ぶが返事がない。10分近く待っていると突然橋が開き始めた。振り返ると大きな本船が近づいてくる。この船を通過させるために我々は待たされたようだ。2つの橋を通過して、巨大な本船が通れる大きな運河を右折すると間もなくRotterdamの町だ。

マリーナの手前に再び大きな橋があり、トラムや車が頻繁に通っている。午後2時過ぎに到着しブリッジコントロールを無線で呼ぶと、今度は英語で返答があり、次のオープンは午後3時半だという。きちんと橋の開脚時間をチェックして来なかったのが失敗だった。大きな運河のため頻繁に通るはしけや遊覧船の引き波に揺られながら、近くの岸壁に舫いをとり1時間半近くも待つのはしんどかった。

オランダ第二の都市Rotterdam

7月13日(水)、昨日マリーナに入る前に待たされた橋をトラムに乗って渡り、Rotterdamの中心街に出かけた。第二次大戦で大きな被害を受けた町はモダンで洗練された町に生まれ変わった。少し離れた場所に旧市街がある。そこも同様に被害を受けたが旧い街並みを再現し、オランダらしいレンガ造りの家が立ち並んでいる。

しかし町のにぎわいは断然新市街で、旧市街は歩く人も少なく、立ち並ぶお店も安売り店が多い。旧市街の運河には昔荷物を運んでいたはしけが沢山係留されているが、よく見るとそれらの船は「住まい」として利用されているようだ。

国土の四分の一が海よりも低いと言われるオランダは運河と自転車の国だ。一番高い山は標高300mちょっとで、それも隣国と分け合っているという。大きな町でもいたるところに運河があり、跳ね橋が架けられている。また、坂がないためか自転車が非常に多く、都市の主要道路にはゆったりとした自転車専用レーンが設置されており、電車にも自転車の持ち込みは自由だ。マナーは良く、歩行者専用道路では押して歩いているし、道路の逆走行もない。最近日本では自転車の無謀運転による事故が問題になっているが、行政担当者はオランダの自転車通行の実態を少し勉強するべきだと感じた。

Rotterdamからチーズの町Gouda

7月14日(木)Rotterdamを出航、17マイル先のGoudaに向かう。この運河ルートには3つの橋と1つのロックがある。すべて、それほど待ち時間なく通過することができ、Goudaのマリーナに午後1時過ぎに到着。

Goudaは日本でもおなじみゴーダチーズの生まれ故郷。夏場は毎週、今日木曜日にチーズ市が開かれると聞き楽しみにしていたが、午前中で終わってしまい見ることができなかった。しかし町にはチーズ専門店が沢山あり、試食しながら様々なチーズを手軽な値段で買うことができた。

運河に囲まれたGoudaの町はど真ん中の広場に可愛らしい市庁舎がある素敵な町。周囲の運河には沢山ハウスボートが浮かんでいる。電気も水道も引いており、町から正式な許可を得て生活しているようだ。

日本文化ゆかりの地Leidenを訪問

翌日電車に40分ほど乗ってLeidenという町を訪れた。Gouda同様運河と水路に囲まれた町には、日本にゆかりの深いドイツ人医師シーボルトが住んでいた家があり、現在は日本文化センターとして日本を紹介する展示が行われている。入口の表示から案内板、上映されているビデオのテロップまで、すべて英語と共に日本語で表記されているのに驚かされた。

オランダの運河航行は跳ね橋との戦い

7月16日(土)Goudaのマリーナのすぐ先にある、鉄道が走る橋のオープンに合わせて午前8時15分に出航する。

今日の行程には31もの跳ね橋がある。目的地まで31マイル(約55㎞)なので、平均1マイルに1つあることになる。最初のうちは先行するヨットや本船の後ろについて行き、ほとんど待つことなく橋を通過できたが、次第に増えてきたヨットの数に伴って待ち時間が多くなってきた。更に午後からは風も強くなってきたため、狭い運河の中、待機桟橋もない跳ね橋の手前でエンジンのスロットルを調整しながらブリッジの開脚を待つのが一苦労だった。

