翻訳通訳研究

翻訳研究と通訳研究の最先端の話題と情報を提供

お知らせ

新刊『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくは。こちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

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関東支部第47回例会のお知らせ

2018年01月04日 | 催し
間もなく開催される関東支部第47回例会のお知らせを再掲します。

国際シンポジウム「世界における翻訳通訳教育の現状」

日時:2018年 1月13日(土) 13:00-18:00
場所:立教大学池袋キャンパス太刀川ホール記念ホール3F
プログラムの詳細はこちらををご覧ください。

参加費無料ですが、事前申込が必要です。
翌日1月14日(日)に行われる立教大学異文化コミュニケーション学部主催の国際シンポジウム「通訳者・翻訳者養成プログラムにおける体験学習の機会と課題」もあわせて、ぜひご参加ください。

お問合せ先:立教大学・武田珂代子  kayokotakeda@rikkyo.ac.jp

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日米繊維交渉“善処します”誤訳伝説

2017年09月20日 | 翻訳研究

檜誠司さん(ジャーナリスト、英日翻訳・研究者)がJapan In-depthに「日米繊維交渉“善処します”誤訳伝説」という記事を4回にわたって連載した。先に『通訳翻訳研究への招待』に「「善処します」発言の誤訳問題の一考察」という論文を寄稿しているが、今回は一般向けに、しかし内容は加筆して書いている。「善処します」をめぐる都市伝説を打破する重要な論考であり、写真も豊富で読みやすい。まだ読んでいない人に一読をお薦めする。

(第一回から第三回まではリンクでたどれるが、第四回へのリンクがないので、以下に4回分のURLを書いておきます。)
http://japan-indepth.jp/?p=35492
http://japan-indepth.jp/?p=35649
http://japan-indepth.jp/?p=35775
http://japan-indepth.jp/?p=35887

 


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Interpreting最新号

2017年08月22日 | 通訳研究

しばらく前に Interpreting: International Journal of Research and Practice in Interpreting のvol.19 no.1が届いていたのを忘れていた。目次とabstractsはこちら。最初の論文はドイツ語から英語への同時通訳(とシャドーイング)では、文脈と遷移確率のどちらの要因が大きいか、という問題を扱っている。二番目のは同時通訳においてhedgeはオリジナルスピーチよりすくないのではないか、女性通訳者のhedgeは男性よりも多いのではないかという仮説の検証である。顕著なのは三番目の逐次通訳の流暢性についての論文も含めて、どういうわけか理論的考察がほとんどないことである。とりあえず適当な仮説を立てて実験的に検証し、統計処理でおしまいというパターンになっている。これは困った傾向だと思う。

未刊だがvol.19 no.2の内容もここで分かる。


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日本通訳翻訳学会第18回年次大会のお知らせ

2017年08月14日 | 催し

本年度の日本通訳翻訳学会年次大会は2017年9月9日(土)・10日(日)の両日、愛知大学(名古屋キャンパス)で開催されます。名古屋駅から歩ける距離です。
大会のプログラムと非会員の参加申込書、前日の9月9日(金)に行われるプレ・カンファレンス講義についてはこちらをご覧ください。


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柴田耕太郎『決定版翻訳力錬成テキストブック』

2017年08月06日 | 

柴田耕太郎さんから『決定版翻訳力錬成テキストブック:英文を一点の曇りなく読み解く』(日外アソシエーツ)をいただいた。12年前にハードカバーで出た『翻訳力錬成テキストブック』の新版である。620ページを越すそのボリュームにまず圧倒される。また、旧版は増刷1回で絶版にしてもらったという。その理由は100題のうち一箇所に納得のいかない部分があったためというから驚く。

全体は「論理的な文章を読む」、「感覚的な文章を読む」、「平明な文章を読む」、「学術的な文章を読む」、「難解な文章を読む」の5部構成で、それぞれに20の課題が収められている。各課題は、まず10行程度の英文と出典が提示される。次のページには詳細な構文分析があるが、ここは旧版にかなり手を入れて、より精緻になっている。次にその4倍ものスペースをとった語釈の部分があるが、ここでは可能な限り文法事項も取り入れている。その後、3種類の訳文が示される。まず「原文に即した訳」(直訳に近い訳)があり、続いて「モデル訳文」が来る。さらに「サンプル訳と訂正」として、訳例に対する添削が置かれる。おそらくこの部分が
本書の最大の特長であろう。翻訳の指導には欠かせない詳細な添削によって、はじめて読者は自分の訳文をどのようにすれば翻訳になるのかを体得できるからである。