跳ね橋は、鉄道や高速道路が走る特別なものを除いて、船が近づくと監視員が見ていて開けてくれることになっているのだが、やはり交通量が多い橋はしばらく待たないと開けてくれない。待ち時間が状況によって大きく違うので大変だ。今日の目的地Spaandamのマリーナに舫いを取ることができたのは午後5時15分。出航してから9時間後だった。

オランダの首都Amsterdam

7月17日(日)SpaandamからAmsterdamまではわずか9マイル足らずだが、アムステルダム手前の橋は交通量が多い自動車道路が通っているため開脚時間が決められており、昨日はやむを得ずSpaandamに一泊したのだ。朝9時15分に出航、自動車道路の橋もすんなりと通過してアムステルダム運河に入ると、そこは大型の貨物船が頻繁に通る巨大運河だった。

午前11時過ぎ、大型船の合間を縫って巨大運河を横切り、町の対岸にあるAmsterdam Marinaに舫いを取る。

国際都市アムステルダム

てまりが停泊したマリーナから町に行くには、徒歩5分ほどの場所にある桟橋から、市が運営するアムステルダム中央駅に行く渡し船に乗る。これが早朝から深夜まで30分おきに運行し、しかも無料で市民の足になっている。巨大運河にはほとんど橋がないため、こうした渡し船が必要なのだろう。

そして、町を歩いて改めて自転車の多さに驚く。駅前はもちろんいたるところに自転車置き場があり、そこらじゅう自転車だらけ。そして運河の多さ。さすがに首都アムステルダムの運河には跳ね橋はかけられていないが、運河も重要な交通路になっていることは間違いない。古くから世界最大の港町として発展してきたこの町は国際色豊かな町だ。イスラムの人たちも多く、オランダが宗主国だったインドネシア・アフリカ・カリブの国など様々な人種が生活しているため、町の色彩がそうなってしまうのだろう。

てまりはベルギーからオランダに渡るときに、オートパイロットをコントロールする油圧ポンプのオイル漏れに気が付き、それを修理するためこの町にしばらく滞在せざるを得ないことになった。

これを良い機会として、様々な顔を持つアムステルダムの町を楽しむつもりだ。

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6月30日~7月9日 イギリス南部Portsmouthからフランス・ベルギーへ

2016-07-09 | 旅行

イギリス王室の御用邸があったリゾートタウンBrighton

6月30日(木)PortsmouthからBrightonに向かう。午後南西の風が徐々に強くなり、Brighton入港時は30ノット近くに達していた。マリーナの入口は砂が堆積して浅く、干潮から2時間後でないと入れない。それに合わせて入港時間を調整して来たのだが、風が次第に強くなり大きな追い波の中、浅く狭い水路を回り込んでマリーナに入港するまではかなりの緊張を強いられた。

Brightonはロンドンから電車で1時間ほどの距離にある人気のリゾートタウン。海沿いにはずらりとマンションが立ち並んでいる。イギリスでも最大規模を誇るBrighton Marinaの奥には、マンションに隣接したプライベート桟橋がありヨットやボートが係留されている。

翌日バスに乗ってBrightonの町に出かけた。国王ジョージ4世が19世紀初頭に40年の歳月をかけて建造したという Royal Pavilion(イギリス王室の御用邸)はインドの豪華宮殿をイメージさせる建造物で、インテリアには中国やインドのインテリアをあしらった部屋が数多くあり、内部の豪華さもすごい。国王の気まぐれで建てられたこの御用邸はその娘の代までしか使われず、現在はBrighton市が買い取り一般開放されている。御用邸と共に発展してきたこの町にとっては大切な宝物なのだろう。

イギリス最後の寄港地Dover

7月3日(日)強風のため3日間足止めされたBrightonを出航して63マイル東のDoverに向かう。Doverのマリーナも入口に堰があり、満潮の前後3時間半しか出入りができない。今日の満潮は午後11時頃なので、午後8時過ぎの到着を目指して出航した。久しぶりに快晴、風も穏やかな西の追い風でのんびりとした航海となった。途中Seven Sistersというチョーク(白墨)でできた真っ白な断崖を通過する。

ヨーロッパ大陸と最も近いDoverは古くから大陸との交易拠点として、またイギリスを守る要衝として栄えた町で、町を見下ろす崖の上には要塞・ドーバー城がそびえる。イギリスと大陸を結ぶユーロトンネルが開通して以降この町はいささか寂れた感は否めないが、フランスと結ぶフェリーが頻繁に往来し、マリーナオフィスは24時間・365日常時オープンしている。頻繁に出入りするフェリーとの衝突事故を避けるため、ヨットの出入港時には必ずポートコントロールに無線で連絡することが義務付けられており、大陸と結ぶ海上ルートの拠点としての存在はいまだに健在だ。

英国国教会の総本山があるCanterburyを訪問

7月4日(月)急行電車で20分のCanterburyに出かけた。世界遺産に登録されたカンタベリー大聖堂は、ローマとイギリス国王の間で発生したキリスト教の歴史的争いの結果、16世紀以降英国国教会の総本山となった。それ以来、敬虔なクリスチャンの巡礼地として、また観光地として様々な国から訪れる客でにぎわっている。町のシンボルはもちろんこの大聖堂。スペイン北部にあるキリスト教三大聖地のひとつSantiago de Compostelaの大聖堂をも凌ぐ壮大な建造物だ。

明日はドーバー海峡を渡って再びヨーロッパ大陸に戻る。10日間のイギリス滞在だったが、ヨーロッパ大陸各国との違いを感じて興味深かった。厳格なルール順守、マリーナオフィスの24時間オープン、電車内でのきめ細かいアナウンスや昼休みのない商店の営業時間など、日本では当たり前だがヨーロッパ各国では考えられないサービスやルールに正直驚いた。考えてみれば、明治以降日本がお手本としたのはイギリスなのでその近似性は当然なのかもしれないが、フランス・イタリー・スペインなど西欧各国とのあまりの違いに驚かされた。一方食事の不味さに関してはイギリス関連諸国共通のものだ。かつて世界に君臨した大英帝国はすべての点で凋落傾向にある一方、日本は様々なところでその存在感を増している。随所で日本に対する「尊敬」なのか「驚嘆」なのか、あるいはジェラシーなのか、他の東洋の国とは明らかに違う目で見られていることをしばしば感じてしまう。

イギリスを離れ、再びヨーロッパ本土へ

7月5日(火)午前9時40分、マリーナのロックが開くのを待ってイギリスDoverの港を出航。ドーバー海峡を渡り、フランス最後の寄港地Dunkerqueに向かう。出航時間が遅かったにもかかわらず潮と風に恵まれて平均7ノットをキープ、ヨーロッパ標準時で午後4時50分Dunkerqueのマリーナに入港。

Dunkerqueは、第二次世界大戦の初期、着々とフランスを占領しつつあったドイツ軍に包囲され、ここに居た34万人という大量の連合軍をイギリスに無事撤退させた大作戦で有名な町だ。大型艦船も入れる安全な港を持つDunkerqueは当時も今も、フランス北部の海上輸送の拠点として、またイギリスと結ぶフェリーの基地として、そしてプレジャーボートのベースとしても重要な位置を担っている。

この町は1940年のドイツ軍の攻撃で壊滅的な被害にあったというが、奇跡的に被害から逃れた大聖堂の隣にある鐘楼から眺める景色は、レンガ色の屋根が広がるヨーロッパらしい町並みだった。

港の奥に係留された大きな帆船は、第二次大戦後ドイツから町を破壊した代償として提供されたものだそうだ。

この町を中心にノルマンデイー地方が、第二次世界大戦の幕開けと幕引きに大きな役割を与えられた場所。その事実を歴史的に語り継いでいきたいという気持ちがDunkeruqueの町の随所に様々な形で見られた。