このような翻訳を志向した類書は実はそれほど多くない。たとえば本書を行方昭夫(2016)『英文翻訳術』(DHC)(これもいい本なのだが)と比べてみると違いがはっきりする。まず行方本には構文分析はなく、語釈と説明も少ない。「試訳」と「翻訳」を並べて少し翻訳について説明しているが、「試訳をどうすれば、読みやすい翻訳にまで仕上げられるか」(行方本の「はじめに」)がストンと腑に落ちるというところまでは行っていないのである。(いわゆる英文解釈やリーディングを謳った本ではほとんどの場合訳例はひとつしかない。訳を小さな活字で巻末にまとめたものさえある。)

最後に「今回のトピック」と「研究」があり、さらに文法事項や語法が説明される。著者は「学校英語の一歩先、英語学の一歩手前を心がけた」と言うが、この部分もたとえば接続詞 because, as, since の情報構造など、新しい知見がちりばめられている。翻訳志望者にはとくにお薦めする。

(写真は左が旧版、右が新版。)


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「おまえはそれでも日本人か」

2017年07月08日 | 通訳研究

朝日新聞(2015)『おまえはそれでも日本人か:米軍元通訳の被爆者、70年の引き裂かれた思い』(朝日新聞社)。長崎で原爆に遭遇し、佐世保の米軍キャンプで通訳として務めた川内豊さんへの取材をもとにまとめた小冊子。戦中もそうだが戦後も、日本人にとっては庶民レベルで否応なく異文化・異言語に接触した、させられた時期だったろう。川内さんはキャンプで英語をおぼえて通訳になる。ベトナム戦争時にはマリファナに手を出した若い兵士の裁判のため、裁判所で通訳に当たり、1968年、佐世保に原子力空母エンタープライズが入港した際、抗議に来た国会議員代表に米軍側の窓口として応対し、議員から「おまえはそれでも日本人か」と罵られる。



川内さんの例のように、通訳者はさまざまなジレンマに直面する。コミュニティ通訳の場合は日常茶飯事だろう。外国の有名な事例ではウクライナの手話通訳者Natalia Dmytruk さんがいる。彼女は2004年の大統領選挙の開票をテレビで手話通訳していたが、突然「ウクライナのすべてのろう者に訴えます。我々の大統領は Victor Yushchenkoです。中央選挙管理委員会の発表を信じないでください。全部うそです。わたしはそんなうそを皆さんに通訳するのが恥ずかしい」と「通訳」した。この選挙では親ロシア派の現職大統領側が票の操作を行っていると噂されていた。結局当選したのはYushchenkoであった。いわゆる「オレンジ革命」である。また、2008年、アイオワ州ポストビルの食肉包装工場で400人ほどのグアテマラ人労働者が不法入国で逮捕されたことがあった。この時罪状認否などの通訳に当たったErik Camayd-Freixasは、甚だしい権利侵害を座視できず、倫理綱領を破ってテレビや新聞でその状況を証言する。ここでその話が聞ける

会議通訳の場合は普通は守秘義務ぐらいしか問題にならないが、先日紹介した『初期原水爆禁止運動聞き取りプロジェクト記録集成』にはスピーカーの話に抗議した森 百合子さんの証言が出てくる。
〇森 「私は1回だけですがこんなことがありました。通訳の鉄則というのは、絶対に自分の意見を話してはいけないわけですね。私は誰かの口なんですから。私自身の口はないわけですから。そしたらですね、北京女性会議のある分科会でアメリカ人の女の人が原爆についての話になった時に、「原爆を落としてやったから戦争が終わった」と言ったんですよ。その時に私は爆発しましてね。それで、「こういうふうに彼女は言いました。だけど通訳は別の考えです。私自身は被爆者ですが、そうは思ってません」って言ったら、それが大問題になりましてね。通訳が個人的意見を言ったというんで。でも私は言わずにはいられなかった。どんなそしりを受けても何て言われてもいいです。クビにして帰れと仰るんなら帰りますと。」森さんのような例は、会議通訳においても倫理規定が人間的現実を掬いとれないことを示している。

 