フランスからベルギーへ

7月8日(金)フランス最後の寄港地Dunkerqueを出航し、40マイル先のベルギーZeebruggeへ向かう。

ここもDunkerque同様ベルギーの重要な海上輸送拠点となっており、港の奥にあるマリーナに行くためには出入港する本船を優先させなければならない。てまりの入港時、ちょうど出航してくる船がいてハーバーコントロールの船が近づいてきて「航路を開けろ」と怒鳴られた。

水の都Brugge

翌日、トラムと電車を乗り継いで15㎞ほど離れたBruggeに出かけた。周囲を掘割で囲まれ町中にも水路がいくつも走る水の都Bruggeは、中世の面影をそのまま残す観光スポットとして大人気の町。てまりが停泊しているZeebruggeは「海のBrugge」という意味で、跳ね橋をいくつも超えて大きな船が通行できる運河がBruggeと結ばれている。町を歩くと、オランダ風の建物があり、レストランにはフランスの美味しそうな料理が並ぶ。ゲルマンとラテンの異なる民族で構成されるベルギーは、小国ながらEU本部が置かれ、その存在感を示す国家を形成してきた国の歴史が、町の景観や食文化に表れている。

町の中心部には様々なベルギービールを売る専門店や、Godivaをはじめとするチョコレートショップが軒を連ねている、ベルギーという国が凝縮された楽しい町だ。

ベルギー滞在はわずか2日間。明日はオランダに向かう。

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6月20日~6月29日 フランス・ブルターニュからイギリス南部へ

2016-06-29 | 旅行

ブルターニュで一番人気の町Saint-Malo

6月20日 Treguierを朝6時半過ぎに出航、57マイル東のSaint-Maloへ向かう。Saint-Maloの目指すマリーナは堰の中にあるため、満潮の前後2時間半以内でないと出入りができない。今日午後の満潮は8時過ぎなので、その時間に合わせて時間調整をしながら走り、午後5時半過ぎに堰の入口に到着。午後6時過ぎマリーナに入港することができた。大潮の今日は干満の差が12mもある。ロックの中で待機すると、はるか見上げる位置にあった岸壁がみるみる目線の位置まできた。ロックの中で4階建ての高さを上がったことになる。

Saint-Maloはブルターニュ7聖人の一人の名前。我々が訪問したVannes,・Treguierとともにトロ・ブレイスと言われるブルターニュ地方の7つの巡礼地のひとつで、旧市街の真ん中にある大聖堂は、窓がすべてステンドグラスの美しいゴシック様式の教会だ。

てまりが停泊したマリーナPort du Vaubanは旧市街城壁のすぐ外側にありロケーションは抜群

日本からのフランス観光ツアーが例外なく訪れるモンサンミシェルは、ここから40kmほど東に行ったところにあるが、Saint-Maloはほとんど知られていないようだ。周囲を城壁で囲まれた旧市街にはおしゃれな店やレストランが立ち並び素敵な街並みを形成し、ブルターニュで最も人気の観光地となっている。イギリスからのフェリーも頻繁に往来しており、イギリスナンバーの車や観光客が目に付く。

最高の牛フィレステーキの部位に付けられる「シャトーブリアン」という名前は、18世紀にここSaint-Maloで生まれた美食家Chateaubriandが、自ら選んだ極上フィレ肉を好んだことから、その名前が付けられるようになったそうだ。

イギリス王室の属領Guernsey島へ。リフトキールで思わぬ恩恵

6月22日(水)ロックのオープンに合わせて朝7時過ぎSaint-Maloのマリーナを出航、53マイル北にある、チャネル諸島のひとつ、Guernsey島に向かう。午後5時過ぎ、無線で島のポートコントロールにコンタクト。午後6時指示された、首都St. Peter PortにあるVictoria marinaのウエイティングポンツーンに舫いを取る。ポンツーンにはすでに10艇以上のヨットが、潮が満ちるのを待って待機中だった。