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原水禁運動と通訳者

2017年07月05日 | 通訳研究

戦後日本の通訳者の流れのひとつに原水禁関係者がいる。これについてはあまり証言や資料がなかったが、初期原水爆禁止運動聞き取りプロジェクト編集(2012)『初期原水爆禁止運動聞き取りプロジェクト記録集成』(ピープルズ・プラン研究所)というのがあるのを知った(現在はCD-ROMで入手可能)。この中に原水禁世界大会を担った「通訳団」について詳しい証言がある。日本戦後通訳史の貴重な資料だ。500ページ以上あるがほんの少しだけ紹介しておく。
まず通訳団はほとんどが大学生だったこと。東京外国語大学と津田塾大学の学生が中心だったようだ。ボランティアではなくアルバイトであり、会場案内のような補助的な仕事ではなく、各国代表の演説の通訳だった。募集後、合格者は早稲田大学に借りた教室で2-3週間の特訓を受ける。

「通訳を募集すると、優秀なのがたくさん寄ってきましたよ。落とすのに苦労しましたからね。また、既に活躍していた人たちも参加してきましたね。佐藤敬子さんは、土井たか子の通訳をやって、もう亡くなりましたけれど、すばらしい女性でした。それから、秋葉忠利広島市長もそうですよ。第4回大会のときでしたかね。TV キャスターの山川千秋もいたな。浅野輔や有馬真喜子もそう。サイマルインターナショナルを起こした小松達也もいました。」
「○藤原 通訳講座の時に通訳のツボというか、やるときにはこことここが大事というこう何か秘訣のようなものっていうのは、どう伝えられたんでしょうか。
○森 何を勉強したんでしょう。暑かったことしか覚えてない。
○滝沢 そういうコツというのは特に教わっていないですね。2人の先生が交代で英字新聞とか、英文雑誌のある部分や社説とか読むわけですよね。それで要旨を把握できるかどうかというので、読んだ後、どんな内容だったか言えっということで、それで自分が聞き取れたことを言うと、よしよしって、だんだん当たっていくというふうですよね。
○森 それから、あれは今から思えば逐次通訳の一番基礎を教えられたと思うんですけれど、いったん休んだらそこまでに聞いたことを正確にちゃんと日本語にして。正確に簡潔に言いなさいって言われましたよね。
○滝沢 ゆめゆめ、原水爆賛成ってだけは言うなってね。
○森 そうそう。‥‥賛成ってだけは言うなってことで。
○滝沢 後はもうね、そんなに細かい指導はなかったように思います。」
「福井治弘は、あのときの日英の通訳のナンバーワンでしたね。一番優秀なのは福井と浅野輔、光延。光延はちょっと後ですけどね。とにかく一流だ、能力があった。それから小松ね、サイマルの。」


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1950年代の通訳文献-Leon Dostertに会った日本人

2017年06月20日 | 通訳研究

戦後日本の通訳文献は、外務省終戦連絡中央事務局監修・外務省通訳養成所編纂(1946-1949)『日米會話講座』(日米會話講座刊行会)、大谷敏治・五十嵐新次郎・藤本勝(1947)『通譯・ガイド手引きと心得』(語學出版社)、岡崎熊雄(1947)『通訳概論』ライト・ハウス出版部)に始まるが、そのあと福井治弘・浅野輔(1961)『英語通訳の実際』(研究社)が現れる間の1950年代が空白になっている。考えてみればこの10年は、西山ラインはようやく同時通訳に手を染め始め、国務省グループはアメリカで修業中、浅野らの原水禁グループが活動を始めるのは1955年の第1回原子力禁止世界大会以降である。斎藤美津子のICU着任は1957年で、当時は通訳ではなくスピーキングを教えていた。つまり主要なプレーヤーたちはまだ力を養っている時期であり、通訳について何かを書くという状態ではなかったのだろう。

成書は見つからないものの雑誌に書かれたものはある。春木猛は会議通訳者養成の必要性について『英語青年』に書いている。(春木猛(1957)「会議通訳者の養成」『英語青年』103/12)。これは当時青山学院大学法学部の助教授だった春木が、国際ペン大会やICAOの会議などのために来日したジュネーブの通訳者の話を聞き、またアメリカのジョージタウン大学を訪れて見聞した感想として、日本でも、大学、大学院レベルで会議通訳者の養成が必要ではないかと提言したものだ。春木がジョージタウン大学を視察したのは1950年のことで、翌年、青山学院大学文学部紀要『英文学思潮』(vol.24/2)に「米國のLanguage Laboratory」という訪問記を書いている。ジョージタウン大学のInstitute of Languages and Linguisticsに赴いた春木は、DirectorであるLeon Dostert教授に同時通訳ブースに案内される。しかし、このLeon Dostertこそニュルンベルク裁判の同時通訳と国際連合の通訳体制を作り上げた中心人物であることを、おそらく春木は知らなかった。