約1時間後マリーナのテンダーが近づいてきて、ついて来いという。なんと一番後に到着したてまりが最初に指名されたのだ。理由は、てまりがリフティングキールで喫水を浅くできるためだった。キールを揚げるように指示され、我々よりはるか前から待っていた他艇の強い視線を感じながら一番乗りでマリーナに入港。

Guernsey島を含むチャネル諸島は、英王室の属領であるが英連邦の一部ではない。従ってEUにも加盟しておらず、ヨーロッパでは知られたタックスヘブンの島だそうだ。

マリーナでデンマークのヨットと再会

てまりを係留したポンツーンを歩いていると、「日本から来たのかい?」声がかかった。「我々は日本から来たけどヨットはスペインから」と答えると、以前に「てまり」と会ったことがあるという。船もオーナーカップルも見たことがあるようだが思い出せない。先方も何処で会ったか記憶が定かでなかったのだが、真理が日記を見て、2013年シチリアのマリーナで出会った船だということを思い出した。僕もブログを辿って記憶が蘇った。彼らにとっては、ヨットでヨーロッパを航海している日本人は珍しかったので記憶に残っていたという。

デンマーク人のNonneとJorgenは2006年から毎年9か月近くを船で過ごしており、大西洋を2度往復横断しているベテランセイラーだ。我々は今年デンマークに船を置いてくる予定なので、デンマークのマリーナ情報など色々と教えてもらうことができ大助かりだった。

イギリス海峡を横断してイギリス本土へ。

6月25日(土)早朝6時にGuernsey島を出航、進路を北に取りイギリス海峡を横断して、71マイル先のイギリス南部のWeymouthに向かう。Weymouthのマリーナは手前に橋があり、朝8時から夜9時の間、2時間ごとにしか開かないため午後6時のオープンに間に合うように早めに出航した。風も潮も順調で到着まであと2時間足らずという時にマリーンナビゲーションがさらに1時間も早い到着予定時間を示している。??と思い調べてみてイギリス標準時はヨーロッパ中央時間より1時間早いことに気が付いた。マリーンナビの機材はそれを理解していて到着予定時間を現地時間で表示していたのだ。Guernsey島もイギリスの領土なので、我々はこの3日間1時間早い時間で行動をしていたことになる。

Weymouthは前回のロンドンオリンピックでヨット競技が開催された場所。当たり前の話だが、街並みもレストランやパブなどの飲食店もイギリスそのもの。イギリスは真理にとっては初めて、僕も仕事で数十年前にロンドンに一度立ち寄っただけなので、ヨーロッパ本土の国々に慣れた目には新鮮だ。パブでビールを飲んでいると近くにいた人が読んでいる新聞の一面にキャメロン首相の顔写真が大きく掲載されていた。イギリス連邦の意見を2分したEU脱退の決断は国内でも大変な話題になっているようだ。

イギリス最大のヨット基地へ

6月27日(月)午前8時のブリッジオープンと共にWeymouthを出航、56マイル東のPortsmouthに向かう。途中通過するSolent海峡はすぐ南のWight島との間にある、潮の流れが速いので有名な場所。我々が通過した時は追い潮で最大10ノットのスピードを記録した。この周辺には沢山のマリーナがあり、イギリス最大のヨットベースとなっている。毎年8月にここで開催される世界最大のヨットレースCows Weekはヨットマンに知られたビッグイベント。ここSolent海峡で1826年たった7隻のヨットが200£の金杯を争って始まったレースが、今やサンデイセーラーからオリンピッククラスのヨットマンまで8000人を超える参加者を擁するビッグイベントになった。世界最高峰のヨットレースとされるAmerica’s Cupも1851年に開催されたWight島一周レースが始まりという、世界のヨットマン憧れの聖地だ。

Portsmouthのマリーナに舫いを取ると、すぐ前に日の丸が付いた巨大なレース艇が居る。よく見ると、現在世界一周単独無寄港レースに参加中の白石康次郎氏が2006年~2007年に開催された世界一周ヨットレースに参戦し、2位入賞を果たしたSpirit of Yukoだった。