(右のネクタイの人物がLeon Dostert。これは通訳ブースではなくLL。)




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日本初の同時通訳(その2)

2017年06月19日 | 通訳研究

前回、『通譯・ガイド手引きと心得』における大谷敏治の証言を取り上げたが、そこに出てくる米国教育使節団の来日とその報告書は、戦後日本の教育界では非常に重要なものであったらしい。鈴木栄一(1983)『日本占領と教育改革』(勁草書房)、久保義三(1984)『対日占領政策と戦後教育改革』(三省堂)、土持ゲーリー法一(1991)『米国教育使節団第の研究』(玉川大学出版部)といった本格的な研究書も出ている。この中で、久保義三の本の中に、アメリカ教育使節団の詳細な活動日程表がある。それによると大谷の言う「総会」は都合9回開かれている。しかしいずれの本にも通訳についての記述はなく、同時通訳が何回目の総会に使われたのかはわからない。ただし、1回目と9回目だけは除外できる。1回目については、大谷が「第何回かの総会」と言っているし、9回目は京都で行われているからである。従って大谷が「同時通訳」したという総会は1946年3月8日、9日、12日、13日、14日のいずれかということになる。(8日と9日は午前と午後に2回ずつ開かれている。)場所は華族会館だったという。


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日本初の同時通訳

2017年06月09日 | 通訳研究

一般に日本における同時通訳は1950年に西山千さんと相馬雪香さんによって行われたということになっている。しかし、大谷敏治・五十嵐新次郎・藤本勝(1947)『通譯・ガイド手引きと心得』(語學出版社)には、すでに1946年に同時通訳が行われたという証言がある。著者の一人、大谷敏治は東京外事専門学校(東京外国語学校(現東京外国語大学)が1944年から一時改称されたもの)の教授であったが、大谷の執筆部分に次のような記述がある。(旧字、旧かなは現代表記に改めた。)



  「国際連盟以来、国際会議の多くなるにつれて、また用いられる公用語が英語とか仏蘭西語であるのに、通訳さるべき言葉は七十幾つの加盟国の言葉全部というのでは、通訳のためにおびただしい時間がかかることになる。そこで新しい通訳技術が発明利用されてきた。それはdictaphoneの応用である。日本でも昭和二十一年三月、米国教育視察団の来朝した時第何回かの総会の席で最初に使われた。そして筆者は、当日、当番の通訳者ではなかったのであるが、担当者の不参で、俄かにその仕事にあたって、大いにあわててそしてそこは心臓なんとかやってのけた―というとすさまじいが、まあお茶をにごした―その経験をお話ししよう。その後用いられたことも聞かないけれど、やがて、各国の代表列席の国際会議など、かならずやこの方法が日本でも採られようから。」(p.16)

この後使用した機器についての説明があり、それに続いて実際の通訳のやりかたを説明する。

  「話し手はやがて開口一番、どんどん話し出す。普通のように途中で切らない。それが標準英語であるところの、Middle-westのspeedyな、intonationの平板な調子で、どんどん語りつづける。通訳者は一方にこれを耳で、じかに聴きながら、その意味を直ちにとって、これを日本語に直して、自分の前のマイクを通じて聴衆にー英語の判らぬ人々へ―送ってゆく。丁度話し手の語り終る時、通訳者もまた通訳し終る。時間はこのために少しも余計にかからない。また語り手の終るたびに日本語の通訳をきかねばならぬという、語り手、通訳者の、間の悪さもなくてすむ。」(p.17)

同時通訳という言葉は使われていないが、これは同時通訳である。「通訳者は話し手の下に席を占め」とあるから、ブースはなかったようだ。「アメリカ教育使節団」は昭和21年3月(第一次)と昭和25年8月(第二次)に来日している。アメリカ側のメンバーは27名、これに協力するために作られた日本側の委員会メンバーは天野貞祐、小宮豊隆など29名であった。「総会」というのはおそらく米日のメンバーの会合であり、同時通訳用機器はアメリカ側がもちこんだのだろう。大谷の文章にはニュルンベルク裁判のことは出てこないが、極東軍事裁判については満州皇帝溥儀のリレー通訳について触れている箇所がある。(なお大谷が同時通訳をしたとされる1946年3月にはまだ極東軍事裁判は始まっていない。)大谷敏治は1939年に東京外国語学校の教授となり、1962年に東京外国語大学を退官している。主に経済英語や貿易論を教えたようだ。この本は国立国会図書館にも所蔵されておらず、CINiiでも出てこない。


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