大英帝国の誇り、ネルソン提督の軌跡とVictory号を見学

Portsmouth Historic Dockyardは、大英帝国が最強の海軍力を誇った時代の歴史がちりばめられている、かつての造船所。その中に19世紀初頭にナポレオンのイギリス本土進攻を阻止した、トラファルガー海戦の総指揮を取ったネルソン提督の旗艦Victory号が保存されている。Victory号は地中海からインド洋、カリブ海に至る広大なエリアを航海した巨大な帆船だが、実際に船の中を見て回ると、最大800名を超える乗員が乗り込んでいたという船上の生活は、想像を絶する厳しいものだった。

大西洋で沈没したタイタニック号が出航した町、Southamptonを訪問

6月29日(水)今日出航予定だったが天気予報で強風が予想されたため明日に延期し、Southamptonまで出かけた。電車で一時間のこの町もヨットの基地として有名な町。また、あのタイタニック号が最後に出航した港でもある。予報通りの雨と強風と寒さのため、町歩きもままならず、16世紀に建築されたこの地方の代表的な建物Tudor Houseなどを見学して早々に引き上げる。

明日は40マイルほど東にあるリゾート地Brightonに向かう予定。

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てまり、今年の航海にいよいよ出航

2016-06-19 | 旅行

6月10日((金)11時30分、Arzalのロックを通って出航する。ロックがオープンする時間はあらかじめ決められているが、潮の関係で毎日違うためガイドブックを見る必要がある。もらったガイドブックはフランス語だったのでうっかりと月を見間違えてしまい、10時にスタンバイしていたが一向に開かず、マリーナに無線で問い合わせて間違いに気が付いた。おかげで1時間のロス。今日の目的地までは32マイル。午後から風が強くなる予報で案の定午後3時ごろから西風が強まり、逆風の中今日の目的地Port Haliguen到着は夕方5時半になってしまった。

翌日はLoctudyまで53マイル。終日西の強風が予測されたため午前6時15分に出航したが、逆潮と逆風のためスピードが稼げない。ほぼ12時間かかり午後6時、Lactudyのマリーナに舫いを取る。

船に水を補給しているとき、前に係留している船から声がかかった。オーナーのJeanは現役時代仕事で頻繁に来日していたという親日家だった。我々の今後の航海予定を聞くと、「ブルターニュは潮の流れが速いところが多いから気を付けろ」と、チャートを広げて難所のポイントを教えてくれた。

6月11日(土)来週火曜日までは西寄りの強風が続くという予報のため、今日も朝6時に出航して51マイル先のMorgetに向かった。その途中通過する、Raz de Seinという海峡はJeanに言わせると「フランスで一番危険な海峡」。周辺の岩礁地帯と狭い海峡によって最大12ノットにも達するという潮の流れと大きな波が立つことがあるという。北に向かうなら満潮の前に通らないとダメだと言われたが、明日の満潮は午前11時なので間に合わない。潮は小潮なのでなんとかなるだろうと腹を括った。

翌12日(日)早起きしてLoctudyを午前6時出航。外は雨、どんよりとした雨雲が気持ちを暗くする。

予報どおり西の強風が続く。問題のRaz de Seinは12時半ごろの通過になりそう。その時の潮流は南流2ノットとなっていた。海峡に近づくにつれて艇速が落ちてきた。海峡通過時はエンジンの回転を上げ、セールも大きくして速度を増そうとするが、艇速は2ノット台まで落ちる。幸い波は大したこともなく、横風のため安定して走ることができ、午後1時10分無事「フランスで一番危険な海峡」を通過し、今日の目的地Morgatには午後4時過ぎに到着。

軍港の町Brestで日本のヨット仲間とランデヴー

6月13日(月)Alzal出航以来4日連続の移動だが、午後からの強風予報のため、午前7時前に出航しBrestに向かう。Brestはフランス最大の軍港である港湾都市だ。

午前11時過ぎBrest着。マリーナでは日本艇Crow’s Nestの若尾さんと長尾さんが迎えてくれた。長尾さんはてまりが一昨年カリブ海までの大西洋横断で助っ人として乗ってくれたベテランセイラー。若尾さんは一昨年Crow’s Nestでアメリカから大西洋を渡りそのままノルウェーまで北上、昨年はスウェーデンから下ってきてここBrestに船を置いて帰国、最近戻ってきたところ。これからは、我々と逆に南下して、てまりの母港であるスペインのAlmerimarまで行く予定。一方我々は、Crow’s Nestが昨年通ってきたルートを逆にたどってノルウェーまで行くので、色々と情報交換ができてありがたい。午後になると急に風が強くなり、夕方からは暴風に変わった。てまりは強風が吹き始める前に到着でき、ホッと胸をなでおろす。

フランスの寿司職人の手料理をごちそうになる

若尾さんが、こちらで知り合ったというBrestで人気の寿司店を経営するグザビエの自宅に招かれていて、我々もご相伴に与かることになった。グザビエは寿司の修行のため何度も来日しており、その時知り合ったのが奥さんのミカさん。今日の料理はすべてグザビエの手料理。えりすぐりのオーガニックワインとともに美味しい料理と楽しい時間を過ごすことができた。

6月16日(木)昨日からCrow’s Nestに2人のクルーが加わった、パリに住む橋本さんと季久代さんは現在42フィートのカタマラン艇をフランスのメーカーに発注しており、来年2月に進水予定とのこと。てまりもCrow’s Nestも明日出航するため、全員で肉が美味しいと評判の店でランチ。肉屋を兼ねたお店には、加工肉など美味しそうな肉が並んでいる。今日のランチはオードブルがスモークハムのサラダ。メインは牛肉のワイン煮込み。どちらもたっぷりの量と抜群のおいしさでおなか一杯になってしまい、夜は軽めの雑炊しか食べられなかった。

ブルターニュの潮に泣き、潮に笑う

6月17日(金)午前7時、4日間滞在したBrestを出航し北に向かう。早朝にもかかわらず長尾さんが見送りに出てくれた。途中ブルターニュのヨッティJeanから注意された、もう一つの海峡Chenal du Fourを通過するが、潮時が良かったため全く問題なく通過。その後も潮と風に恵まれて船足を延ばし、当初予定していた目的地を変更して62マイル先のRoscoffに向かうことにした。Roscoff到着は午後5時半。62マイルを10時間半で走破。平均時速6.3ノットはかなり速いペースだった。

6月18日(土)今日は40マイル先のTreguierという、Jaudy川を6マイルほど遡ったところにあるマリーナまで行く。7時半出航したが、午前11時の満潮までは逆潮で艇速は3-4ノットとなかなか延びない。ようやく目的地に入る河口にたどり着く少し前から追い潮になる。川を遡る間は2ノット以上の追い潮に乗って午後3時半Treguierのマリーナに舫いを取る。

川の途中には干上がった沿岸に停泊している船が随所に見られた。ブルターニュ地方の干満差は、大潮では12mに達するところもあるそうで、当然のことながら潮の流れも速いので十分な注意が必要と言われていたが、この数日で嫌というほど思い知らされた。

Treguierは小さいが、キリスト教巡礼地の一つになっているゴシック様式の壮大な大聖堂がある素敵な町。ここで一日休養して20日(月)ブルターニュの人気スポットSt. Maloに向かう。

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日本出発、てまりが待つフランス・Arzalへ

2016-06-07 | 旅行

5月28日(土)羽田発11:05の全日空便でフランス・シャルルドゴール空港へと飛び立った。日本の航空会社の国際線に乗るのは数十年ぶり。最新鋭の機体で驚いたのは、トイレが洗浄機付きだったこと。最近は公衆トイレでも付いているところが増えたが、まさか飛行機までとは・・・・あらためて日本のトイレ事情の良さに感心する。

同日16時半、雨模様のシャルルドゴール空港に到着。毎度のことながら食料品などで満杯のスーツケース2個と段ボール2個の大荷物のため、予約しておいたレンタカーに積み込んで18時少し前に出発。フランス北西部・ブルターニュ地方にあるArzalまではパリから500㎞近くあるので、今日は中間点にある、24時間耐久レースで有名なLe Mansに一泊する。

道に迷い到着が大幅に遅れる

Le Mansまではパリから200㎞ちょっと。午後8時過ぎに到着できると想定していたのだが、パリ周辺の渋滞と、Le Mansに入ってから道に迷い到着が午後9時近くになってしまった。オプションのカーナビをケチりGoogleマップで検索したドライブルートをプリントアウトして、真理にナビゲーターをやってもらったのだがLe Mansの町で道に迷い、店に飛び込んで教えてもらいようやくたどり着くことができた。真理からも何故カーナビを付けなかったと怒られてしまい反省。

5月29日(日)Arzal到着

雨が降り続くLe Mansでの観光をあきらめ、午前9時過ぎにホテルを出発一路Arzalに向かう。今日は昨日の反省から、しっかりとルートを頭に叩き込み、ipadの位置情報をバックアップにしてナビゲーションを行ったため、午後1時過ぎに無事Arzalに到着することができた。

Arzalは何もない小さな田舎町だが、大西洋から数マイル遡上しヨーロッパ全土を結ぶ運河網のひとつであるLa Vilaine運河の入口のロック周辺にはたくさんのヨットが係留され、沿岸には数多くのヨットの修理工場が立ち並び、フランスでも有数のヨットベースを形成している。

てまりはまだ修理が終わらないため、近くのコテージスタイルの宿泊施設にチェックイン。広大な庭を散策していると、なんと蕨の群生を発見。ちょっと時期が遅かったが、それでも食材に十分な量を採ることができた。食べてみると、日本のものより若干えぐみが強いが美味しくいただけた。

旧友と4年ぶりの再会

6月1日(水)、2012年にてまりが参加したEMYR(東地中海ラリー)で一緒だった、フランス人Marie-Christineが我々の居るすぐとなりのボートヤードで船を整備中と知り4年ぶりに再会、近くのレストランで美味しい夕食を食べながら、その後の近況などを語り合った。若いころからヨットレースに夢中だったという、我々と同年代の彼女は、10年ほど前までシングルハンドの長距離レースに参加していたバリバリのヨットウーマン。最近購入した船齢42年の旧船を整備中で、再びその船でエーゲ海に行く計画中という。尽きることのないヨットに対する情熱には頭が下がる。

ブルターニュの中心都市Vannes

6月2日(木)、パリの空港で借りたレンタカーを返すため、30kmほど離れたVannesに行く。人口13万人ほどの小都市だが、城壁に囲まれた旧市街や、独特の木組みをあしらった塗り壁が特徴の旧い家が立ち並ぶ素敵な町。町のレストランはブルターニュの郷土料理ガレットを売りにした店が多く我々も久しぶりに本場のガレットでランチ。

ここで日本人カップル、松崎ヒロさんとカコさんと落ち合う。彼らは20年以上前からヨットで世界中を回り、最近はArzalの少し上流域に船を置いている大ベテランだ。昨年Arzalに到着した時も色々とお世話になったが、今回もVannesからの帰りは松崎さんの車でArzalまで送ってもらい大助かりだった。

大がかりなてまりの修理

てまりの修理を依頼しているArzal Nautiqueはメーカーの指定修理工場で、ここで修理されているのはすべて、てまりと同型艇Alubat社のOVNIシリーズだ。この船固有の問題を熟知しているため、要修理個所のチェックと修理を依頼した。結果としてかなりの費用がかかったが、大きな問題点はほぼ解決したと思う。

エクゾーストパイプの周辺は完全に腐食。カリブ海で修理してもらったが再発し、周辺をすべて溶接して修理

エンジンを釣り上げて、海水で腐食した下回りをすべてクリーンアップ

6月7日(火)

今日船を修理工場からマリーナに戻し、大きな修理を行ったエンジン・ジェネレーターなどの最終チェックを行い、問題がなければあと数日で出航できそうだ。

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